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22 顔のない男と名前のない女(2)

「――あまり楽観はできないわね」


 ジョアンナは低い声で言い、息をついた。


「短期的な離脱症状は、薬と治療魔術の組み合わせで何とかなるとしても、長期的に、完全に以前の状態に戻るかは、今の段階でははっきりは言えないわ」

「そういうものか」

「そうね。どんな種類の薬物を使われてきたのかがある程度正確に分からないと、脳や他の臓器ダメージの予想がね――まあでも、そうはいっても」


 そこで、ジョアンナはいつもの彼女らしい口調を取り戻す。


「少なくとも今の体の状態よりは、ずっといい状態になるわよ。すぐに死ぬだの生きるだの、ましてや殺すだの、考えるような状況じゃないわ」

「――」


 部屋の隅でサリューは、床にうずくまるように片膝を抱えて顔を伏せ、全身でジョアンナの言葉を聞いていた。 

 彼がこれほど憔悴した様子を初めて見る。イーサは胸が痛んだ。


(この人が、サリューさんの大事な人……)


 今日の朝、サリューに連れられて研究室に現れた女性は、ひどく痩せていて、落ち着かない様子だった。事前にマクシムに呼ばれていたらしいジョアンナ先生がすぐにやって来て、彼女に静かに言葉をかけてソファーに横たわらせると、疲れていたようで糸が切れたように眠ってしまった。

 すやすやと寝息を立てているその顔立ちは、とても美しい。


(黙っているべきだろうか。……でも、サリューさんは、私を救ってくれた)


 イーサは、横たわる彼女の横顔を見つめ、唇を噛む。そして、顔を上げた。


「あの。私、治せるかもしれません」

「え?」

「治せる……とはどういう意味だ」

「あの……私の村では昔、兵隊にとられた若者が戦場から帰った時に、必ずしていた秘密の儀式があるんです。私が生まれてからは村から兵隊がとられることもなかったので、私は歌でしかやり方は知りません。でも、マクシムさんから、兵隊さんの痛みを無くす魔術の話を聞いた時、そのことを思い出して。何となく、その儀式が何だったのか、分かった気がしました」

「……麻薬中毒の治療か」

「はい。厄落とし、と言われていましたが、恐らくそうだと思います」


 戦場において、兵士の恐怖心や疲労感を麻痺させるために、麻薬を使用することは古来より横行している。帰任後、その後遺症に苦しめられるものも多い。


「でも、この『厄落とし』は、他のまじないとは違っていて。村の外の人間に口外したら、村に罰が下ると言われていました」

「罰……」

「はい。私、マクシムさんにも、お話できませんでした。そもそも、魔術と言えるかどうかも、判断がつかなくて」


 イーサはジョアンナ先生の顔を見つめる。


「先生。私、今この方の頭の内側に、黒い茨の蔓のような物が巻き付いているのが見えるんです。どこまで食い込んでいるのかは分からないけれど、もし、『厄落とし』でこれを取り除くことができれば、この方は元に戻るんじゃないかと、思います」

「……私たちには、完全には理解しがたい世界ね。『正常』と『異常』を、感覚でつかむことができるのね……」

「でも、この治療は、私がここで実演しているようなおまじないとは、必要な力が桁違いです。多分、たくさんの時間と、友達・・の協力が、必要になると思います」

友達・・……植物の、精霊だな」

「はい」

「……ロイに相談してみよう」


 マクシムは立ち上がった。



「――マクシムさん。あの、……大丈夫でしょうか」

 馬車での道すがら、イーサはマクシムに、思い切って気がかりを尋ねた。


「何のこと?」

「私の、力の話です。小さいころから、あまり、人には話しちゃいけないって、言われていたものなので――」

「ああ……」


 マクシムは、隣に座るイーサの肩を、軽く抱き寄せる。


「ロイなら心配いらないよ。彼は、約束は守る人だ。秘密を守ると言えば、絶対に他言はしない。それに、彼は人嫌いが激しくて、普段はほとんど人と話もしないんだ。君のことは、ひどく気に入っていたようだけれど……」


 イーサたちが向かっている王立植物園の長である、ロイ、ことロイモンド王子殿下は、何と、現国王の長子に当たる方であるという。

 事情があり、王位継承権は持たず、若くして隠居のような生活を送っているらしい。


 マクシムは幼いころから親しくしていたようで、気楽に会いに行こうとしているが、普通ならばそう簡単に面会ができる相手ではない。イーサの手のひらには、緊張で汗がにじんでいた。

 

 

成程なるほど……」


 植物園の東屋あずまやでイーサたちを出迎えてくれたロイモンド殿下は、マクシムの話を聞き終えると、右手を顎に当ててイーサを眺めた。

 とにかく、興味津々、という目をしている。


「植物の、精霊……。夢のような話だな……」

 深いバリトンボイスが、うっとりとした響きを帯びる。

 

「寿命と交換でもいいから、一度この目で見てみたい……。今、この空間にも、精霊たちが飛び回っているんだろうか」

「あ、はい。そうですね。特に殿下の周りはたくさん……」

「えぇっ!!」


 殿下のあまりに嬉しそうな声に、イーサはびくっとする。


「あの、多分ですが、ここの植物たちはみんな、殿下が大好きみたいです」

「なんと……()きかな……」


 殿下の恍惚とした声。マクシムはやや引きつった顔で、黙ってお茶を飲んでいる。


「ああ、すまない」

 こほん、とひとつ咳払いをして、殿下の声に威厳が戻った。


「事情は分かった。確かに、都の近隣で植物が多く、長時間人目を避られる、となると、なかなか適当な場所を見つけることは難しかろう。閉園日のここならば、条件にぴったりではあるな」

「そうなんだ。……ロイ、協力してくれるか」

「そうだな……ここは、王立の施設だ。警備団特務部隊の研究に協力したとなると、あとあと面倒事の種になる可能性はなくもない」


 それは、マクシムも懸念していたところだった。

 (まつりごと)を行う王宮にとって、魔術師連合との円滑な関係維持は重要課題である。現在のザランド王国は、魔術師の協力無くしては、政治は立ちいかない。

 魔術師連合と現状敵対関係にある特務部隊に対して王族が協力的な態度をとれば、連合との関係性悪化の懸念がある。二の足を踏むのはもっともなことであった。


 しばらく首をかしげていた殿下は、目を上げて微笑んだ。


「マックス、君への親愛の印として、園内の私の庭を()()に貸そう」

 殿下は立ち上がる。


「その代わり、イーサ嬢の治療とやらを、私にも見学させてほしい。それから……」

 そこで、殿下の目がすい、と空中を向いた。


「彼には、入園は遠慮してもらおう」


 殿下の視線の先に目をやると、そこに、顔を歪めたサリューが姿を現わす。


(どうして)

 イーサは驚愕する。自分にも、おそらくマクシムにも、サリューの存在は気取れていなかった。


「彼は()()()のブラックリストに載っているからね。――まあ今日は、見なかったことにするよ」


 ロイモンド殿下の声は、相変わらずの柔らかいバリトンで、そしてぞっとするほどの凄みを帯びていた。 

 顔を歪めたまま、サリューは頭を下げると姿を消す。

 


 兎にも角にも、こうして、イーサの、アルミラへの治療の目算は立ったのだった。


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