草食系魔神
――太平洋洋上 公海
ボロスはデモクリスに誘われて、太平洋の公海上に来ていた。双方は翼を生やして荒くれる海の上で談義をしている。
「ボロスさん、まさかトモカ様が建国に消極的だとは思いませんでしたね。」
「そうだねぇ、そしたらボロス達やることないよねぇ〜。」
「ボロスさん、どうにか元の話し方に戻せませんか?」
ボロスはずっと少女の姿に変身しており、それを演じきっているのか、まさに少女然とした話し方をしており、デモクリスは違和感を拭えずにいた。
「だってぇ、トモカ様ったら女の子のほうがお好みのご様子なんですもの。」
「なるほど……それでトモカ様の目を引くために変身したのですね。」
「うんうん、大変だったんだよぉ。人間十人も使ったんだから。」
「ボロスさん。もしかして……河川敷で十人の首をねじ切って、その血で魔法陣を描いたりしました? 特に五芒星の頂点と交差点にねじ切った首置いたりして……。」
「そうだよ〜。よく知ってるねぇ。」
デモクリスは『やれやれ』といった様子でメガネをかけ直す。
「テレビやインターネットで猟奇殺人として取り上げられていましたよ? この世界の人間たちは敵に回すとしつこいので積極的に殺生に関わらないほうがよろしいかと……。」
「てれび? いんたーねっと? なにそれ。人間なんて相手にならないよ??」
デモクリスは数百年の間、人間と共に過ごしたせいで若干の愛着が芽生えつつあるのも事実だ。しかしそれを除いても『次元スリップ』を行使した元の世界の勇者のように、我々に匹敵しうる存在がいないとも限らない。デモクリスはアプローチの方法を変えてみることにした。
「ボロスさん。トモカ様も元は人間種、もしかすると人間を殺生することを是としないかもしれません。今後は様子を見てはいかがでしょうか。」
「ふえぇ。そしたら変身解除の儀式もできないよぉ。」
「はぁ……まぁそれは横に置いて。」
せっかくボロスと二人で会話できる機会を得られたのだから、本題はもう少し後にすることに決めた。
「トモカ様はどうすれば建国に意欲を見せてくださいますかね?」
「ボロスは、トモカ様がいらないっていうならそれに従うだけだよー。」
「はぁ。でも魔王や魔神が自らの領域を創造するのは本懐というものではないですか? 一昔前には『草食系』なんて言葉が人間の間で流行しましたが、トモカ様はまさに『草食系魔神』でございますね。」
「だめだよデモクリス。今のは失言。」
「そうですね。失礼致しました……。」
デモクリスは深く内省する。常にザハーク様の元で世界征服の助力をしてきた身だが、その立場を追われてしまったら何をして生きればよいのかと、一抹の不安を覚えていた。
「それで、愚痴を言うために海に来たんじゃないよね?」
「そうですね。では本題に入りましょうか。」
デモクリスはスーツのネクタイを締め直し、大海原に出てきた理由を語りだす。
「ここにトモカ様の国を作ろうと考えております。」
「くにぃ? 人間から奪えばいいんじゃないの?」
「この世界で武力による国の乗っ取りは避けたほうが懸命でしょうね。」
「なんで? 人間弱いよ?」
「面倒なんですよ。多くの国が他の国と協力体制を築いているのです。特に戦争になると『集団的自衛権』だの『安全保障条約』だのが発動して、一国を攻めているはずが同時に数カ国の軍隊を相手にしなければならない……なんて状況になりかねません。」
「皆殺しにすればいいじゃん?」
ボロスはケロっとした顔で言い放つ。
「まぁ我々なら出来なくはないでしょうが……戦争とは勝って終わりではありません。勝った後には復興を経て通常の運営に移行しなければなりません。でも、武力で乗っ取った国に援助をしてくれる国は少ないでしょう。国際的に孤立し、最悪『奪還戦』という名目で国を焦土にされる可能性も無きにしもあらず。」
「ん〜、難しい!」
「…………。端的に言えば、国を無理矢理奪い取ると、他の国から攻撃されて国の再建どころではなくなるかもしれないということです。」
「ずっと戦ってると疲れちゃうもんね。」
「はぁ……まあそういうことですね。」
二人は一呼吸置く。遠くで稲妻が光るのが見えた。
「それで、最も穏健に土地を確保するには誰も手のつけていない島や大陸を見つけることですね。」
「海しかないよ?」
「はい。この星に見つかっていない島など最早存在しないでしょう。」
デモクリスは空を指差す。人工衛星や偵察衛星のことを言いたかったが、ボロスはそんなものは知らないだろうと気づいた。
「そこで、無ければ作ってしまえばいいのです。ボロスさん、ここに居住できそうな大きさの島を作ることは可能ですか?」
ボロスは海面を眺めて、こめかみに人差し指を当てて必死に何かを考えている。両手を海面に向けて、魔法を唱える。
「メガマリオン!」
海が激しく波打ち、突如海面から五百平方メートルはありそうな陸塊が突き出る。なるほど、これなら行けそうだ。
「お見事です、ボロスさん。これなら望む面積に達するまで魔法を繰り返せば良いですね。」
「こんなのが国になるの?」
「なりませんね。国として認められるには次の三つの要件を満たす必要があります。」
「なになに!?」
「まずは今ボロスさんに作っていただいた島、これが一つ目の要件である『領土』となります。二つ目は、その土地に住まう住民が必要です、これを『国民』と呼びます。最後は国民と土地を統治する力、『主権』が必要となります。」
「特に『主権』に関しては、『領土』に軍隊を置くなどして、他の国に実態のある統治を行っていることを示さなければならないでしょう。これを『実効支配』と呼びます。」
「ですので、事実上は『領土』と『国民』と『実効支配』の三つが揃って国として認めてもらえるかどうか……というところですね。起きてますかボロスさん?」
ボロスは物凄く眠そうな顔をこちらに向ける。瞼がほとんど閉じていた。
「正直『実効支配』に関してはどこまでの統治を求められているのか見当もつきませんが……面倒事は後々専門家に処理させようかと。」
「この世界の人間ってめんどくさいねー!」
ボロスはニッコリと吐き捨てるように言った。我々が元いた世界より遥かに文明度の高い世界で、デモクリス自身もかつてはカルチャーショックの連続だった。
「じゃあ土地はあるし、トモカ様とボロス達が住めば国民もおっけー。あとはしゅけん? がいるんだね。」
「まぁ、そうなりますね。」
こんな岩しかない土地にトモカ様を住まわせるわけには行かないが……。居城やインフラ、その他もろもろを整備しなければ到底住める場所ではない。他国に行くにも船や飛行機が必要になる。つまり港や飛行場まで建設しなければならない。
ちなみにデモクリスの、この世界に関しての知識はインターネットから得た情報だ。特に『Waikikipedia』は人間の集合知の結晶であると信じてやまない。
「もっとも、その前にトモカ様の意欲を引き出さなければならないのですが……。」
――――
――
胸に違和感を感じる。何か生暖かい物に包まれているような……それはやさしくかつ執拗に圧迫を繰り返す。
深い眠りの海から意識が浮上する。目を開けると、メイドのミクが馬乗りになって私の胸を揉みまくっていた。
「あっ! 起きましたかトモカ様!」
「ちょ、ちょっと何してるんですか!」
「モーニングサービスですぅ〜!」
ミクはその手をワキワキと動かして、私の腋の下に潜り込ませる。
「あひぃ! や、や、や、やめてぇ〜〜!!」
「あ、トモカ様くすぐり甲斐がありますね〜!」
このミクとかいう魔造人間、一見すると長い桜色の髪に、ふくよかな巨乳を持ち、その顔は哀愁を漂わせるクールで可愛らしい顔立ちだが、その性格は穏やかとは対極にある。例え主人が魔神であろうが欲望に忠実に、そして溌剌とした態度で無礼を働く。――ミクには上下関係という概念がなく、目に入る者はみんなトモダチに映っているとしか思えない。
「ミクさん……ご主人に何をしてるんですか。」
ミクの背後から女の子にしては低めの声が発せられると、『ガォン!』と金属音が響いてミクが私の顔面に倒れ込む。お互いのデコと鼻と唇が物凄い勢いで接触する。
「あわ……あわわ……。ご主人、そんなつもりでは……。」
さっきから私を『ご主人』と呼ぶ魔造人間。こちらはもうひとりのメイドのイコロだ。小柄で長くはない濃紺の髪で、気の強そうな顔をしている。実際ツンツンしているがドジで思慮が足りない、アホの子だ。
「トモカ様ぁ……。」
ミクは倒れ込んだまま私に纏わりつき、そしてまた腋をくすぐりだす。
「あーッ! だからダメだってぇぇぇ!」
私はブラが外れるまで激しくくすぐられる。
「じゃ、朝食出来てますので。」
ミクはくすぐる手をぱっと止めて、我に返ったかのように冷静になって私の寝室を出る。私はまるでヤリ捨てられたかのように目のハイライトを失ってベッドで涙を流していた。……なんなんだあのメイド。
「ご主人、あとでミクにはキツく言っておきますので……。」
イコロも逃げるように寝室から出ていった。その右手には凹んだフライパンがあった。あれでミクを殴ったのか。
涙を流しながらブラのホックを付け直し、寝室のカーテンを開ける。三十階からの外の景色は配下に乱暴された心の傷を癒やしてくれた。
<いやぁ見ものだったぞ魔神トモカ君、ハッハッハ。>
ザハークの言葉に握りこぶしを作って怒りを鎮める。ボロスやデモクリスのような対応で接してくるものとばかり思い込んでいたため、個性の強すぎるメイドには腰を抜かした。
姿鏡の前に立つ。最早完全に銀髪と化している。くるっと体を一回転させて変身魔法で黒髪だった時代に変身する。後ろ髪をゴムで縛って、制服に着替える。
リビングの黒檀で出来た立派なテーブルの上に、分厚いベーコンと目玉焼き、レタスの載ったプレートと、味噌汁と白米が準備されていた。朝から多くを食べられない私への配慮なのか、量もやや控えめだ。
「おはようございます。ご主人。」
「うん、おはよー。」
イコロはテーブルの側で控えているが、ミクは部屋の隅で頭を抑えて悶ていた。
「……何したの?」
「ミクのヤローに教育を。」
「……そう。」
ミクとイコロと生活を共にして一日とちょっとしか立っていないが、私は思うことがあった。こいつらバカなのでは? でも料理の腕はかなり凄い。目玉焼きの火の通し方や、ベーコンの焼き具合は完璧と言っていい。
美味しい朝食に舌鼓を鳴らした後、いつものように学校へ向かう。家が三十階にあるため、正直外出するのが面倒になる。
「ザハーク、ボロスとデモクリスがいないようだけど。」
<お前が国なんていらないって言ってからデモクリスは随分落ち込んでいたぞ。ボロスとどこかで話してるんじゃないか?>
「だってさぁ、国なんていらないよ。面倒なだけで旨味ないじゃん?」
<なるほど、トモカはそう考えるのか。ではお前は何を欲しているのだ?>
私の欲しいものか。うーん……。
「特にないかなぁ。」
<お前本当に元人間か? 変な悟り開いたか?>
「そんなに変かな。お金あれば大体欲しいものは買えちゃうし、デモクリスのおかげで物に困ることも……。」
<じゃあ彼氏が欲しいとかは……>
「んー興味ない。」
ザハークに体があれば口をあんぐりと開けて、そのまま顎の骨が脱臼していただろう。ザハークは元の世界ではこのような人間を見たことがなかった。衣食住も娯楽も物も溢れているのに一切の欲を抱かないとは……。
「あ、でも……志乃ちゃんなら欲しいかも。一緒に暮らしたいなー。」
<志乃って……儀式の時の生贄か。>
「私に告白してくれたとき、すごくゾクゾクしちゃった。もっともっと私のことを深く愛して欲しいな……私なしじゃ生きていられなくなるくらい。」
ひどく歪んだ笑顔をしているのが、私自身でもわかる。あの時のことを思い出すだけで呼吸が荒くなるくらいだ。心の奥まで深く深く満たされた……これは支配欲? それとも愛欲? ずっと心の内に秘めていたどす黒く濁った欲望を吐き出したような感覚があった。
私が求めているのは志乃ちゃん? それとも愛されているという気持ち?
「私、確かめたいことがある。」
<ほう?>
「まず手始めにクラスを支配するわ。」