悪夢的な洗礼
「っハァ!?」
布団から飛び起き、置き時計を掴み取る。八時、やばい遅刻してしまう。
全身がオーバークロックしたような機動力で行動を開始する。クシで髪を整え、用済みになったら放り捨てる。ハンガーにかけたブレザーを着用。
姿鏡に映る私、舞桜 友香。地味でも派手でもない無難な女子高生。黒いゴムを取って、後ろ髪をまとめる。所謂ポニーテールというスタイルに分類されるのだろう。サイドバングを長めに残しておく髪型が流行していると言うが……街中に溢れすぎていて個性に欠いてしまった感が歪めない。
前日に準備しておいたバッグを肩にかけ、全力で下階に下り降りる。キッチンから食パンを一枚取り、トースターに投げる。焼けるまでの間、洗面台で髪型を整える。
ありきたりなサイドバングが特徴的な前髪は問題なし、寝癖なし、ポニテOK。キッチンからトースターが焼けたことを告げる特徴的な金属音が鳴る。
踵を返し、再びキッチンへ。トーストを引き抜き、バターを設置。
「おかあさん行ってきます!!!」
トーストを口に咥えたままローファーを履き、お母さんに挨拶をして家を出る。体育祭以来の全力ダッシュで矢の如く路地を駆け抜ける。
ふと感じるデジャブ。まるで古典ラノベやアニメのヒロインのようではないか。あの路地を曲がると運命の人と衝突するのだ――だなんて高校生にもなって何を考えているのか。
ほぼ直角に路地を曲がった瞬間――天空から紫と金色の光を放つ柱のようなものが眼前の地面に突き刺さる。
「うおっ……痛ったぁ!」
光の柱に衝突し、勢いで弾かれて尻餅をつく。まさか本当に運命の人と衝突したのか。一回の遅刻と運命的な出会いは天秤にかけることはできない。圧倒的に運命の人を選ぶぞ。
光の柱の残光、砂煙が巻き上がり視界が遮られる。コンクリートは抉れ、めくれ上がっている。その向こうには"何か"が立っていることを、うっすらと浮かび上がる影が示唆していた。
「肉体が消失するとは一体何事だ? 我が転移に失敗したとでも言うのか。」
砂埃の向こう側から聞こえる、低く落ち着いた声。やがて風に吹かれて砂埃が晴れると、その声の主が姿を現す。
薄ら青く光る、半透明の男。背は高く精悍な顔立ち、無造作な銀髪に――黒い角が二本生えている。たくさんの禍々しい装飾の施されたローブを着こなし、端然と立ち尽くしていた。
宇宙人、悪魔、それとも変質者かコスプレイヤーなのか。その男は私を視認すると、一時の間をおいて右手を向ける。
「人間。貴様の肉体を頂くぞ。」
まずい。これは変質者だ。身構えた瞬間に、その男は光の玉に姿を変えて私の体に飛び込んできた。
<オッ……ヤッベ……。>
心の奥から、気色悪い声が響く。その声質は間違いなく先程の男のものだ。心臓が激しく波打ち、赤熱する金属のように熱く滾る。手足はガクガクと痙攣し――稲妻が脳天から踵まで貫いたかと錯覚させるような衝撃と痺れが襲う。
やがて全てが正常に戻る。路地の真ん中で呼吸を荒げながら天を仰いで倒れていた。何事だ。変質者に襲われてショックで意識を飛ばしてしまったのか。
「誰が変質者だ。我は魔神ザハークであるぞ。」
私の口がひとりでに声を発する。
「な、なに!?」
私も声が出せる。操られたわけではないのか……。一体何が起こったのだろうか。眼前にはあの男はいない。あるのはコンクリートが抉られて土がむき出しになった地面のみ。
「我は貴様の肉体に憑依し、乗っ取ろうと試みた。しかし、魂の性質が極めて似通っていたために融合してしまったのだ……人間よ。」
「まさか異次元同位体だとは思わなかったぞ。」
また私の体が勝手に喋りだす。二重人格だとか、怪しげなメッセージを受信するような人間になってしまったのか。今度は操られるように体が立ち上がる。
「クソ鈍いなこの人間。これならどうだ。」
「テレポーテーション!」
場面が瞬間的に切り替わる。白い建物に、グラウンド……ここは私の学校ではないか。ついに第二の人格が私の体を乗っ取ったというのか。
――ふと、落ち着きを取り戻す。まるでスイッチが切り替わったように。
そうか、私魔神と融合したんだ。
<ようやく魂が定着したようだな。>
不思議と、心の中に響く声の主の正体がわかる。
魔神ザハーク、種族はインキュバスの魔神化種である『ノクターナル・ディヴィニティ』。
私の知らない記憶や、情報が頭の中に刻み込まれていた。先程の混乱が嘘のように、さも昔から魔神であったような感覚だ。
「私がお前のことを知っているように、お前も私のことを知っているの?」
私と同化した存在に問う。魂の奥底から声が発せられる。
<お前って言うな。我はお前の記憶も知っておるぞ、今日の下着の色は青と白のストライプだ。そうだろう?>
「てめぇブチ殺すぞ。」
――言葉遣いまで魔神の影響を受けているようで、普段使わないような、男性的で汚い言葉の数々が脳裏に現れた。口を突いて出た言葉も、普段ならば絶対に口にしない。
「あの……できれば早めに出ていってもらえませんか?」
私はなんとか平時を取り繕って、穏やかな口調で頼み込む。
<無理だな、憑依ならともかくお前の魂と融合し、一つの魂と化してしまったからな。>
ということは、一生この魔神と共に過ごすのか? さらに言えば全てを見られるのか? トイレも風呂も……。
<……まぁそうなるな、トイレも風呂も情事も全て我と一緒だ。>
膝をついて倒れ込む。人生終わった……もうお嫁に行けない……。一生辱めと共に生きるんだ。
<お前はもう人間じゃなくて魔神だから人生という言葉は適切ではない。望むならば女体になれるが……。>
知っとるわ。サキュバスもインキュバスも精を貪る人間の趣向に合わせて姿を変えているだけで、どちらも同一の種族だとザハークの脳みそに書いてある。問題は男として眼の前に現れたせいで、私のザハークへのイメージが男に固定されたことだ。
<難解な思考回路をしておるな。>
何千万年と生きてきた魔神の人格と、16歳の女子高生の人格がせめぎ合ってわけのわからない精神状態に陥る。
「で、何が目的なの?」
ザハークの記憶によると……延々と素数を数えたり一人でしりとりをしている記憶が大半を占めている。なんだこの寂しいヤツは。
<寂しいとか言うな。事情があるのだ。我は故あって異世界からこの世界に転移した。しかし、転移の際になんらかの原因で肉体を失った。>
<それで、偶然目の前にいた人間の肉体を奪って体を取り戻そうと試みたのだ。>
結果として憑依した相手が異世界同位体という魂の性質が全く同一の人間で、融合してしまった……と。
<その通り。詫びと言ってはなんだが、肉体の主導権はくれてやろう。自慢だがこれでも魔神でインキュバスだ。人を魅了し、操り、堕落させ、服従させる。姿は変幻自在に変えられ、ショック死を起こさせるような幻覚も見せられる。>
<あとはまぁ、魔法をいろいろ。>
終始上から目線なのが気に入らないが、その"いろいろな魔法"が一番使えるのではないだろうか……と知識をまさぐって思う。
<さて、そろそろホームルームの時間ではないかね?>
テレポートさせられたおかげで、かなり早く学校についてしまったが、ザハークと話しているうちに丁度よい時間になっていた。グラウンドから正門に回り込む。たくさんの生徒が玄関に入り込んでいた。
<ずっと思っていたが随分発達した文明だな。衣服なんて人間の分際で上等なものを着ておる。>
ザハークの言葉を無視して自分のクラスルームに入る。
「友香ちゃんおはよっ!」
私の属する"無難な女子高生グループ"の一人で、私の前の席に座っている西条 志乃ちゃんが挨拶をしてくれた。
「おう、苦しゅうない。」
「えっ。」
私は手で顔を覆う。自然に出てくる言葉が『苦しゅうない』だと? 志乃ちゃんが妙な顔をしているではないか。咳払いをしてニッコリと笑顔を作る。
「おはよ、志乃ちゃんっ。」
いつものように、明るく挨拶を試みた。笑顔を作っている表情筋がピクピクと震える。必死に笑顔を維持しながら窓際の自席に腰を掛けた。
ホームルームが始まり、ぼーっとしている間に一限目の授業が始まる。ザハークは随分と熱心に授業を聞いている。異文化の授業というのは面白いものなのだろうか。
ふと、鼻をくすぐるよい香り。周囲に気を使って小さく香りの正体を探る。正面、志乃ちゃんだ。香水でもつけているのだろうか、それにしてはごく自然な……いっそ、その長い黒髪に鼻をうずめて……。いやいや、落ち着け。
手の甲にボールペンを刺して正気を確かめる。ボールペンがぽっきりと折れ、手の平が黒いインクで染まる。正体不明の悶々とした気持ちのまま午前が終わった。
「友香ちゃんお弁当食べよ〜……ってどうしたの!? 手真っ黒だよ!」
志乃ちゃんは私の椅子の横に立ち、私の右手を指差す。
「ボールペン折れちゃった!」
ニッコリと笑顔を作って返答するが、この場面で笑顔はそぐわないような気がした。
「ぼ、ボールペンってそんな簡単に折れるの……?」
まぁ、折れませんよね。普通は……。
私の視線が無意識に、ふわりふわりと揺れる志乃ちゃんの、詰めて短くされた制服のスカートの裾を追いかけていた。ここでもう一度私は考え込む。ずっと悶々としているが、この気持はなんだろう。
「友香ちゃん……今日具合悪いの……?」
視線を上げ、私を心配している志乃ちゃんの愛らしい顔を見た瞬間に、さらなる違和感が訪れる。下腹部の圧迫感、妙にふわふわした気持ち。
「志乃ちゃん、私お手洗い行ってくるね?」
そろそろと静かに席を立ち、ダッシュで教室を飛び出る。やばい、この体に明らかな異変が起きている。トイレに駆け込み、個室に飛び入り、ロックをかける。念の為、数回扉を押して開かないか確認。
走ったことと、妙な緊張感で呼吸が荒くなる。
天井を見上げながら、ゆっくりと制服のスカートの裾を持ち上げる。
「ふーっ、ふーっ。」
勇気を振り絞れ。あともう一歩だ。左手でスカートの裾を抑えながら、右手でしましまの下着を下ろす。視線を下に向けた。
「!!?!?」
瞳孔が開き、視界に入った驚愕の光景に口を手で覆う。
<これはひどい……まさかこんな異変が起こるなんて。>
ザハークの声は明らかに引いていた。見たくないものを見ているかのような……。
「おいザハーク。これはどういうこと?」
<どうと言われても……見た通りとしか。>
下着とスカートを整える。個室の扉にもたれかかって気を確かに持つ。これは悪夢か、それとも天罰か。これが夢なら早く醒めてほしい。体の中から巨大な癌が見つかったような、または朝起きた瞬間、鼻先にゴキブリが鎮座しているのを見てしまったようなショック。
これで全て納得がいった、私は今同性を意識しているのだろう。感情的な衝撃の波が収まると、ムクムクと膨れ上がる――怒り。
「この……」
私の怒りは女子トイレに地震のような振動を起こす。トイレ内からいくつかの悲鳴が上がり、バタバタとトイレの外に逃げていく。
「クソ魔神がァァァ!!」
慟哭と共に正面の便器が破砕され、そして私の入っている個室を中心に女子トイレ内の全ての仕切や便器が瓦解した。破片のレベルを通り過ぎ、塵のようになっている。地面は大きくヒビ割れていた。
教室に戻って帰り支度をして早退の準備をする。
「友香ちゃん大丈夫!?」
志乃ちゃんに呼びかけられ、その顔を見ると罪悪感で涙腺が緩んだ。その場から逃げ出すように走り出す。
<お、おい……あまり気を落とさず……。>
ザハークの声は完全にドン引きして引きつっていた。思えばこいつが来たことでこんなことになったのだ。いつか魔神の人格を殺して力だけ奪ってやる……。
<お前、考え方が魔神になってきたな。>
帰り道に、衣料品店で恥ずかしさ半分で男性用のトランクスを購入し、帰路につく。その夜は、一晩中泣きじゃくったのだった。