その後の人生
1.ある花嫁の独白
【★】
どこで差がついたのだろう。一人私はため息をついた。
今日は私の結婚式。女性にとって、人生で最良の日の一つだ。
隣に立つ旦那を横目でそっと見やると、幸せそうに頬を上気させていた。
私の視線に気づいたのか、ふと私の方を見やり、幸せそうに微笑む。「幸せになろうね」などと一点の曇りなく言い放つ彼に、私は「そうね」と、ミルクを混ぜたコーヒーのような、濁った色の笑みで答える。
本当は隣にいるのは、あなたじゃなかったはずなのよ。そんなことを私が考えていると知ったら、彼はどんな顔をするのだろう。優しい彼は、ちょっと悲しそうな顔をして、そして受けて入れてくれるような気さえした。
人生は選択の連続で、すべては自分の選択の上に成り立っている、と誰かから聞いたことがある。その理論にのっとれば今日の結婚式も、私の選択の結果なのだろうか。
どうしても考えてしまう。あの時ああしていれば。もし私が彼女に負けなければ、と。
2.ある花嫁の独白
【☆】
今日は人生最良の日!鏡に映る私の純白の花嫁姿は自分でも、見とれる程に綺麗で、白く輝いていた。
これが私だなんて。信じられない気持ちで鏡を見る。
隣に立つ最愛の人を見やる。彼も「きれいだよ」とほほ笑んでくれた。そのまぶしいまでの微笑に思わず照れて視線を外す。自分の頬が上気しているのが分かった。
出会いから結婚まで、とんとん拍子にお話がすすんだ。
結婚するのに変な話ではあるけれど、まだ照れくさくて、彼の顔を直視することができない。
彼と結婚できるなんて、私はなんてついているのだろう。冗談抜きで彼と結婚できるのであれば、全てを捨てても構わない、という女性を大勢いるはずだ。私を煌びやかにメイクアップしてくれている侍女たちも、羨望とかすかな嫉妬を顔に浮かべている。
人生は、幸運と不運がバランスを保つようにできている、と誰かから聞いたことがある。その理論にのっとれば、今日の結婚式も、私が今まで辛い生活を強いられてきた代償に神様がくれたプレゼントなのだろう。
今日私は、世界一幸せだ。
3.ある奥方の独白
【★】
思った通りに私の日常は退屈だった。
平凡な朝、平凡な昼、平凡な夜。何をしていても、まるで枕詞のように、頭に「平凡な」という形容詞がくっついてくる。
夫に不満があるわけではない。
むしろ彼は、世間一般で見ればとてもいいパートナーだろう。
真面目に働き、女遊びをせず夜は自宅にまっすぐ帰ってくる。亭主関白ではなく、自分の意見を無理に押し通すこともない。夜の営みだって相性は悪くない。
どう考えても彼は優良物件なのだ。結婚を考える女性であれば、目の色を変えて飛びつくような。
分かっている。この退屈感の原因は、私の未練。
手に入れられると思っていた、でも手に入れることができなかった過去との比較が、今のこの生活を退屈に感じさせてしまっているのだ。とても残酷な話だけど。
どうしても『彼』と比べてしまう。美化された『彼』への恋心が、今の幸せを風化させてしまう。
いけないことだと思いながらも、『彼』との結婚生活を夢想し、現実とのギャップにため息をこぼしてしまう。
『彼』と結婚できていない私は、客観的に見てどんなに幸せだろうと、決して満たされることがないのではないだろうか。
窓にもたれかかり外を見る。そこには、この国の象徴ともいえる大きなお城がそびえたっていた。
私にとっては、あのお城は、最愛の『彼』と憎き恋敵を思い出させる呪いのモニュメントだ。忘れたくても、否応なく目に入る巨大建造物が、私に全てを思い出させるのだった。
ため息をつく。今日もまた平凡な日々が始まる。
4.ある奥方の独白
【☆】
思った通りに私の日常は、煌びやかで刺激的だった。
豪勢な朝食、煌びやかなシャンデリア、そして夜な夜な行われる舞踏会―。その全てが、私が、そして全ての女性が憧れていた生活そのものだった。全ての生活に「理想の」という枕詞をつけたいくらいだ。
「おはよう」と隣で私の髪をなでてくれる王子様。結婚してしばらく経って、さすがに昔のようにドキドキする回数は少なくなってきたけど、むしろ彼への愛情は増している。朝日の光を浴びて、きらきらと輝く白い歯をいつまでも眺めていたい気分。
彼の優しさ、私への愛は、出会った頃と変わらない。立場上忙しい彼とは、中々一緒にいることができないけど。それでも、朝一緒にまどろむこの時間だけで、彼からの愛情を痛いほど感じることができる。
彼と一緒に、朝食をとる。以前の生活なら考えられなかったほどの、豪勢な食事。最初に食べたときは感動しすぎて、彼から笑われちゃったっけ。テーブルマナーはちょっと窮屈だけど。
食事を終え、公務に向かう彼を送り出す。私は、ここからお勉強の時間。国の王子である彼に見合う妻になれるよう、振舞い・知識を身に着けるのだ。ずっと意地悪な継母から、理不尽な命令を受けていた以前の暮らしに比べれば、私にとって勉強は全く苦にならなかった。むしろ、今まで知らなかったことを知れることは、新鮮で楽しみだった。
さあ、彼にふさわしい妻になるために頑張らなくっちゃ!
「頑張るのよシンデレラ!」と自分に気合を入れる。
また今日も刺激的な日々が始まる。
5.ある妊婦の告白
【★】
ある日、急に体調が悪くなった。慌てて、夫が医者を呼び出す。
診断結果は妊娠だった。
医者の言葉を聞いた瞬間、私の頭はオーバーヒート。突然のことで頭が真っ白になった。しかし、すぐに現実に引き戻されることとなる。
夫がすさまじい力で、私のことを抱きしめたからだ。
夫は、満面の笑みで私のことを抱きしめながら、ボロボロと、本当にうれしそうに、歓喜の涙を流した。「ありがとう、ありがとう」とまるで譫言のように繰り返す。
そんな彼を見て私は笑ってしまった。「ありがとう」だなんて。
私が何かしたわけでもないのに。
そう告げると、彼は照れ臭そうに笑いながら、「それでもありがとう」と言った。
子供ができた、と聞いた時は頭の中が真っ白になったが、考えてみれば当たり前かもしれない。
夫は、毎晩飽きもせず私に愛をささやき、毎晩のように私を抱いた。
マンネリ、という言葉は私達夫婦には無縁の話。そう考えるといつか、子供ができても全くおかしくない―いや、むしろ遅かったくらいだ。
「これから、色々大変なこともあるかもしれないけれど、一緒に乗り越えていこう。僕にできることは何でもするから、遠慮なく頼ってほしい」
まっすぐに私の顔を見つめて彼は私に言った。じーん、と白い布にインクを垂らしたように、暖かな気持ちが自分の心に広がっていく。
それと同時に、チクリ、と私の胸を罪悪感が刺した。
この人は本当に私のことを大切に思ってくれている。まっすぐ私だけを見てくれている。それなのに、私はまだ『彼』を引きずっている。こんなにも大切にされる資格が私にはあるのだろうか。
それでも、このお腹に宿った小さな命を。そして、私の瞳に映る彼を今まで以上に大切にしたい。この気持ちも私の噓偽りない本音。「ありがとう」私の言葉を聞いて、彼が力強くうなずく。そして、
「男の子かな?女の子かな? 女の子なら、君に似てとてもきれいな子なんだろうな! 勿論、男の子でもとてもかわいいだろうけど。あっ、名前はどうしよう。部屋は僕らと一緒でいいよね? いやでも……」
と、未来について語りだす。「気が早すぎるわよ、バカ」と苦笑しながら、私はそっと自分のお腹をさすった。
6.ある妊婦の告白
【☆】
宮廷付きのメイドが口々に祝福を告げる。彼に妊娠したことを話すと、とても嬉しそうに、私を抱きしめてくれた。
彼との間に子供ができたことはとても嬉しい。でも、『嬉しい』の中に、ほっとした気持ちと不安な気持ちが紛れ込んでいた。
彼と結婚してもうそろそろ1年。
そろそろ世継ぎの子を産まないといけない。お義母様、お義父様からは、日に日に孫の顔を見たい、というプレッシャーをかけられていた。
世継ぎを産む、ということが国の存続に不可欠である以上、子供を待望されるのは仕方のないことではあると理解はしていた。
ただでさえ、平民出の私。成り上がった小娘、王宮には必要のない存在ー直接声に出して聞こえずとも、私を見つめる侍女の視線に、嫉妬と侮蔑の色が混じっているのを感じていた。
子供ができない、などということになれば、一層風当たりが強くなること目に見えている。
抱きしめてくれている彼も、安堵の気持ちを感じているのだろうか。最近のセックスも、愛を確認するためというよりは、なんとなく子供を産むための行為、という感があった。私の気のせいかもしれないけど。
お義母様と、お義父様は、子供の誕生を人一倍待ち望んでいたので、大変な喜びを見せている。「よくやったわね」そんな言葉が、聞こえてくるようだ。いや、もしかしたら、本当に言っていたかもしれない。
よくやった? まるで、子供を産むために結婚したみたいだな、とぼんやり思う。
「男の子かしら? 男の子だといいわね。女の子も可愛いけれど、やはり国のことを考えると、男の子じゃないと駄目だもんね」
「母さん。そのくらいにしときなよ」
夫が、お義母様をたしなめる。そして、私の顔を見て、
「これから、色々大変なこともあるかもしれないけれど、一緒に乗り越えていこう。僕にできることは何でもするから、遠慮なく頼ってほしい」
と言った。彼の言葉に安心する。しかし、心から安堵することはできない。みんなが幸せでハッピーエンドになるためには、私はちゃんと出産して、出来れば男の子を産まなければならない。
生まれてくる子には何の罪もないのだが、どうせならお義母様も含めて、皆が納得できる形を。神様に祈ると、私はそっと自分のお腹をさすった。
7.ある二人の日常
【★】
「いってらっしゃい! 気を付けるのよ」
「うん!」
元気に娘が駆け出していく。あんなに勢いよく駆けて行って、大丈夫かしら。あっ、ほら。友達の方ばっかり見ていないで、ちゃんと前向かないと……。角を曲がって見えなくなるまで、娘を見守る。
「はは、相変わらず元気がいいな。うちのお姫様は」
「元気が良すぎるわよ。あんなお転婆になっちゃって……。どこかで怪我でもしないといいけど」
「心配性だなぁ。君に似て運動神経もいいんだから。大丈夫だよ」
夫が私の肩をぽん、と優しく叩いた。
その手に自分の手をそっと重ねて私も微笑む。娘が産まれてからの6年間。思い返せばアッという間だったように思える。思うようにいかない子育てにいらだったこともあったが、夫の献身的サポートもあり、何とかここまで育て上げることができた。
彼は本当にいい夫だ。そして、あの娘は私の宝物。彼女と夫と過ごす日々は、相変わらずの平凡な日々。それでももう「退屈」なんて感情は浮かばない。
窓の外にそびえる巨大な城を見やる。
あそこで私は、『彼』―王子の許嫁として共に育った。将来必ず王子の妻になる、そう信じてふさわしい教養、ふさわしい美貌、ふさわしい品格を身に着けていた。
それなのに。彼が選んだのは、舞踏会でひとめぼれしたシンデレラ。私も舞踏会で王子様と踊る彼女を見ていた。とても綺麗な子だったことは覚えている。何故、知らない女が王子と踊っているのか、いぶかし気に思った。
その後はご存じのとおり。国を挙げての花嫁の捜索、探し出されたシンデレラ姫、そして国が総出でお祝いした結婚式―。
確かに彼女は、並々ならない苦労をしていたのかもしれない。意地悪な継母にいじめられていたとも聞く。それでも、私は私の『彼』を奪ったシンデレラを許すことはできなかった。
ずっと恋焦がれてきた『彼』を忘れることはできなかった。
その後、両親の紹介により、今の旦那とお見合い結婚をした。『彼』に比べれば平凡でつまらない男。
それでも。
空を見上げる。城の上に広がる空は雲一つない快晴。
―平凡でも私は、幸せだ。
【☆】
起き上り、隣を見る。温もりのないベッドに、昨日もまた彼は帰ってこなかったのか、と一人ため息をつく。彼から最後に愛の言葉をささやかれたのはいつのことだっただろう。一緒に眠った記憶すら、遠い過去の記憶のように思える。
結婚した時は―いや、そこまで遡らなくても、子供が産まれた時は、もっと愛を感じていた。いつからだろうか。彼の私を見る目が変わったのは。
「ママ! 」扉の向こうから、元気な声がした。ダダっ、と小さな影がかけてきて私の腰にぶつかってくる。私は、優しく彼女―自分の娘を抱きかかえた。
娘は腕の中で、嬉しそうに破顔する。目に入れてもいたくないほどに可愛い娘。私と彼の愛の結晶。心から彼女のことを愛している。
だからこそ彼女の境遇を申し訳なく思う。もし娘じゃなくて、息子だったら。私の子供は、この城の主に―もっと幸せになれたのじゃないかと。
そして同時に思ってしまう。息子であれば、私ももっと幸せになれたのではないかと。
とても残酷なことだけど、思わずにはいられなかった。
お義母様も、お義父様も、彼女のことを可愛がってはいる。それでも、時折隠し切れない失望が顔に浮かぶのを見ているのは辛かった。
王子様は、最近私のところには帰ってこない。理由は女だ。どうやら入れあげている女が外にいるらしい。
元々が、舞踏会で一度会った女性を妻にするようなひとめぼれしやすいような性格だ。最初は信じたくなかったが、今は妙に納得してしまっている。
お義母様も、お義父様も、何も王子様には言わない。外で跡継ぎを作ってきてほしい―そんな風に思っている節さえあった。
私の現状をひそひそと噂する声が、城内の至るところで聞こえてきていた。シンデレラストーリーは今やサクセスストーリではなく、栄枯盛衰の物語として広まっているようだ。
窓の外を見やる。どこまでも広がる曇天が、この後の雨を如実に物語っていた。
自分自身に問いかける。私は今幸せなのだろうかと。
決してシンデレラが嫌いなわけではありません。
物語でもなんでも、ハッピーエンドになった後の何でもない日常が一番難しいのではないかな、と思います。