魔神からの課題
雀の鳴き声と、差し込む陽の光で目が覚める。泣きすぎたせいで頭が痛い。
涙の効果を実感する。昨日の絶望感はなんのその、思いっきり泣いたおかげで心の整理がついた……いや、覚悟したという方が近い。
<そうだそうだ! 一本生えたくらいで落ち込むな!>
ザハークが私の内で得意げに言葉を発した瞬間、カッと怒りがせり上がる。そもそも私が両性具有者になってしまった発端は貴様だろうが、マジでブチ殺してやろうかこいつ。
鎮静……鎮静……。とりあえず制服を来て、登校できる準備をしなければならない。姿鏡の前に立って、いつものようにポニテを作って――。
髪が、髪先が綺麗な銀髪になっていた。頭頂部から毛先にかけて緩やかなグラデーションを描き、先端部は完全な銀髪と化していた。生徒手帳を取り出し、校則を確認する。服装規定には『高校生として相応しい服装を心がけ、華美な格好は控えること。』と記載されている。
……染髪は禁止とは明記されていない。しかし、この校則のやっかいなところは『高校生として相応しい服装』と、『華美な格好』の二箇所にある。どちらも明確な定義のない、取り締まる側の主観に委ねられるということだ。
<堂々と行けばよい。お前は魔神なのだぞ?>
そうだ、私は魔神なのだ。詰問された際の解法などいくらでもある。しかし、心のどこかに眠る良心が力を行使することを躊躇っていた。今なら毛染め剤を買えばなんとか。
<我から課題を出す。小細工をせず堂々と登校しろ、発生した問題は力を使って解決するのだ。>
「なんでアンタにそんなこと言われないといけないのよ。」
<もし達成したら股間のそれを隠す術を我が考えよう。>
「乗ったわ。」
私とザハークは魂の中で熱い握手を交わす。記憶も思考も繋がっているが、全てが筒抜けというわけではないらしい。隠したい情報は隠せる。そして、相手の記憶を参照するのには長い時間を要する。
身支度を再開する。ポニーテールは今のグラデーションヘアには合わないので、ドライヤーで軽いウェーブを作ってみた。制服に着替えて、準備完了。
下階で簡単な朝食を済ませ。家を出る。
「テレポーテーション。」
家の庭先から場面が切り替わり、学校の校舎裏に転移する。普段は三十分ほどかけて登校しているが、テレポーテーションの気軽さを味わうと足を使う気が起きない。
正門に回り込み、玄関へ向かう。赤いジャージを着た先生が入り口で見守っていた。服装違反者等はここで追い返されることもある。
「おい、そこの君。止まれ。」
先生の真横を通り抜けようとした時、やはりというべきか声をかけられる。誘惑をかけて黙らせようか。
<気をつけろ、普段と違う行動をする人間を見たら、それに疑問を抱く者が現れるぞ。>
ザハークの、遅すぎる忠告。やむを得ず『アムネイシア(忘却)』という魔法を極めて低度にして行使する。
「ん……あれ、何を言おうとしたんだっけな。あーなんでもないぞ。」
先生は何を言うべきかを忘却してしまう。おかげで難なく校舎に入ることができた。力加減を間違えていたら記憶を丸ごと吹き飛ばしていたところだ。
「これでいい?」
小声でザハークに問う。
<問題はない。だが、声をかけられる度に忘却させるつもりか? もっと最適な方法があるはずだ。>
確かにザハークの言う通りだが、彼は"最適な方法"というものを提示してこなかった。自分で考えろということだろう。
ザハークの心と繋がっている私の魂は、彼が何らかの企みを抱いていることを感じていた。それが何であるかは深く閉ざされているが、少なくとも悪意はない。
「友香ちゃん、おはよ〜!」
志乃ちゃんだ。今日も綺麗に整えられた黒髪が可愛らしい。
「あれ? 髪染めたの?」
この子で試してみようか。『誘惑の視線』で志乃ちゃんの目を見つめる。彼女の瞳は光を失い、朦朧として眠そうな表情になる。よく考えてみると、誘惑して服従させたところで、忘却と同じようにかけられた人以外に通用しない。
これは失敗。効果を解く。
「志乃ちゃん、眠いの?」
私が声を掛けると、志乃ちゃんはハッと意識を取り戻す。
「あれ? おかしいな。」
志乃ちゃんは目をごしごしと擦って、大きくあくびをする。私はずっと志乃ちゃんを凝視して、彼女の目を騙すか思案を巡らせていた。
"目を騙す"。そうか、私の姿を偽ればよいのだ。こんな単純な答えを見落としていたなんて。思い出せば、ザハークも先日言っていたことだった。
姿を偽り、幻覚を見せることもできると。
私は、自分の元の姿を強く意識して、自分自身に変身する。
「ねえ志乃ちゃん。今日の私に変わったところないかな。」
志乃ちゃんは、目を丸くして私の全身をくまなく観察する。頭の先からつま先まで……。まじまじと見つめられると、とても恥ずかしい。
「んー、いつもと変わらないと思うよ?」
志乃ちゃんは自信が無さそうに答える。確かに"いつもと変わらないように"見せているが、もっと明確に変身が成功しているとわかるワードが欲しい。
「じゃあ……私の髪型は?」
志乃ちゃんは問に対して首を傾げ、間違い探しをするように私の頭部を凝視する。そして、謎掛けに解答するように、恐る恐る答える。
「……ポニーテール?」
今日の私はポニーテールにはしていない。変身が成功している証左だろう。
<これでどう?>
心の中でザハークに問いかけると、小さな笑い声と共に応答があった。
<ああ、及第点だ。>
及第点、満点ではないということか。
その後のホームルームや授業でも髪の色について問われることはなかった。いつもの一般女子高生『舞桜 友香』として見られていたと思う。
<おい、放課後に時間を作ってくれ。>
<"おい"って呼ばないで。私は舞桜 友香って名前があるんだから。>
ザハークは一瞬押し黙る。
<友香、放課後に時間を作ってくれ。>
"課題"達成の約束を果たしてくれるのだろう。私なりにも考えてはみたが、例えば変身状態を維持するとか、幽体化させるなど。ザハークの知識の海には数え切れないほどの魔法と能力についての情報が蓄積されていて、とても今の私には引き出しきれる量ではなかった。
――放課後。
ホームルームが終わり、大きく伸びをする。
「友香ちゃん、一緒に帰ろ〜」
志乃ちゃんは私の席の横に立つ。
「志乃ちゃん、ごめんね。ちょっと寄らないといけないところがあって……」
「そっか、じゃあまた明日ね」
「ごめんね〜」
志乃ちゃんの誘いを心苦しくも断り、一人の帰路につく。普段は志乃ちゃんと一緒に帰っているのだ。
<人目のない場所に行ってくれ。>
人目のない場所……校舎裏くらいしか思い浮かばない。教室を出て、人通りのない階段を登り、周囲に誰もいないことを確認してから唱える。
「テレポーテーション。」
瞬きする間よりも一瞬で校舎裏に転移する。登下校でも使用するお決まりのホームポイントになってしまった感がある。
「ここでいい?」
<ふむ、まあいいだろう。悪いが少し体を借りるぞ。>
私の体が地面に手をかざすと、青白く輝く魔法陣が出現する。魔法陣を構成する線の一本一本が眩い光を放つ。
<何をするの?>
いつもとは逆に、私が心の声で会話をする。
「我の臣下である『ボロス』という悪魔を喚ぶ。彼は魂の専門家だ、我々の状態について詳しく知っているかもしれん。」
口調はザハークだが、声は私のものだ。いつも聞いているザハークの声と異なるため、若干の違和感がある。
ザハークは自らの知識の海に浸り、この場に最適な魔法を吟味していた。
「死都に堕つ神格の呼び声に応えよ。八百万の獣を統べる者――『ボロス』!」
紫と金に輝く光の塔が天まで貫く。晴れ渡っていた空は黒雲の渦に隠され、稲光が走る。第六感が告げている――強大な力を持つものが近づいている。
黒雲の渦の中央から稲妻を纏った闇が、私の前に飛来する。それは轟音を立てて着陸し、咆哮する。その音圧で校舎の外壁に裂け目が生まれ、校舎裏に面している窓ガラスは全て砕ける。
それは二足歩行だが骨格が明らかに人のものと異なる。筋骨隆々とした肉体は人間と比較にならないほど大柄で、外皮は黒檀のように黒く染まっている。黒い、ヤギの頭蓋骨のような頭部に立派な双角が生え、尋常でない存在感を醸し出している。
「人間の小娘がこの私を喚び出したというのか。」
その怪物の、瞳のない眼孔が私を睨みつける。このような怪物が現れたら、普通は腰を抜かすとか、逃げ出したり恐怖に駆られるのが通常であろうが、不思議と私にはそれがなかった。
「ボロス。召喚に成功してよかったぞ。」
ザハークが私の体を借りてその怪物に話しかけると、怪物は一層迫力を増す。
「人間が私の名を口にするか……主ノ庭二蔓延ル、カビノブンザイデ……!」
怪物はどこからともなく黒い斧を抜き出し、振り下ろす。私の右足が地面を強く踏みつけると、私の体を内包するように、鏡で出来た三角錐が出現した。
斧が三角錐に直撃すると、三角錐の鏡面から金色の光が噴出し、怪物を後退させる。
「我はザハークだ、わからぬかボロス。」
「主ノ名ヲ騙ルカ……」
再び怪物は斧を構える。
私の体から銀髪の男が飛び出す。青く輝くその姿は、初めて出会ったときのザハークそのものであった。
「ザ、ザハーク様……!」
怪物は二歩、三歩と下がり、跪く。
「面を上げよ、ボロス。お前を召喚したのはこの我だ。」
怪物は跪いたまま顔だけ上げる。ザハークの姿が消え、青い粒子となって私の体に戻る。
「故あってこの小娘と融合してしまったのだ。」
私の体に戻ってからは、やはり私の声で発せられる。怪物――ボロスは首を掴まれた猫のように大人しく、そして迫力が消え失せていた。
「あぁ……御身の恩を仇で返してしまいました。何卒お赦しを。」
「よい、我とて小娘と融合するなど想定外の出来事だった。」
「魂の融合……その人間と魂の同位関係にあったということでしょうか。」
ボロスの眼孔の奥が青く煌めいている。肉体の奥底を見定められているような感覚がする。
「そうだろうな。我としては魂の同位体は丁重に扱いたい、だがある問題が起きてしまった。」
ボロスは熱心にこちらに視線を向け、傾聴していた。
「問題……と申しますと?」
「問題というのは、この娘の体に我の身体的特徴が現れているのだ。」
ザハークの言葉に、ボロスは唸る。
「特に両性具化してしまったことが、娘に大きな精神的負担を与えている。」
「なるほど、つまり元の人間の姿に戻したいということでしょうか。」
私の体は大きく頷く。
「それは可能なのか、ボロス。」
「容易くはありませんが、可能かと。」
一生の付き合いになると覚悟していたが、光明が見えてきたような気がした。だが、肝心なのはその方法だ。
「失礼かと存じますが、拝見してもよろしいでしょうか。」
ボロスは低い声で言い放つ。まさかこの場で晒せというのか。
「許す。」
ザハークは私の手を繰って、迷いなくスカートに手をかける。
「ちょっと待って!」
腕の制御権を求めて体の中で激しい奪い合いが起こる。両者は拮抗し、腕がプルプルと震えた。
「見せねば治るものも治らんぞ、友香。」
「そういう問題じゃなくて! 外で出すのはまずいって!」
「恥ずかしがっている場合ではあるまい。」
「せめて! 場所だけ変えて!」
全て私の口から発せられており、恐らくボロスには独り言で会話している気の触れた人間のように映っているだろう。ザハークが魔法を唱えると、私とボロスは私の家の自室に転移した。ボロスは屈んで天井に頭を接触させないようにしている。
「ほら、場所を変えたぞ。さあ、とっとと曝け出せ。」
ザハークは体の制御権を私に返す。いっそ操ってくれたほうが幾分か不可抗力として受け入れられたのに。
「ザハーク様?」
ボロスは私の目を見つめて、待っている。こんな怪物に曝け出せと、しかも自分の手で?
<何を恥じらっているのだ。ボロスは『グレーター・デーモンロード』だ。人間に欲情などせんわ。>
覚悟を決めろ友香。これが終われば全て元に戻るんだ。ちょっとした手術みたいなもので、医者に患部を診察してもらうだけに過ぎないのだ。両手でスカートを掴み、覚悟を決めて一気にたくし上げる。
ゆっくりとボロスが接近する。
「申し訳ございませんが、腰布をとってもよろしいでしょうか。」
腰布とは下着のことか。当然、患部を診察するのだから取らなければならないだろう。
「……は、はい。」
ボロスの巨大な指が下着を下ろす。ボロスを直視できないため、視線を右に逸らした。――姿鏡に映る、怪物に下半身を凝視されている少女の姿。顔面から火を吹きそうなほどの羞恥心で、鏡に映る私の顔は真っ赤に染まっていた。
「それでは調査を始めます。」
えっ、まだ始まってすらいなかったの?
「ソウル・アナライズ。」
ボロスの人差し指と親指が薄紫に輝き、その指は私の下腹部を摘む。
「ひやぁ!?」
大きな声が出る。そこに触れるなんて聞いていないぞ。ボロスは下を向き、意識を研ぎ澄ませている。指の光が強くなった瞬間、ゾクゾクと腰のあたりが熱を帯びる。
「種族は人間とインキュバスの混成、種族的にも共通性の高い魂と言えます。 魂の融合で肉体に変異が生じることはまずありませんが、ザハーク様の神性が影響を与えていると推測。」
ボロスは淡々と調べ上げている情報を述べる。
「んん……んんん……!」
私は腰に渦巻く耐え難い熱と羞恥に胸を震わせ、声が漏れないように口を手で抑えて天井を仰ぐ。
「インキュバス族特有の特定形態の希薄さのおかげで神性の影響があっても治療が可能と判断します。生贄は純潔な乙女を一人、祭壇を作り、乙女から魂のエッセンスを抜き取る。」
「エッセンスを精製し、神性が影響を与えている魂のレセプターに流し込むことで完了致します。」
ボロスが手を離す。しかし熱の暴走は止まらない。
「う……あぁぁ……!!!」
頭が真っ白になり、膝から崩れ落ちる。
「魔力を魂まで流しましたから、抜けるまでしばらく触れた部分に熱さのようなものが残りますが、直に収まるので安静にしてください。」
「私は儀式の準備を致しますので、少しの間席を外します。」
ボロスはどこかに転移し、消え去った。私は、ここから1時間ほど魔力が抜けるまで熱に悶え続けたのだった。