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24 手鞠とお稽古

「つまらないものなのですけれど」


 アルミラの手に乗せられた、ころんと丸い小さなたまに、イーサの目は釘付けになる。


(なんて、なんて可愛いんだろう)

 

 どうぞ、と微笑んで差し出され、そのカラフルなたまを、そっと手に取る。

 

「私の郷里の、玩具です。手鞠てまりと言います。もう少し大きいものは、ついて遊んだりするのですけれど、これは、見て楽しんでいただけるように、小さめに作りました」

「……作った!? アルミラさんが作られたんですか!?」

「ええ。久しぶりだったので、初めは少しまごつきましたけれど。仕上がりは、まずまずだと思います」

「すごい、すごいです!!」


 手の中の鞠は、糸でびっしりと複雑な文様が縫い取られ、つやつやとした光を放っている。本当に、魔法でつくられているように美しかった。


 てのひらに手鞠を乗せて、飽きずにためつすがめつしているイーサの様子を、アルミラは微笑んで眺めている。


 植物園での治療から1か月。アルミラは、ジョアンナ先生の診療所から退院し、都の郊外の小さな家で療養していた。

 やせ細っていた体は徐々に女性らしい肉付きを取り戻しつつあり、肌や髪の艶も驚くほど良くなった。そしてそうなってくると、彼女の異様なほどの美しさが際立ち始めた。


 青みがかった深い黒の髪、翡翠色の瞳。切れ長の目は、見つめられるとぞくりとするような色気がある。そして、全ての所作が美しい。何気ない仕草の指先までが優雅で、イーサは時々、見とれてしまう。

 こんな人が一人で街で暮らしていたら、不埒な者に狙われてしまうのも分かる気がする。



「アルミラ、薬の時間だ」


 イーサとアルミラが話し込んでいると、足音もなく現れた人影が言葉をかけてくる。サリューだ。


 彼は、イーサがアルミラのもとを訪れた時はたいてい、部屋の隅で脚を組んで椅子に座り、頬杖をついてじっとアルミラを見つめている。その瞳は、びっくりするほど穏やかで優しい。


 アルミラを取り戻してから、サリューを包む空気は明らかに変わった。初めて会ったときにイーサが恐怖を感じたくらいの、禍々しい瘴気のようなものは鳴りをひそめ、今の彼はただただ静かな空気を纏っている。


 部屋が少し暖かくなりすぎれば窓が開き、ひんやりすればアルミラの肩にはショールがかかり、気がつくと水が用意され……、と、とにかく彼はひたすら甲斐甲斐しい。


「うーん、猛獣かと思っていたが、忠犬だったか……」


 一度見舞いに訪れたマクシムから話を聞いたルカが唸っていた。



「アルミラさんは、故郷くににお帰りには、ならないのですか」


 手鞠のことを話している時の、懐かしげで寂しげな彼女の様子に思わずイーサが尋ねると、アルミラは微かに微笑んだ。


「そうですね。それは、きっと二度と、叶わないでしょう。……でも、私の中に郷里の景色は、歌や絵や、この手鞠のような美しいものとして残っていますから……」


 そう言ってアルミラは、サリューを振り返り微笑む。サリューはアルミラを見つめ、目だけで微笑み返す。


(この部屋の中のもの、すべてがきれいだ)

 

 イーサの胸はいっぱいになる。



 最近、“第一研究室の天使”は進化した。新たな称号は、“第一研究室の女神”である。

 命名者曰く、生来持ち合わせているイーサの可憐さに、最近、気品や気高さと言った要素が加わったのだという。


「ちょっとイーサちゃん、最近何か、トレーニングとかしてたりする?」


 そんな二つ名は知る由もないジョアンナであるが、こと身体の変化に関して、彼女の目は鋭い。


「トレーニング……?」

「まず姿勢がいい。もともと悪くなかったけど、なんていうか、重心が安定した感じ。それに、手首や指先の動かし方とかに、意識が行き届いている感じよね」


 ジョアンナの観察はさすがに分析的であり、夢見がちな伝達係の若者たちのふんわりとしたそれとは一線を画する。

 なるほどそういうことか、と、たまたま研究室でかち合ったルカは納得する。


「トレーニングと言うのかは分かりませんが、最近、『お稽古』をしていただいています」

「『お稽古』……」

「はい。アルミラさんに、お国のお茶の礼儀作法と、踊りのお稽古を……」

「へええ……」


 ジョアンナはもとより、その場の男性陣も思わず興味をそそられてイーサを見つめる。


「お茶の礼儀作法ねえ」

「この国ではあまり聞かないな」

「はい。アルミラさんの普段の仕草があまりにおきれいなので、つい、どうしたらそんなにきれいに動けるのかお聞きしてしまったんです。そうしたら、お国では『所作を磨く』ための習い事、というのがあるとお聞きして。少しずつ、教えていただくことになりました。それを、『お稽古』と言うのだそうです」

「所作を磨く」

「はい。例えば、お茶のお稽古では、お茶を淹れる淹れ方そのものと言うよりは、それにまつわる動作、道具の扱い方などを、決まった手順で進めていくんですが、これがとても難しくて。ほんの少しの姿勢や指先の使い方で、全然美しさや優雅さが違ってしまうみたいで……」

「へえ……」

「懐紙という、紙の畳み方一つでも、アルミラさんがすると全然違うんです」

「そういうものか……」


 黙って話を聞いていたジョアンナの目がきらりと光る。


「踊りの『お稽古』はどんなものなのかしら」

「はい。アルミラさんのお国の踊りは、この国のように激しく手足を動かしたり、その、色っぽいものではなくて。一つ一つの仕草は緩やかで大きくはないんですが、手や足だけではなくて肩の角度や視線、体のひねりなど、とにかく繊細で。それに、一つ一つの姿勢を保つのが、結構体力を使うというか。いつも翌日は、筋肉痛です」

「それね」


 ジョアンナはポン、と手を叩く。


「体幹よ」

「タイカン……」

「そう。体の中心をつくる、内側の地味な筋肉ね。おそらくそれを、バランスよく使えるようになるんだと思う」

「……それが何なんだ」

「姿勢よ。全ての美しさの基本よ!!」


 突然スイッチの入った様子のジョアンナに、男性陣は(いつものだ……)と若干引き気味である。


「これは商売になるわよ」

「商売……」

「その『お稽古』、お金をとる価値があると思うわ。この国のマナー修行でよくやられる、頭に本を乗っけて……なんかより、はるかに効果的に美しい所作が身につくわよ」

「はあ……」

「イーサちゃんはもともと筋がいいのかもしれないけれど、その辺のお嬢様だって、多分見違えるように動作が綺麗になると思うわ。……ちょっと、アルミラちゃんに話しに行かなくちゃ」

「え、先生……」


 嵐のように去っていくジョアンナの背中を、マクシムとルカはポカンと見つめていた。



(アルミラさんとサリューさんに、良い風が吹いてきている気がする)

 イーサの胸は、湧き出してくる明るい予感に高鳴っていた。


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