13 イーサの戦い
イーサは、黒目がちな目を見開いて、じっとマクシムを見つめながら、黙って彼の話を聞いていた。
マクシムが話し終えると、少し首をかしげて何度かまばたきをして、それからゆっくりと口を開く。
「マクシムさん。マクシムさんたちの戦いに、私は、本当に何の関係もありませんか」
「……どういう、ことかな」
「マクシムさんが避けられているお話は、私は永遠に、知らない方が良いことですか。その方が、幸せなんでしょうか」
「……」
「だからお前は甘いんだよ、マクシム。この子、相当手ごわいぜ」
サリューは笑いを含んだ声で言う。
「……分かった。話そう」
マクシムは、一度深く息を吐いてから、静かな声で話し出した。
「先ほどの重大な案件、と言うのは、確かに君にも、関わりがある。連合が犯したと思われる重大な犯罪とは、彼らが異端とする魔術を殲滅するための、大量虐殺だ。――君の村の焼き打ちも、そこに含まれている」
彼の声は苦しげだった。
「できれば、君が知らないところで片をつけたかった。こんな反吐が出るような話は……」
部屋には、沈黙が落ちる。
長い沈黙を破ったのは、イーサだった。
「私が、何かの拍子にそのお話を耳にしてしまわないように、部隊の皆さんから遠ざけようとしてくださったのですね……」
マクシムは黙って唇を噛んでいる。
「マクシムさん、ありがとうございます。お気遣いくださって。……でも、お話をお聞きしてしまった以上、もう、私が出ていく理由はないわけですね」
イーサの言葉に、マクシムとサリューは目を見開いて彼女を見つめる。
「私がどこにいても、変わりないでしょう。その『連合』の人たちが、私の出自を調べないはずがありません。私が、村の生き残りだと知られてしまったのなら、受け継いだ魔術を叩き潰すために、どこにいても狙われる。だったら、ここにいたっていいですよね」
「それは……」
「サリューさん、とってもお強いんでしょう。私を、絶対守ってくれますものね」
「……それは保証しよう」
サリューの笑みを含んだ声。
「マクシムさん。マクシムさんが、マクシムさんにしかできないやり方で、『連合』と戦っているように、私にも、私の戦い方があります。それは、私に引き継がれた私の家族たちの、村のみんなの特別な魔術を、消さないように守ること。私が生き続けるだけではなくて、記録として永遠に残すこと。マクシムさんが、その戦いの場を、私に与えてくださいました。――研究を、続けてくださいませんか」
マクシムは、身じろぎもせずにイーサを見つめていた。
「――君は、強いな。俺には想像もできないほど」
ささやくような、マクシムの声。
「そして賢い。おみそれしたよ」
サリューの声は相変わらず、愉快そうな響きを含んでいた。
*
眠れない。
当たり前かな、繰り返し寝返りを打ちながら、イーサは思う。今日はあまりに、驚くことが多すぎた。
ベッドから抜け出ると、窓際へ歩み寄り雫石の鉢を眺める。
彼女はいつものように、ただ静かにうずくまっていた。
「びっくり、しちゃった。私の村は、敵の国に焼かれたんじゃ、なかったんだって。この国の、魔術師の偉い人たちに、焼かれたんだって……」
自分の声が、掠れて行くのが分かった。喉元が苦しい。
大事なものが全て無くなって、一人ぼっちになったあの日から、ずっと、なるべく思い出さないように、考えないようにしてきた。もしも、と考えてしまったら、止まらなくなってしまうから。みんなのところに行きたい、と思ってしまうから。
くたくたになるまで働いて、ご飯を食べて、眠って、起きて。歯を食いしばって、毎日毎日繰り返して、ここまで来た。
でもやっぱり、駄目みたいだ。
マクシムさんは、正しかったのかもしれない。何も知ろうとせず、考えず、蓋をして遠くに追いやって、何とか忘れていくのが、正しかったのかもしれない。
ふわりと、雫石から人影が現れた。翠玉はイーサの瞳をのぞき込むと、目の前で何度も何度も宙返りをして見せる。植物はいつも、とても優しい。
「ふ……、ううっ」
泣き出したらやっぱり、止まらなくなってしまった。息がうまく吐けなくて、ただただ、苦しい。
イーサは両手で口を覆って、声を殺して泣いた。涙は驚くくらい、いくらでも、あとからあとから湧いて出た。
ふいにコンコン、と窓が叩かれる。
びっくりして顔を上げると、窓の外に、サリューさんが浮いていた。
「えらくぐっちゃぐちゃな顔してんな」
イーサが窓を開けると、彼は空中で胡坐をかいて、イーサの顔を無遠慮に眺める。
「昼間にあいつの前で、その顔すりゃあ良かったのに」
「ふ、ぐっ……」
サリューさんが、どこかが痛いような顔をしているので、イーサはさらに、泣けてしまう。
グイっと腕が引かれた、と思った時には、イーサはサリューさんに腕をつかまれて、夜空の下を飛んでいた。満天の星空が涙でにじんで、目の前を流れていく。子供の頃にどこかでのぞいた、万華鏡のようだった。
耳元で風が容赦なく吹きすさんで、何の音も聞こえない。涙はあふれるそばから風にさらわれて飛んでいく。
イーサは、風に向かって、喉が張り裂けるぐらい叫びながら泣いた。サリューさんは、前を向いてイーサの腕をつかんだまま、同じスピードでひたすらに、夜空を飛び続ける。
長い長い夜の果て、東の空が白み始めた。薄明かりの中、サリューさんは、どこかも分からない深い山々の一つの峰の、台座のような大きな岩に、イーサをそっと降ろすと、自らもその横に降り立った。
「日の出の特等席だ」
サリューさんがイーサの頭に手を乗せてつぶやく。鼻を鳴らしながら、イーサはうなずく。
正面からにじみ出している遥か遠くのうすぼんやりとした光は、徐々に力強く急速に、空を黄金色に染め上げていく。やがて地平線から、生命の祝福のような明るい光が一条、有明の空を貫いた。
その時には、イーサの涙は、もう乾いていた。