第5章 やっぱり
「近藤君おはようーって、どうしたのその目!?」
「ん? ・・あぁなんか、多分うつ伏せで寝たからかなぁ。よく分かんね。」
「ホントかなー。いつもよりプックリしてるよ。実はメソメソ泣いてたりして。」
「うっせーよ、泣いてねーよ。」
「はいはい、分かりましたよー。」
どうして美姫ってやつはこんなに観察力が高いのか。いや、女子全員か。ほんのちょっと腫れてるだけだってのに。自室で気が緩んだのか、昨日は結構泣いてしまった。
「そういえばさー私昨日先生と面談だったんだけど近藤君もうやった?」
「俺は水曜だからまだだな。・・って今日か! やべぇ、こんな顔で行きたくねぇ。」
いやーあんなに泣くんじゃなかった。しかも今日が面談だったなんてすっかり忘れてたな。
「その顔はヤバいね。ってかね、めっちゃ厳しかったよ。近藤君は頭いいから大丈夫かもしれないけど。」
「マジで! 森先生でしょ?」
「そう、森先生。ニコニコしてるんだけど結構グサッとくること言う人って感じだった。」
「えーなんかショックだな。優しそうな人かと思ってた。」
「私もそうだと思ってたから余計傷ついたのかも。まぁ終わったらどんなだったか教えてね。」
国立組は水曜日の三,四講目が空きコマである。
本講習初日にもらった面談予定表をもう一度確認する。・・・・やっぱりそうだ。今日の三講目のところに入ってる。
まぁ仕方ねえけどなんとか十一時までに腫れ治まんねえかな。
あ、さとみちゃん! ってあれ・・。
挨拶は?
「あれ、さとみちゃんだよね?」
「あ、おはよう。」
「ビックリしたー、俺のこと忘れられたかと思ったー。」
「ふふっ、そんなわけないよー。」
「昨日はごはん作れた?」
「うん、味噌汁と肉じゃが作ったよ。」
「えーすげえ。やっぱ女子だなぁ。結構料理はするの?」
「うーんどうだろう。でも実家がお弁当屋やってるからたまに作るの手伝ったりはしてたよ。」
「へぇー弁当屋か。それじゃあ上手そうだな。」
「そんなでもないけどね。」
「謙遜したなー。女子が謙遜してることって結構クオリティ高かったりすんだよな。」
「なんでよー。何も言えないじゃん!」
「ハハハ、まあまあ落ち着いて。」
ここで気づいてしまった。
さとみちゃんはしっかり俺の方を向いているが、俺の目に異変を感じていないことに。
地味に悲しかった。
好きな人だったらよく見てるもんだよな。よく見てたら気づくもんだよな。
やっぱりさとみちゃんは俺のこと、意識してないんだろうか。俺だけが舞い上がってるんだろうか。
一講目が始まるまでしばらく話していたが、さとみちゃんが目について触れることはなかった。
五.四、三,二、一。・・よし十一時ぴったり。あーちょっと緊張すんなぁ。
塾長室と手書きされた紙が貼ってある、この扉の奥に森先生がいる。いるはずだ。
まぁもし居なかったらあれだし、ちょっと覗いてみっか。
そろーっと窓から中を見てみる。・・・・ん? 先生どこだ? 人がいる気配がないな。 俺これから面談でいいんだよな?
「おやおやどうした。」
「うわ!」
振り返ると噂の森先生だ。
「ハッハッハ、そんなに驚くなよ。」
夜の見回りに来る桜井おじちゃんほどではないが小太り気味で、三日月目で愉快そうに笑うのが特徴的だ。この人がグサッとくることを言うのか。なんだか信じられない。
だがもし本当にそうなら、予備校の塾長には最適かもな。
優しそうなのに、いざというときには厳しく叱る。先生に認められたくて勉強を頑張る子もいるだろう。
でも欲を言うなら優しそうなついでに沢山褒めてくれる人であってほしい。
典型的な褒められて伸びるタイプの俺は、注意のされ方によってはやる気が失せてしまう。まぁそこは自身の課題ではあるが。
「ま、とりあえず座りたまえ。」
「ありがとうございます。」
「えーとね。入校前に提出してもらった模試のコピー、見させてもらったからね。」
「あ、はい。」
ドキドキしているのか、かしこまってしまう。
「そうだねぇ。・・・・。」
緊張の瞬間だ。頼む! 酷評はしないでくれ!
「なんだかーどうして君が浪人生のままなのか分からないくらい優秀だねぇ。」
「えっ! マジすか!」
不意に褒められ、ようやく素が出た。
「うん。まぁこの模試は簡単なほうだけども、これだけ点を取れてたらどこか受かってもおかしくないんだけどねぇ。」
「あ、でも前回の受験で、一回だけ一次受かったんすよ。」
「なるほどー。二次で落ちたと。」
「そうなんすよねー。採点者は何見てんすかね。面接は結構手ごたえあったんすよ。不正働かれてないか本気で確かめたいぐらいっす。」
「ハッハッハ。まぁひとつだけ一次通過した奴が言うことじゃないな。」
「ハハハ、確かにそうっすね。」
「それとー少し気になることがあってね。センター模試の国語の現代文なんだけども、これは一体どうしちゃったんだい?」
「あーなんか現代文いっつも間に合わないんっすよねー。時間かかるんで最初に漢文、古典の順にやってあとから現代文やってます。」
「ふんふん。漢文、古典、現代文の評論、現代文の小説の順かな?」
「あ、そうっすそうっす。」
「なるほどー。解く順番はいいね。だがいくら現代文の時間がかかるとはいえこれはいかんなー。古文、漢文五十点満点ときて、評論二十五点、小説に至っては十六点と。二百点満点中、百四十一点。七割くらいね。まぁ君も知ってると思うけども医学部は国語の点数が圧縮されて百点換算だったり、もっと少ない配点で採点されることも多い。だから七割取れていれば悪くはない。だけどももちろん二百点満点のまま計算する学校だってあるし、国語の問題が難化した場合にはこれよりも大分点を落とす可能性がある。それに現代文はコツさえつかめば誰にでも点が取れる分野なんだよ。だから君はこれから現代文の講習は特に力を入れるべきだねぇ。」
「そうっすよね。ちなみに評論と小説だったらどっちが点取りやすいっすか?」
「まぁそれは人にもよるけども、一般的には評論と言われてるね。だから小説より先に評論を解くやり方はなかなかいいと思うよ。」
「あーなるほど。だから先生たちってみんな小説の前に評論を解けって言うんすね。」
「君は理由を知らなかったのかい。ハッハッハ。まぁいいだろう。とにかくコツをつかんで、解き慣れること。慣れてきたらさらにスピードアップできるよう練習すること。理想はもちろん解ききって軽く見直しまですることだね。」
「見直しまでっすかー。キツイなー。まぁちょっとずつやってみます。」
「そうだねぇ。現代文は少しずつやっていくのがいいだろうね。とはいえまだ本講習三日目だからね、あまり最初から頑張りすぎて倒れてしまわないように。」
「大丈夫っす。俺体強いんで!」
「ハッッハッハ。それは頼もしいな。まぁ、君には期待もしているのでね、今年こそは受かるといいなぁ。」
「ありがとうございます。いやーなんか森先生って意外と厳しいよって噂を聞いてたんでちょっと緊張してたんすけど、そんなことなくて良かったっす。」
「うん? 僕が厳しいという噂か。はて、誰が言っていたのかね?」
「美姫っすよ。あのー・・・・今井美姫さんっす。」
「あー今井さんね。あいつは何を言っても反論だの文句だので聞く耳を持たないんでね、少し厳しめに面談をしたんだが、きっとそのことだろうなぁ。」
「あ、そうっすそうっす。面談がキツかったっぽいっす。」
「まーたあいつは・・。まぁ面白いやつなんだがなーどうも人の話が聞けないいんだよなぁ。まぁ君にこんなことを言っても仕方がない。じゃ、とりあえず現代文に力を入れるということでな。そろそろ終わりにしよう。」
「はい、ありがとうございました。」
塾長室を出ると、すぐそばに自習室の扉がある。だが女子がたむろしていて入りづらそうだ。
「あ、近藤君! 面談終わった?」
見ると美姫と萌香、そしてさとみちゃんだった。まだ三日目とは思えないくらい楽しそうに話していたのはこの三人だったのだ。
女子同士だからまだ許せるが、なんだかさとみちゃんを取られたような気になった。ってかこいつらいつの間に仲良くなったんだ?
「あれ、美姫と萌香って私立だから講習中じゃねえの?」
「違うよー。先生が体調悪いからって講習なくなったの! ってか近藤君って萌香ちゃんのこと知ってたんだね。」
「あぁ。高校一緒だったし、家も近いからな。」
「そうなの!」
美姫とさとみちゃんの声が重なり、俺に注目が集まる。
「そうそう。昨日なんて俊介のお母さんに送ってもらっちゃったし。昨日はありがとね。」
そう言う萌香は今日もバッチリメイクのようだ。
「いやいや、昨日母ちゃん機嫌よかったみたいだし全然いいよ。」
「あ、そうだ。近藤君の模試結果見せてよー。」
美姫はこれが目的だったのだろう。
「お、いいよ別に。」
「え! いいの! やっぱ頭いい人は違うなー。私絶対見せたくないもん。」
と言ってパッと結果のコピーを取り上げ、三人がじっと見る。
「すご! やっぱ頭いいんじゃーん、いつももったいぶっちゃってー。」
「え、これ俊介の去年の模試ってことだよね!? ヤバ! 俊介高三の時と全然違うね! 頑張ったんだぁ。」
「すごーい。いいなぁ。」
一気にお褒めの言葉をいただき、にやけそうなのを必死でこらえる。その中でも言葉数は少ないものの、さとみちゃんが羨ましがってくれたのが一番嬉しかった。
「まぁこれあんま難しくない模試だからな。しかも現代文なんてひでーし。」
「とか言って今まで結構勉強してきたんでしょー。」
「そうだそうだ! それにさっき一瞬ニタニタしてたでしょー。褒められて嬉しいんだよねー俊介君。」
「う、うっせーよ。お前らさとみちゃんみたいに静かにできねーのかよ!」
「またそうやってごまかすー。一五歳の時から俊介のこと知ってるあたしは分かるんだからね。俊介がうっせーよって言うときは恥ずかしいけどドンピシャなんだよねー。」
「うっせ・・余計なお世話だよ!」
「あ、ほらまた言いそうになった!」
「ふふふっ」
微妙に気分を害したが、さとみちゃんが笑ってくれたし楽しそうだったので良しとした。