12 マクシムの戦い
王国警備団特務部隊開発研究班第一研究室は、以前の日常を取り戻していた。
イーサの魔術についての研究は、2か月の中断期間の間に、実は大分進展していた。採取したデータの解析が終わっていたのだ。
「君の“おまじない”は、やはり俺たちの魔術とは、大分成り立ちが違うようだ。言ってみれば、精製薬と生薬の違いに近い」
マクシムさんの言葉に、イーサは軽く首をかしげる。
「俺たちの術式が、単一の有効成分で形成された薬だとすれば、君の魔術は、植物そのままをすりつぶしたり煮出した生薬のように、様々な成分が、複雑に相互作用を成して、ひとつの薬効を作っている。同じことを、俺たちがやろうとしても、まず不可能だろう」
イーサはますます首をかしげる。自分が魔法の術式を使っている、と言うことすら、実感がなかった。
そこから、イーサがどのようにおまじないのやり方を習ったのか、とか、どんな種類のどんなおまじないがあって、どんな決まりがあるのか、等を、事細かに聞き取られる作業が始まった。
そんな日々が続き2週間ほど経った頃、マクシムさんは、ひどく真剣な面持ちで、イーサに切り出した。
「聞き取り調査は、ほぼ終了で良いだろう。ここで、研究は一区切りとしたい。ここまでのご協力、感謝します。外部にやりたい仕事があれば、斡旋しよう」
突然の宣告に、イーサは言葉を失う。研究は今終えるのはあまりに中途半端な気がする。しかしマクシムさんから出て行けと言われれば、出ていくより他はない。一体自分は何をしてしまったのだろう。
「ご判断に、従います。……でも、私、何かご迷惑をおかけしてしまったのでしょうか。辞める前に、どうか、教えてください」
イーサの必死の言葉に返事を濁しながら、何故かマクシムさんの顔色がどんどん悪くなる。
「そういう、理由ではない……」
「まだるっこしい」
突然、部屋の隅から聞きなれない声が響いた。
ぎょっとして声のする方に目を向けると、いつからいたのか、部屋の隅に、黒づくめの体にぴったりとした服装をした男の人が、しゃがみこんでいた。
彼はすたすたとイーサの方に歩み寄って来ると、両手を後ろで組み、首をかしげてイーサの顔を正面からのぞき込んだ。漆黒の瞳。イーサの背筋に冷たいものが走る。何かは分からないが、とても、とても怖い。お腹の底から震えが湧き出てくるようだった。
「はじめまして、お嬢さん。俺はあんたの上司から、あんたの護衛を任された――」
「サリュー、やめろ」
怒気を含んだマクシムさんの声に、黒ずくめの男の人はひょいと肩をすくめた。
「お前がいつまでたっても紹介してくれないから、自己紹介しようと思っただけだろ」
「――俺が、説明する」
マクシムさんは、眉間に指を当てため息をつく。
「イーサさん、君は何も問題はないんだ。むしろ、こちらがこれから君に迷惑をかけることになる可能性がある。話を聞いて、それから、今後どうしたいかを考えてほしい」
*
ザランド王国警備団特務部隊は、設立来10年弱の、非常に歴史の浅い組織である。その設立者は、マクシム・ハイドロフト卿。現国王の末の弟の次男にあたる彼は、若干18歳にして、王国軍より名を変えた王国警備団に、その部隊を立ち上げた。
マクシム・ハイドロフト卿は、幼少時よりそのたぐいまれな魔術の才能で、将来を嘱望されていた。8歳で魔術学校貴族院初等科に入学し、10歳で、国内でもトップクラスの数十名のみが在籍を許される、魔術学校中央特別学級への編入を許可された。
そして、彼はその特別学級で、かつてない洗礼を受けた。
彼の弁。
「自分の思い上がりを、完膚無きまでに叩きのめされた経験だった。これまで培ってきた術は、同じ術式でより強い魔力で跳ね返されるか、全く見たことのない上位互換で塗り替えられた。だが、そんなことより俺を打ちのめしたのは、魔力以外の一般生活で、自分が全くの世間知らずの無能だと思い知ったことだった」
かつての同級生、ジョアンナ女史は言う。
「とにかく、全く使い物にならないお坊ちゃんだった。街で水ひとつ買うのにも、びっくりするくらいボられてたし、森に遊びに行けば、焚火の火も起こせないのにはびっくりだった。きまじめで一本気で、すれた同級生たちに、遊ばれてたなあ。魔術? よく覚えてない。普通だったんじゃない?」
彼はそこで、枯れない井戸のために部族同士が殺し合ったり、翌年の種籾のために親が子供を売るような場所で生まれ、生きのびて来た同級生たちと出会った。自分はどうして、当然のように絹の産着を着せられ、甘い果実水を与えられて生きてきたのだろうか。マクシム少年は、そう自問せざるを得なかった。
魔術師の育成は、通算6年での修了が基本である。14歳で、マクシムは魔術師としての印を受けた。
ザランド王国において、魔術師とは、「魔術師連合」が認定する印を受けたものであり、その身柄の管理は、非常に厳格に行われていた。印を受けた魔術師以外が魔術を行うことは死罪に値する重罪とされ、また魔術師の行う魔術は、細部にわたるまで術式が定められ、逸脱するものは、異端の術とされ術者は処罰された。
年若いマクシム青年と、特別学級の同級生の悪友たちは、市井の人々の嘆願を顧みず、自らの地位と財源を確保するために、貴族階級に受けの良い華美な魔術のみを重視する魔術師連合に疑念を抱いていた。
そして、彼らの疑念が離脱行動へと決定される出来事が起こった。王国軍兵士への、『無痛の寿ぎ』の標準使用命令である。
「要は、痛みを感じさせない魔術をかけ、負傷しても死ぬまで変わらずに戦える兵士を作れ、と言う命令だった」
マクシムさんは、目を伏せて淡々という。
「『無痛の寿ぎ』は、俺と俺の同級生たちが、試行錯誤の末に完成させた術だった。病や治療の痛みを取り除いてやりたい一心で作り上げた術だったんだ。兵士を死ぬまで戦わせるためにそれを使えと言われた時、俺は、魔術師連合を離脱することを決めた」
魔術師連合は、王国唯一の魔術を扱う職業集団として、絶大なる権力を誇っていた。王国中を見渡しても、それに対抗しうる力を持つ組織は僅かだった。マクシムは、その限られた選択肢の中から、物理的な力と経済力を兼ね備えた組織を選んだ。
自分の社会的地位を存分に活用して王族と軍官たちを篭絡し、王国の軍事組織である「王国警備団」の中に、魔術師の技術集団、「特務部隊」を設立した。それは、「魔術師連合」以外で唯一の、所属した者が魔術師として活動できる組織であり、志を同じくする悪友たちの受け皿となる組織だった。
「と、前置きが長くなって、恐縮だが……」
軽く息をついて、マクシムさんがイーサを見る。
「このような経緯で、今の王国警備団特務部隊がある。そして、最近俺が抱えていた大きな案件、と言うのが、その魔術師連合の、重大な犯罪行為を、表沙汰にできるかもしれない事案なんだ。うまくいけば、今の連合の幹部ほとんどの首がすげ替わるかもしれない。連合の膿を出すには、またとない機会だ。……ただ、色々積み上げて告発、チェックメイトだと思っていたのが、まだ、奴らの息の根を止めきれていないことが分かった」
マクシムさんの顔に、苦いものが浮かぶ。
「もう、奴らに残された手はほとんどない。正攻法では、俺たちの積み上げた証拠を崩すことはできないが、奴らはまだ、やれることがあると思っている。――俺たちに圧力をかけて、告発そのものを取り下げさせることだ。そして、そのために俺たちの泣き所を探っている」
イーサにも、何となく話が見えて来た。
「イーサさん、先日俺が軽率に君を連れ出してしまったせいで、君は、俺の弱点としてマークされた可能性が高い。このままこの研究室で仕事を続ければ、君はこの国で最も執拗で巧妙な業をもった集団に、狙われることになるかもしれない。俺は、君を無用な危険に晒したくない。君は俺たちの戦いには何の関係もない、善良な一市民だ」
マクシムさんは、苦し気に眉を寄せたまま、イーサを見つめた。
「できれば、この特務部隊から出て、どこかで気兼ねなく暮らしてほしい。こちらの事情だから、この案件が解決するまで生活資金は提供するし、念のため護衛もつける」