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21 顔のない男と名前のない女(1)

 今日の新演目のお披露目は、大盛況だった。


 屋外の舞台で演奏するのは初めてで、果たしてあんなあけっぴろげな広場で、後ろの客席まで音が届くのかと心配になったが、すり鉢状の客席は計算された形状だったようで、とても気持ち良く音が響いた。


 お客さんたちも、親しみやすいのに邪魔にならない、とてもこなれた聞き手だった。

 おそらく、この国は今日のお客さんのような庶民階級まで、文化のレベルが高いのだろう。道すがら覗いた市場も、食材が豊富だった。全体的に、豊かな国だ。


 一座のみんなで、買い置いておいた軽食での遅い夕食を終え、宿の自室に戻って楽器の手入れをしながら、アミヤはそんなことを、ぼんやりと考えていた。


「お久しゅうございます、アルミラ王女」


 突然背後からかかった声に、手が止まる。

 

 まさか。


 今振り向いてはいけない、とっさにかつての彼女の記憶が告げる。


「……どちら様でしょう、人を呼びますよ」


 動揺のあまり、落ち着き払った声を出してしまい、しまった、と唇を噛んだ。

 どう考えても、ここは即座に悲鳴を上げるべきだった。


「……本当に、あなたなのか……」


 背後の男の声が、かつて一度もアミヤが耳にしたことのない、震えを帯びる。

 こらえることができなかった。


「……サリュー……」


 アミヤは振り返り、闇に溶けるようにひざまずく男の、そこだけ光る瞳を見つめた。



 ろうそくの光が、部屋に複雑な影を落としている。半分だけが照らされたアミヤ、かつてのアルミラ王女の顔は、ひどく肉が削げ落ち頬骨が目立ったが、それでも十分に美しかった。


「よくぞご無事で、アルミラ王女」

「……」


 サリューの激情を抑えた言葉を、アルミラは平静な顔で受け止めた。


「それは捨てた名です」


 彼女の声の冷たい響きに、サリューの眉がピクリと動く。


「去りなさい。もう、あなたの知っている王女は、この世のどこにもいないのよ」

「……あなたがそう望まれるならば、俺はもう二度と、あなたの前には現れません。しかしそれは、あなたが心から望まれるならば、です」

「去りなさい」

「アルミラ王女、あなたにはもう俺は必要ないのか」

「必要、あるはずがないでしょう。あの時、私はあなたを捨てたのよ」


 サリューは表情を動かさず、アルミラの顔をじっと見つめた。


「捨てた……」

「私は初めから、砂の森で殺されたふりをして逃げ延びるつもりだった。もう、縛り付けられ息だけをしているような人生はこりごりだったの。王女の名を捨て、生まれ変わるつもりだった。でも、それにはあなたがいては、邪魔だったのよ」

「……どうして」

「あなたは強すぎた。あなたが同行していたら、私の死には必ず疑問が持たれる。死体が見つかるまで探され続け、追われる身となるでしょう。私はあなたを国に置いていく必要があった」

「俺は、あなたを連れてどこまででも逃げたのに」

「それでは駄目だったのよ。私は嫁入りのためにザランド王国を目指し、その途上で不慮の死を遂げる。それが祖国の望んだ、国の役に立つ私の死に方だったし、私が自由になれる()()()だった」

「……それなら、俺を死なせてくれればよかった。あなたのいない世界で生き続けろなどと、死ぬより辛い命など下さずに。あなたの役に立てるならば、持てる力の全てをかけて、俺はトカゲの尾の役をやり遂げたのに」

「そんな死はいらないわ」


 アルミラは目を閉じる。


「去って。私の前に、もう姿を現わさないで。私にあなたは必要ない」

「……嘘だ」


 サリューの声に、アルミラの瞼が上がる。


「忘れてはいないでしょう。あなたは俺に、カードゲームで一度も勝てなかった。俺はあなたが嘘をつく時の癖を知っている。――あなたは俺を死なせまいとした。砂の森で、あなたは本当に死ぬつもりだった。生き延びたのは、おそらく、ただの巡り合わせだ」

「違う」

「今だって。あなたは俺を、必要としている」

「違うわ」

「教えてくれ、アルミラ。あなたは今、幸せなのか」

「幸せよ」

「嘘だ。どうして今更、そんな嘘をつくんだ。俺もあなたも、もう縛られるものはなにもないはずなのに」

「……あなたの知っているアルミラはもういないの。ここにいるのは、汚れた醜い旅の女芸人なのよ」

「――薬か」


 アルミラの顔が強張った。


「薬を盛られたのか。無くては、まともに動けないんだな」

「どうしてそれを」

「あなたのような顔の中毒者を、俺はたくさん見て来た」


 サリューは立ち上がり、アルミラの手首をつかんだ。


「何を」

「行こう。俺はここからあなたを連れ出す」

「もう無駄よ。私はこれから、薬を求めてもがき続けながら、やせ衰えて醜く死んで行くの。あなたにだけは、そんな姿を、見られたくない」

「俺が死ぬまで、あなたは俺のあるじだ。俺はあなたを見捨てない。何があったとしても」


 サリューはアルミラを振り返り、微笑んだ。


「もう手遅れなのだとしたら、俺があなたを苦しみから開放する。あなたを殺して、俺も死のう」



「マクシム」

「サリューか」


 特務部隊の宿舎、マクシムの居室。ベッドに横たわっているはずのマクシムから間髪を入れずに返って来た返答に、サリューは微かに身じろぎした。


「来るんじゃないかと思っていた。今日のお前の様子、おかしかったからな」

「……そうだったか。お前に気取られるようじゃあ……」

「何があった」


 マクシムの声は静かだ。


「大したことじゃない。だが、俺はこれで、イーサの護衛は降りる。それだけ、伝えに来た」

「それは、お前がそうしたいならもちろんだ。長いこと、力を貸してくれてありがとう」

「……お前との縁も、おそらくこれまでだ」

「サリュー……」


 起き上がったマクシムはガシガシと頭をかき、ため息をつく。


「……意地を張らずに話してみろよ。俺たちは1対1じゃ、お前には到底かなわんが、得意なことだけかき集めたら勝負になる。なにか助けになるかも分らんだろう」

「もう手遅れだ」

「つまらんことを言うなよ。無理を通して道理を引っ込ませるために、俺は特務部隊を作ったんだぜ……」


 暗闇に、サリューの微かな吐息が落ちる。

 マクシムはベッドを抜けると、右手にふわりと光球を浮かべた。


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