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午後の休み時間の霜月は再び人に囲まれていて、輝也は話すことも近づくこともなく過ごした。
小野田は茶道部へ、俵は図書室へ行くと言うのに少し話して別れた。
グラウンドはいくつかの運動部が練習を始めていて活気に溢れている。輝也はそちらを見ないようにして校門を目指していて、前から走ってくる集団に足を止めた。
見知った顔が数人いて陸上部だとすぐにわかる。輝也に気づいて声をかけて行ってくれるのに軽く答えながら見送って、今日のアップは外周のジョグだったのかと思う。
話してないでさっさと帰るんだったと考えてしまう自分が苦々しかった。
振り切るように校門の方へ向きなおして、そこにいて睨んでくる目に輝也は動けなくなった。
「大野…」
「帰るのか」
「…うん」
「最近、朝とか、走ってるだろ」
「…」
自分の『こっそり』は知られたくない人全員に気づかれていることに輝也は落ち込みたくなった。現実逃避だ。
「ならなんで陸上部を続けない?」
「…だからそれは」
「嘘はつくな」
聞かれるたびに口にしてきた答えを繰り返そうとして遮られる。大野以外はみんな納得した答えだ。でも大野だけは納得しない。
当然だと輝也は思う。
家のためというのは嘘だと大野は知っているからだ。
昨年春に母が亡くなってからも大野と一緒に練習して、3000メートルのライバルで、高等部でも続けると約束していて…。
嘘やごまかしを許さない奴だということを輝也は知っている。だからこそ元の、親友と呼べたかもしれない関係には戻れないと諦めていた。
本当の理由を言うつもりはなくて黙っていると、失望したように大野が視線をはずして呟く。
「…お前、弟はいないだろ」
綺里のことも輝也が養子なことも大野は知っている。輝也が話したからだ。大野とは色々なことを話す仲だった。
「お前、嘘ばっかりで。お前にとって友だちなんていないんだろ」
「そんなことっ…!」
何を言われても仕方ないと思っていたけれど黙っていられなくて口を開けば、強い目を返される。
「なら話せ」と言われているけれど、輝也は口を閉ざすしかなかった。
「……言えない」
短い沈黙の後、うつむいた輝也の横を風が流れた。大野がグラウンドへ走っていったのがわかった。その背中を追いかけて走りたい気持ちが足を震わせたけれど、輝也はゆっくりと歩いて家を目指した。
「言えない」と言った親友は苦しそうだった。
それ以上聞くことができなくてグラウンドに向けて大野は走るしかなかった。
何がそんなに輝也を苦しめるのだろう。想像もつかなくてもどかしい。
しかし言えないのならば仕方ないと思った。嘘だとわかりきった嘘をついて約束を破られたことはめちゃくちゃムカついていたが、言えないと言うのなら、無理やり聞き出そうとするほど友だち甲斐がないつもりもない。
だが輝也はそうじゃない。
そもそもとは別の苛立ちに噛み締めた奥歯が鳴る。
「あいつ…『大野』ってなんだよ」
中学の時は『輝也』『保博』と下の名前で呼び合っていたけれど、輝也の嘘に大野が怒り出した頃から苗字で呼ばれるようになった。
人見知りというか、輝也は踏み込むのも踏み込まれるのも慎重で過敏だった。
つきあっていてそれはすぐに気づいたが、中一から徐々に仲良くなって、自分にはすっかり心を開いてくれていると思っていたのを一気に距離をとられて、親友だと思っていたのは自分だけかと更に怒りが増した。
「だいたい、距離をとるなら俺からだろうが!」
グラウンドに入って大野はグッと走るスピードを上げた。
中高一貫校とはいえ一応の内部受験があるため、部活は遅くとも三年の秋には引退するのが決まりだった。
勝負を言い出したのは大野からだ。ベストタイムは大野の方が少し良かったが、お互い9分10~20秒台で勝ったり負けたりのライバルで切磋琢磨してきた。高校では3000がないので、中学陸上部の思い出に最後の本気勝負をしようと言って、輝也も笑って受けた。
誰も見てない中、2人だけで走るのは楽しくて、お互い必死なのに笑いたくなって困った。
最後のスパートはほぼ同時に始まった。大野が少し前に出て残り200メートル、勝ったと思った瞬間、今までにないスピードで輝也が大野を抜き去った。ぐんぐん離れていく背中は目を剥く速さで、そのままゴールするのを見送るしかなかった。
訳が分からなくて、今までは本気で走ってなかったのかとさえ考えて腹が立った。
荒い息に肩を上下させながらゴールラインを越えたところで立ちつくしている輝也に駆け寄って、問い詰めようと肩をつかんで大野は息を呑んだ。
「輝也、大丈夫か?!」
呆然とした顔は血の気が引いていて、腹が立ったことなど忘れて心配になる。
「お前、急に立ち止まるから…。歩けるか?保健室に…」
「保博、僕、帰る」
遮って言われた言葉が急で驚く。
「倒れそうな顔して、そんなんで帰れないだろ!」
「ごめん、大丈夫だから、帰る。…ごめん」
掴まれていた肩の手を外してフラフラと歩き出す輝也の背中は、それ以上話すことを拒否していて、大野は急な態度の硬化についていけなくて怒りがぶり返る。
「輝也!」
叫んでも振り返らなくて、次に会った時には、嘘の理由で高校では陸上部を続けられないと聞かされたのだった。
グラウンドを1周全力で走り終えてジョグに戻しながら息をつく。
「俺、怒って当然だろこれ…」
ぼやきながら大野が乱れる息を整えていると、走る先、グラウンドの端に立ってこちらを見つめる影があった。
「輝也?」
戻ってきたのかと思って立ち止まり、すぐに人違いに気づく。
人に囲まれている姿は見たが、大野はまだ一度も話していないクラスメイトだった。
「霜月」
「大野君、葉山君と仲いいんだね」
なぜ自分にそんなことを聞いてくるのかと眉が寄る。
にっこりと笑っているのに、その顔はどこか薄ら寒い笑顔だと大野は思った。
土日はお休みして、次は月曜日に更新します。