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人を支配する、理性からの解脱

――翌朝。


「ザハーク様、儀式は今晩執り行いますので生贄の乙女をよろしくお願い致します。」


ボロスは登校する直前に私に告げる。その巨体のせいで動く度に彼の金色の角が天井を貫いて穴を空ける。お母さんに見つかったら間違いなく怒られる。先日もお母さんに『部屋で誰と話してたの?』と聞かれたくらいだ。いずれボロスの存在が知られることになるだろう。


<友香、生贄はお前の力で手に入れろ。手段は問わないぞ。>


ザハークは私の心の中で命じる。昨日といい、彼は私自信に手を下させることを重視しているように見受けられる。何かを試されているのか、それとも他の思惑があるのだろうか。ザハークの精神にどれだけアプローチをかけても、彼の心は揺るがない。


「ねえボロス、生贄を捕まえて、それをどうするの?」


昨日のボロスの話では、乙女から『魂のエッセンス』を抜き取る必要があると言っていたが、具体的な方法は聞かされていない。


「はい、『魂のエッセンス』を抜き取ります。『殺して魂を奪う』か、『感情が激しく昂ぶっている時にチャクラから抽出する』方法の二つがあります。殺して奪うのは最も手軽ですが、魂が消失するごく僅かな時間に抜き出さなければならないため、できれば『チャクラから抽出する』方法を採っていただけたら……と。」


人間として言わせてもらえば殺して奪うと社会的に厄介事が付き纏ってくるため最終手段中の最終手段であるし、今回の儀式の対価にしてはリスクが大きすぎる。彼我の倫理観の差は計り知れない。そもそも悪魔に倫理なんてものがあるのだろうか。


今回は生贄を殺さなくてよいということだろう。そうであると信じたい。


「わかりました、なんとか生贄を連れてきます……。」


私の言葉がボロスに届くと、彼は跪く。召喚された時こそむき出しの敵意をぶつけてきたが、今の彼は私の言葉でも感情を荒げることはなくなっていた。


「よろしくお願い致します。それではいってらっしゃいませ。」


ボロスの見送りと共に家を出る。いつものように校舎裏にテレポートすると、ボロスの降臨で穿たれた大穴と、校舎に大きく刻まれた亀裂のせいで立ち入り禁止のフェンスが設けられていた。――しばらくは他の場所に転移しなければ。


教室に向かいながら思案を巡らせる。ここは学校だから、純潔な乙女は比較的多いだろう。誘惑して事を済ませたあとに記憶を飛ばして適当に捨て去ろうか――いやいや、思考回路があの悪魔たちに似通ってきているぞ友香。


『あなた処女ですね? 魂をいただけませんか。』とお願いしようか。これでは頭のおかしい人に見られてしまう。こういう時に、真剣に話を聞いてくれる人――志乃ちゃんしかいない。


しかし、教室に入っていざ本人を前にするとなんとなく切り出しにくく、結局朝昼と何も出来ないまま時間だけが過ぎていく。机を指で叩きながら、志乃ちゃんの黒く長い髪を見つめて、手口を考え続ける。


「友香ちゃん、一緒に帰ろ〜」


帰りのホームルームが終わり、いつものように志乃ちゃんから帰宅の誘いが来る。これは帰り道に懸けるしかない。というかこれ以外にない。


「うん、じゃあ帰ろっか。」


私は荷物をまとめて、志乃ちゃんと下校する。『あのテレビが面白かった』とか『最近こんなことがあった』とか、いつもの他愛ない会話しているのに私はなぜか高度な駆け引きをしているような気持ちになっていた。


「最近友香ちゃん様子がおかしいけれど……。」


志乃ちゃんの言葉にギクリとして立ち止まる。いつも通りに振る舞っているつもりだが、何か変わってしまったのだろうか。


「……そうかな?」


志乃ちゃんも立ち止まり、互いに向き合う。


「うん。前と言葉遣いが少し変わったし、最近はいつもぼーっとしてるよ。」


志乃ちゃんの言葉にハッとさせられる。最近は妙な落ち着きがあるし、ザハークと話しているときは回りからはぼーっとしているように見えているかもしれない。もちろんそれだけではない、思考や倫理観も徐々に変容しつつある。それが魔神と融合したことの影響だと言うならば……。


「志乃ちゃん……私、最近ちょっと悩みがあってね。」


期せずして話を切り出すタイミングが訪れた。私はそれを逃すことなく掴み取り、話の導線を引く。志乃ちゃんは私の期待を裏切ることなく、真剣な面持ちになる。


「……どうしたの?」


私が近くの公園のベンチに腰を掛けると、志乃ちゃんも続いて私の横に座る。どのように話を続けるか。話の切り出し方だけを考えていたせいで、肝心の内容を考えられていなかった。


<志乃が友香にとって特別な存在だとアピールしろ。人間の持つ、特別な存在でありたいという欲求を突くのだ。>


ザハークの、妙に真に迫ったアドバイス。『あなたにしか話せない』とか『あなたにしか頼れる人がいないの』と言われると、つい嬉しくなったり安請け合いしてしまうことが私にもあった。


「志乃ちゃんにしか言えないんだ……私を助けて……!」


私の最大限に緊張感を持たせた言葉に志乃ちゃんは動揺を見せる。


「わ、私……友香ちゃんのためならなんでもするよ!」


想像通りの答えが得られた。そもそも彼女は他人の痛みがよくわかる人格者だ。良く言えば『優しい人』。悪く言えば『お人好し』。


――平然と最大の友人の良心を利用しようとしていることに私は気がついた。しかし呵責など一切ない。私は平気で他人の良心をくすぐって操るような人間だったのか。


「じゃあ……うちに来て。」


志乃ちゃんを自宅に誘うと、快諾してくれた。生贄の確保は成功だ。


「先に部屋に入ってて、お茶持ってくるね。」


私の自宅に到着し、志乃ちゃんを先に部屋に入れる。二人分のお茶を用意して二階の自室に入る。部屋の床一面に、真っ赤に輝くペンタグラムが描かれ、ペンタグラムの側には不気味なキャンドルと、赤い液体がなみなみと注がれた金の杯が置かれたテーブルがあった。


しかし、志乃ちゃんは何の反応も示さない。


「ザハーク様。おかえりなさいませ。あの娘には魔法陣と祭壇は見えておりません。もちろん、わたくしの声も。」


耳元でボロスの声が聞こえた。透明化しているのか、または遠くからなんらかの方法で語りかけているのだろう。


<それで、どうやってエッセンスを取るの?>


私は心の中でザハークに問う。


<『黒ミサ』、または『サバト』というものを知っているか?>


ザハークは私に問い返す。


<いいえ……。>


ザハークは一呼吸おいて話を続ける。


<どちらも悪魔崇拝や魔神崇拝で行われる儀式だ。悪魔的な効力を持つ祭壇の前で、殺しや食人、乱交に耽る儀式だ。それを主宰しているのは誰だと思う?>


私は考え込む。悪魔崇拝……なんらかのカルト的集団であることは違いないと思うが……。


<カルトの司祭とか?>


<いいや、違う。>


ザハークは更に続ける。


<我のようなインキュバスを含む悪魔達が人々を惑わし、人間を犯し、殺し、その魂を喰らうのだ。>


<一部の人間は神秘や超常に強い関心を抱く。とりわけ破滅主義で反社会的な人間は呪術を繰って他人を貶しめんとする。そんな奴らの前で『奇蹟』を起こして見せれば、『悪魔の洗礼を受ければ汝にも力が宿るであろう』と(そそのか)して黒ミサに招く。あとは……その愚か者を悪魔達が貪り殺すのだ。>


つまり、目の前のペンタグラムと、テーブルに置かれたキャンドルと杯が祭壇で、私が悪魔。そして志乃ちゃんは……悪魔に喰われる愚か者。現状を冷静に俯瞰(ふかん)すると、そのような図式が出来上がっているようにしか見えない。


<我が導いてやろう。お前が喰らうのだ。>


私に、大親友の魂を喰らえというのかザハーク。嫌悪感も罪悪感も、そして拒絶感さえないのがむしろ不快だった。


「どうしたの、友香ちゃん。」


志乃ちゃんの言葉を聞き、意識を現実に戻す。


「あっ、ごめんね。またぼーっとしてたかな。」


志乃ちゃんにお茶を渡す。二人はお茶に少し口をつける。


<インキュバスはその容姿や、誘惑、愛欲の増幅を用いて人間を虜にする。だがこの娘には……感情の増幅で十分だ。やってみればわかる。>


ザハークの最後の言葉の意味はわかりかねるが、『激情の発露』という魔法を発動して、志乃ちゃんの瞳を見つめる。彼女はもぞもぞと落ち着きを無くし、まるで私の瞳に釘付けになったように見つめ返して来る。その瞳は輝き、トロンとして潤む。


「私……ちょっと熱いね。」


志乃ちゃんはそう言うと、上着を脱いで横に置く。顔を桜色に染めて、私から視線を外し、膝においた自らの手を見つめる。その手は強く握られてプルプルと震えていた。


ふと志乃ちゃんは顔を上げ、私の瞳をまっすぐと見つめる。口からは今にも言葉が飛び出しそうに開き、唇は震え、理性が何かを言いたいことを発することに抵抗をしているように見える。


<友香もブレザーの上着を脱ぎ、ブラウスのリボンをとって第一ボタンを外せ。>


正直私は、『激情の発露』で彼女のどのような感情が増幅されたのか理解ができない。だから、ザハークの指示にもどのような意図が隠されているのかもわからなかった。


指示に従って、ブレザーの上着を脱いで、シワができないようにハンガーにかける。ブラウスにつけているリボンをとり、第一ボタンを開ける。鎖骨に空気が触れるのを感じた。


私の行動を見た志乃ちゃんは、瞼を閉じて自分の肩を強く抱いて悶ている。そして――。


「わ、私! こんなこと言うの……私もおかしいって思うけれど!」


志乃ちゃんは目を大きく見開き、まっすぐと私を見つめ、大きな声で言う。こんなに必死な顔の志乃ちゃんを見たのは初めてだ。


「あなたの……友香ちゃんの……ことが……!」


「…………」


「好きなの……大好きなの!」


「女の子同士で、こんなこと変だってわかってるけど、私は友香ちゃんのことが大好きで堪らないの……!」


私は志乃ちゃんの突然の告白に気圧されて、体が自然と後退しようとするが、ザハークがその動きを止める。


<我の今から言う言葉を反復して言え。>


<『私は女の子のことは……』>

「私は女の子のことは……」


ザハークの言葉を反復する。私の言葉を聞いた瞬間、志乃ちゃんは大粒の涙をこぼし始める。


「ごめん……そうだよね……ごめんね……ごめんね……!」


志乃ちゃんは涙を流し、泣き声を殺しながら俯いて悲嘆の沼に沈み始めた。ザハークはしばらくの間を置いて、再び口を開く。


<語気を強めて言え、『でも……志乃ちゃんなら……』>

「でも……志乃ちゃんなら……!」


私は反復する、ザハークの低く抑揚のない声の命令に。私には彼の狙いがわかった。人心を弄び、深く深く依存させる……一度拒絶を見せて悲しみを覚えさせ、次の一言で愛を見せて心を大きく揺さぶる。悲しみも喜びも魔法で極限まで増幅されているというのに。これはまさに悪魔の囁きだった。


私は初めてザハークに恐怖心を抱いた。


<とびっきりの優しさと笑顔で。「……志乃ちゃんならいいよ。私も大好き。」>

「……志乃ちゃんならいいよ。私も大好き。」


とびきりの笑顔で、とびきりの優しさを言葉に含めて言い放つ、表現の銃弾。


「あぁ……ん! んん……!!」


その凶弾を受けた志乃ちゃんは、言葉にならない声を上げてのけぞり、天井を仰ぎ、三回大きく痙攣する。


<志乃の脳みその中はシアワセ物質でいっぱい。今この瞬間はお前の言いなりだ。さあ魔神トモカ、食事の時間だ。>


ザハークの命令の一言一言が、ザハークの言葉を反復する度に私の倫理観のタガが外れていく。人間としての価値観が壊れていく、だって大親友の心を弄んでなお、私自身も昂ぶっているのだから。


そうか、ザハークは私を魔神に変えたかったんだ……人間としての理を破壊し、超越者だと自覚させたかったんだ……。ザハークの言葉を反復させて思考をやめさせ、無意識に私に刷り込んだんだ。『私は親友を弄んで何も感じない魔神(ヒトデナシ)です』と。


<理性が同意したこと以外、何も信じるな。>


ザハークのトドメの一言は、私の心をせき止めていた何かを破壊した。つかえていた何かがストンと落ちる感覚。


理性が同意したこと以外、何も信じるな。


私は震える志乃ちゃんの下に歩み寄り、優しく唇を重ねる。


「んふ!? ……ぅうん……。」


志乃ちゃん一瞬驚くが、抵抗はしない。それどころか自ら受け入れて……シアワセに溺れたような顔で唇から舌を――私の中へ。


腕を志乃ちゃんの細い背中に回し、そのまま優しく抱き寄せる。唇を離して、トドメの一撃を彼女の耳元で囁く。


「ねぇ、もしよかったら……志乃が欲しいな。」


そして私自身も、シアワセ物質でいっぱいだった。


――――

――


私は乱れた衣服を整え、床に描かれたペンタグラムの中央に出現したボロスの前に立った。


「はい、『魂のエッセンス』。」


白銀に輝く真珠のような塊をボロスに渡す。志乃は事の最中に気を失い、眠っている。何度か起こそうとしたが、その度に激しく痙攣を起こした。死んでいなくてなによりだ。ザハークが言うには、失われたエッセンスはいずれ回復するという。


「お疲れ様でした。それでは儀式を始めさせていただきます。」


ボロスは低い声で儀式の始まりを告げ、『魂のエッセンス』をペンタグラムの中央に設置する。キャンドルの炎はガスバーナーの如く勢いを増し、杯の中身は真紅の光を放つ。


杯の中身と、キャンドルの炎が『魂のエッセンス』と混ざり合い、金の光を放つ球となって……私の胸の中に吸収された。


「それでは確認をしてください。」


ボロスの言葉に従い、下半身をまさぐる。確かに、悩みのタネは綺麗に消え去っていた。


「ありがとう、ボロス。」


「ザハーク様の命に従ったまでです。」


私は志乃ちゃんを軽々と抱き上げ、彼女の家に転移する。女の子らしい、カラフルな部屋のベッドに寝かせた。


<理性の壁を超えた気分はどうだ?>


ザハークの言葉に、私は返す。


「よくわからないけれど……すごくイイカンジよ。」

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