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欠けない月の輝く夜  作者: メグミ アキラ
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7


「うわああああぁ――っ!!」


 全力で叫んだ自分の声に身体がビクビクとソファの上で跳ねる。

 真っ白な天井に、夢とわかっていたはずが混乱する。濃密な錆びた匂いが身体を包んでいるように未だにはっきりと感じられた。

 全身の毛穴が開いたように汗がふきだして、手の平がぬめる感触に肩が跳ね上がる。恐る恐る確認すれば、赤く染まってはいなかった。


「輝也君!」

 駆け寄ってくる影にも怯えて振り返れば、外出着の長兄が心配そうにソファの横に膝をついた。

「…直美兄さん」


 加減なく叫んだせいで傷めたのか、声が少し掠れた。震えがまだ止まらない。

 労わるように手を握られて、また少しビクリとしてしまう。


「大丈夫かい?」

「夢を、見て」

「うん」

「人が倒れてて…血が…」


 話しながら、重ねた手の下の、輝也の手が何かを確かめるように動くのに気づいて直美は眉をひそめた。


「いつもと違う夢を見たのか?」

「…いつもと、同じ夢…」


 輝也の顔が痛みをこらえるように歪んで、直美は輝也の頭をそっと抱き寄せた。あやすように背中を叩かれて輝也の身体からこわばりが少し緩む。夢の残り香が消えていくのを感じて、輝也はゆっくりと息を吐いた。


「今は無理に話さなくていいよ。落ち着いてからで」

「…ありがとう、直美兄さん」




「しかし、綺里君がいたら大騒ぎだったろうな」


 顔を上げて震えが治まった輝也を確認して、直美がニッと笑って明るい声を出した。


「輝也君の兄さんは心配性だからね」

「過保護だよ」


 苦笑をかえしながら、時計を見れば、帰ってから一時間も経っていない。綺里はまだ部活だろう。少しほっとしてしまう。


「そういえば、直美兄さんは早かったんだね」

「ああ。研究も一区切りついて、昼過ぎに顔を出したら今日は用もなかったからね、久しぶりに買い物なんかを楽しんできたよ」


 お茶でも入れようかと直美が立ち上がる。輝也も手伝いに立とうとしたら、近くに落ちていた本屋の袋を手渡されてソファに逆戻りになった。

 もう大丈夫なのにと思って見ていると、キッチンに行くには少し遠回りした直美がリビングの入口に放り出されていたカバンをさりげなく拾っていく。


「あ…」


 帰ってきて輝也の悲鳴を聞いた直美が荷物を投げ捨てながら駆けつけてくれる姿が浮かんで、輝也は立つのを諦めて背もたれに身体を預けた。胸がじんわりと暖かくなる。


「なに買ったの?」

「見ていいよ」


 キッチンからの声が笑っていて何だろうと出してみれば、世界の家庭料理のレシピ本だった。パラパラとページをめくってみても、ロシアのボルシチくらいしか知っている料理が見当たらない。


「しばらく綺里君の夕食を食べれそうだからリクエストをしたくて。本屋で色々見ていたら、最終的にそこに行き着いちゃったんだ」

「未挑戦のレシピばっかりだし、喜ぶんじゃないかな?」


 考えすぎてこじらせてしまったと肩をすくめる直美に笑ってしまう。負けず嫌いな綺里は、手間がかかると少し文句を言いながらも作ってくれるだろう。


「さあ、特製ブレンドのハーブティをどうぞ?」


 すっきりと爽やかな香りが広がる薄桃色のお茶は、口にするとほのかな甘みとかすかな苦味があった。


「美味しい…」

「それは良かった」


 体がふんわりと緩んでお腹から温まる。カップが空く頃には輝也の頬に赤みが戻ったのを見て直美は微笑んだ。


「綺里君が過保護なのには理由があるんだよ」

「理由?」

「僕たちが初めて会った時、輝也君は誰とも話さないで、夜は月ばかり見てた」

「月?」


 夢のことが頭をよぎるが、直美の声は深く静かで、子守唄のように輝也の心をなだめた。


「泣いて、帰りたいって言ってるのを見てね。名前もそうだから、綺里君、目を離したらかぐや姫みたいに月に昇っていくんじゃないかって心配してね」


 ずっと近くにいて世話を焼いてたよと、懐かしそうに笑う声がひそやかで心地いい。


「かぐや姫って…」


 輝也も息をつくように笑って、閉じようとする瞼に抗った。先ほどの眠りでは取れなかった疲れが残っていて、リラックスしたところに睡魔が忍び寄っていた。

 もう少しこの話を続けたい。輝也の記憶にない頃の話を兄がしてくれるのは稀なことだ。


「少しずつ僕らに心を開いてくれて…でも5日後に輝也君は帰っていった」

「え…」

「だから綺里君は過保護なんだよ」

「覚えてない…」


 どこに帰ったというのだろう。それに、この家に来てからのことは記憶にあるつもりだったのに、いつの話なのか。

 いやそれよりも、記憶をなくした事故で天涯孤独になり、この家に引き取られたと聞いていたのに、記憶がある時に出会っていた?

 飛び起きて尋ねたいことばかりなのに、身体は半分眠りかけているのか起き上がることができない。思考にも靄がかかって質問が言葉にならない。


「直美、兄さん」


 救いを求めるように呼びながらも瞼が落ちる。


「そのまま眠るといい。もう夢も見ないよ、僕の特製ブレンドを飲んだからね」


 優しく頭を撫でられて、最後の力がフッと抜けた。

 眠りに落ちながら、それでも1つだけと絞りだした問いは輝也自身も意外なものだった。


「ぼく、ピアスしてたこと、ある…?」





「ただいまー」

「おかえり綺里君」


 綺里が帰るといつもは聞こえない声が返って嬉しくなった。しかし、いつもの声が返ってこない。

 玄関に弟の靴はある。首をかしげながらリビングに入ると、一人で見たことのないレシピ本を片手にお茶をする兄がいた。


「直兄、輝也は?」

「部屋で寝てるよ。朝まで起きないと思う」


 直美の断定的な言葉に階段へ向かおうとしていた足が止まる。


「何か飲ませたの?」

「安眠効果の特製ハーブティーブレンドにブランデーを少し、ね。特別なのは準備なしには作れないよ。それに凄く疲れてるみたいだったから、必要もない」

「なにがあったの?」


 顔をこわばらせる綺里にソファをすすめて直美は立ち上がった。

 じっと見つめてくる綺里に薄い黄色のハーブティーを差し出して、元の位置に座ってから口を開く。


「夕方にここで寝てて、また月の夢を見たらしい」


 黙ってお茶を口にする綺里を見ながら直美はゆっくりと続ける。


「ひどい悲鳴を上げて起きて…混乱して震えていたから詳しくは聞いてない。でもどうもいつもの夢とは少し違ったようだよ。血が、と言っていた」

「…」


 カップを握る綺里の指が力んで白くなった。

 2人とも、月の夢の内容は輝也から聞いて知っている。夢で血が流れることはなかった。しかし、直美と綺里は血が流れる場面に心当たりがある。


 ――夢でなく、輝也の記憶の中でならば


更新が遅くなってしまいました。

無駄足踏ませた方、いらしたらすみません。


相変わらず一話ごとの長さに悩んでいます。

綺里と直美兄さんの会話はまだ続きます。

あ、直美は「なおみ」です。

念のため。


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