第6章 そうだったの(小秋さとみ)
お喋りが一段落したところで一旦帰ることにした。三,四講目と空いているし、そのあとも一時間のお昼休憩だから、家でお昼を取ればしばらく休めそうだ。
「あれ、さとみちゃんどっか行くの? もしかしてもうお昼買いに行くとか?」
気づいたのは萌香ちゃんだ。
「ううん。時間あるから一旦帰ってお昼も食べてこようと思って。」
「えーそうなのー。じゃあ明日は一緒に食べようね。」
「うん、ありがとう。またね。」
「気を付けてねー。」
そうだ。昨日まで一緒にお昼を取っていたさくらちゃんにも言わないと。多分今は講習中なので、ラインがいいかな。
「ごめん! 今日は一旦帰るからまた明日一緒にご飯食べようね。」
よし、これでオッケーと。
でもさくらちゃんはまだ萌香ちゃんや美姫さんと喋ったことないはずだから、今日のお昼は一人になっちゃうかな・・。少し申し訳なくて帰るのをためらったが、やっぱり帰ることにした。
部屋に着き、目をつむって心を落ち着かせる。
深呼吸し、笑顔を作る。笑うことは実際に楽しくなくても精神的にいいと聞いてからたまにやることにしている。
とはいえ初日より大分落ち着いてきたようでまだ良かった。話せる人も増えたからかな。
「あぁーでもちょっと疲れた。」
また独り言だ。
にしても今の私は抱えているものが多くてきつい。
まず成績、そして近藤君だ。
成績に関しては、医学部受験性としてはそんなによくない。
医学部以外ならA判定なんだけどねぇと言われたこともあるが、その程度だ。
なのに近藤君がいるようなクラスでついていけるんだろうか。最初にクラス分けを見たときには何かの間違いかと思った。ほとんどの教科が上のクラスだった。
特に化学なんて厳しそうな先生で、正直かなり心配だ。
そしてまだ問題がある。
そう、近藤君。正確には近藤君に対する自分が問題なのだが・・。
昨日は自分から挨拶すらできなかった。バカだ。挨拶もできないなんて・・。
私は女子校に行って以来、男子に話しかけるのが苦手だ。
話しかけてもらえれば普通に話せるのだが、なんだか話しかける勇気が出ない。ましてや意識してる人となれば尚更だ。
さらに困ったことに、私は好きなことがばれないよう本人を敢えて避けてしまう性質がある。いわゆる好き避けというものだ。
好きバレしないようにということの延長で、近藤君の目が腫れていたことも敢えて口にしなかった。というかできなかった。
あぁー話しかけることもできなくて、しかも避けるなんて、嫌ってるようにしか見えないよねー。
どうしよう。
そのせいで好きだった人から嫌われたこともあり、トラウマになっている。
そして問題というか、不安かな?
近藤君は萌香ちゃんと高校からの知り合いだったこと。
しかもお互い呼び捨てで呼び合っていて、同い年で、会話のテンポもよく、楽しそうだった。
それに萌香ちゃんはしっかりお化粧もしていてすごく可愛い。
色白な肌、透明感のある茶色い瞳、くるんと上がったまつ毛、リスのようなぷくっとした頬、ツヤツヤで毛先をワンカールした長めの茶髪ボブ・・・・。
いかにも女の子らしい人だった。
私もお化粧した方がいいかな・・なんて思いながら、とりあえず色付きのリップクリームを塗り、お昼までは今日の一,二講目の復習をすることにした。
勉強しようと思ったが、机に向かうと思い出してしまうあのこと・・・・やっぱり放っておかないほうがいいかな・・。
思い出したら涙が出てしまいそうでさっきは考えないようにしていたが無理だ。
と思った瞬間にはもう泣きだしていた。
長女ということもあって、今までよく我慢をする癖があった。
何かあったら私が耐えればいいと思っていた。
だが、我慢のしすぎで自分が壊れてから、それは違うのかもしれないとようやく思うようになった。
みんな自分が壊れないように、愚痴を言ったり悩みを打ち明けたりしているんだろうと十八になってやっと気づいた。
でも自分に対する周りからのストレス発散は、あのときの私を苦しめ、今でもフラッシュバックに悩まされるものとなってしまった。
いや、フラッシュバックどころじゃない。
私の人生をも変えるものとなってしまった。
ーーーーこっち見てるよね見んな死ね臭そうアイツに疲れたあぁーストレスたまるアイツといると不幸せになるキモイ本当ムカつく笑い方うざいーーーー
誰も悪くない・・・・。
誰が何と言おうと、みんな悪くない。
全部・・自分のせい。
そう・・・・全てが私のせい。
辛かった・・。
本当に悲しかった・・。
自分が悪いから誰にも相談できなかった・・・・。
でも・・・・誰かに気づいてほしかった。
誰かに甘えたくて、ぎゅっとしてほしくて、ありのままを受け入れてほしかった。
どうして誰も気づいてくれなかったの?
周りの大人はどうして助けてくれなかったの?
私が悪いから見て見ぬふりしてたの?
でも・・
でも・・私だって本当は悪くなかった!
私なりに精一杯生きた!
私だって人間だしまだ子供だったのに! なのにどうして!・・・・。
「大丈夫かい?」
えっ? 誰?
「どうしたんだい。可愛いお顔をくちゃくちゃにして。」
見ると、おじいちゃんがいる。それにここはおじいちゃんの部屋だ。
死んだおじいちゃんが・・どうして・・。
「辛かったんじゃろ。おじいちゃん守ってやれなかったなぁ。何かあったらおじいちゃんが守ってあげるからって言っとったのにごめんな。」
「覚えてたの?」
「あぁもちろん。さとみとの約束を忘れるわけないじゃろ。」
「嬉しい・・。おじいちゃんまだ覚えてたんだね。」
「守ってやれなくて申し訳なかったが、これからは大丈夫じゃ。」
「なんで?」
「おじいちゃんはこれからずっとさとみを見守れるんじゃ。」
「そうなの?」
「あぁ。さとみは前、死にたがってた時期があったじゃろ? むしろ死んだほうが周りのためだなんて思っとったよな? そんな風に思っちゃいかん。そこまで自分を傷つけちゃいかん。二度とそんなことにならんようにおじいちゃんがずっと見ているからな。もしまた死にたくなったらここにおいで。抱きしめてあげるから。」
そう言ったおじいちゃんは消えかかっていた。
「いいかい。おじいちゃんのことが見えなくなっても心配するな。ずっとさとみのことを気にかけておるからな。」
「分かった。・・またね。」
「またな。」
これは夢なんだなと、途中から気づいていた。
夢だと分かっていてももう少し喋っていたかった。
でも嬉しかった。大好きだったおじいちゃん、ありがとう。
目を覚ますと、手に色付きリップを握りしめていた。髪は涙でぐしょぐしょだった。