19 ジョアンナ先生の無料相談
「えぇっ!! 告白された?! ……あいつに?!」
「先生……声、大きいです……」
都の旧市街、おしゃれなカフェの一角で、思わずジョアンナは身を乗り出した。
「ちょっとちょっと……付き合うの!? あいつと!?」
「先生ってば……」
向かいに座ったイーサは、顔を真っ赤にしてもじもじしている。
かわいい。かわいすぎる。天使だ。――勿体ない。
「ちょっとイーサちゃん、本当にそれでいいの?」
「……ええと、今、悩んでいて……」
ジョアンナは深くうなずく。
「だよねえ。よーく考えた方がいいよ。あいつ、大分難あり物件だよ」
「そうですよね……」
「そうそう。まず第一に、あいつ、ヒョロガリだよ?」
「……え、と……」
そこなのかな、と、イーサが口の中でつぶやくのが聞こえる。
「まあ、それは置いといても――」
「はい。私とでは、つり合いが……」
「そこよねえ」
ジョアンナはもう一度深々とうなずく。
「あいつ多分さ、だいぶ重いよね」
「おも……?」
「もうさ、仕事のやり方とか生活そのものが、付き合ったら重そうな雰囲気を醸し出してるじゃない? 絶対すごく束縛されるよ。一日何回も好きって言えとか、強要されるかもよ? イーサちゃんみたいな、奥ゆかしい子とは、釣り合いとれないと思うのよね」
「え、と……」
そういう釣り合いじゃないです、とイーサのつぶやき。
「あ、の。先生は、マクシムさんのお家のことは……」
「おうち? ああ……」
そういえば、マクシムは元、バリバリのお坊ちゃんだった。
「もちろん知ってるけど、それがどうかした?」
「どうかって……」
ジョアンナは、医師と魔術師の資格を持った女性として、「特例侍医」と言う地位を与えられている。王宮に出入りし、王族の、特に女性たちの診療を行うのが主な仕事だ。
彼女にとっては、王族も貴族も平民も、大した違いはない。
患者として服をひん剥いてしまえば、そこにあるものは変わらない。あるのはただ、筋肉があるかないかだけの違いである。
しかし、イーサが二の足を踏む気持ちも、分からなくはない。
「そっか、ビビるかー。でもあいつ確か、籍を抜いているはずだし、今はただの警備団員でしょ」
「そう、なんですか」
そこで、ジョアンナは肝心なことに気づく。
「うわ、ごめん、びっくりしすぎて順番間違ったわ……。そもそもさ、イーサちゃんはあいつのこと、好きなわけ?」
「え、と……」
イーサが耳まで真っ赤になる。
はーかわいい。このかわいさを、あいつに独占されるのは、よほどでない限り承服しかねる。
「好き、だと思います。近くにいると、ドキドキしたり……」
やばい。この照れ顔で白飯3杯くらいは行けそうだ。
――でもまあ、それなら仕方ないな。
「なあんだ。じゃあ、なんの問題もないじゃない」
「そう、なんでしょうか」
「そうよ。でも、あいつの重さに耐えられなくなったら、すぐに私に相談してね。ガツンと説教してあげるから……」
「ふふ」
イーサはうつむいて笑っている。
マクシム。あいつに恋人ができるかもしれないなんてねえ。
カップに口をつけながら、ジョアンナはしみじみと目を細める。
*
「で、話とはなんだ」
いつもの『煉瓦亭』の個室では、マクシムとジョアンナが向かい合っていた。
ジョアンナに呼び出された形のマクシムは、やや居心地が悪そうである。
「付き合いは長いけど、二人で飲むのは初めてね」
「……そうだったかな」
「あんたが、イーサちゃんに告白したって聞いて」
「ぶほ」
マクシムは盛大にむせた。
「……なんでもう、知って……」
「私とイーサちゃんの友情をなめたらいけません」
マクシムは口を拭いながら、若干恨みがましくジョアンナの顔を見る。
「俺は返事ももらえてないのに」
「なんかさあ、悩んでたよ」
「……そうか」
「身分とか」
「……まあ、そうか。……それで断られるならどうしようもない」
「そうね。でも私が気になってるのはそこじゃないわよ」
「……そうだろうな」
「どうして好きになったの」
ジョアンナのマクシムを見る目は、観察者のそれだった。
「そうならないように、生きて来たんでしょ」
マクシムは目を伏せる。
「……初めて会った時、俺は彼女のかけがえのないものを、壊してしまった」
「例のリンゴね」
「そうだ。俺がリンゴをかじった瞬間に、彼女から発せられた感情の波動は、俺の人生でも1,2を争う激しさだった。俺は、彼女の心に、死に至りかねない傷を負わせたのを悟った。俺も殺される、そう覚悟した」
マクシムには、生まれつき、近くにいる他人の強い感情を感知してしまう力がある。それがマクシム自身に向けられたものである場合、最悪、廃人に至る程の精神的なダメージを負う。
幼いころ、マクシムは何度も精神に傷を負わされ、発作を起こしては病院に担ぎ込まれることを繰り返していた。成長し、ある程度までは他人の感情を遮れるようになったが、恋愛に代表されるような、激烈な感情を向けられる危険性のある事柄は、意識的にも無意識にも避けて来た。
彼が、強力な魔力を持ちながら、直接戦闘をすることができないのも、それに起因する。自らが傷つけた相手の断末魔に、彼は耐えることができないのだ。
「……ところが、彼女から発せられた感情はひたすらに強い哀しみだけで、俺を恨んだり憎んだり、攻撃する要素が全くなかった。全くだ。――俺は、無傷だった」
マクシムはジョアンナを凝視する。
「そんな人間に、俺はこれまで出会ったことがなかった。雷に打たれたような衝撃だった。気づいた時にはもう、彼女に捕らわれていた」
「……そうかあ。あの子は、本当に、特別なんだね」
「“特別”……か。そうだな、俺にとって彼女はまさに特別、唯一のひとだ」
マクシムは微笑み、グラスに目を落とす。
「恋は落ちるもの、と言うのは本当だな。防ぎようがない」
「そういうものよね。……頑張ってね、怖いだろうけど」
「そうだな。今は、彼女を失うことの方が、もっと恐ろしい」
「良く分かったわ。あなたの本気さ」
ジョアンナは微笑むと、グラスを掲げた。
「マクシム。あなたもイーサちゃんも、もうこれ以上傷つくことなく、幸せになれるように、心から祈るわ」
「……ありがとう」
二人は、静かにグラスを触れ合わせる。
それぞれの胸に、刹那の深い祈りの音が、優しく響いた。