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教室の自分の席にカバンを置いて輝也はホッと息をついた。
出掛けに輝也が手にした綺里特製弁当を直美が羨ましがったのを発端にひと悶着あったのだ。
綺里は朝一番に直美が帰っているのに気づくと抜かりなく弁当を3つ作ったのだが、前日にセットした米と用意していたおかずは二人前。足りない分は別のものを作って埋めたが、そうすると弁当の中身に差が出る。
綺里的にはどれが誰の分か決めているのだが、直美がこちらのおかずがいいやら言い出して小競り合い、というか、一人残される直美の、出ようとする二人への引き止め策によるじゃれあいがはじまった。
イイ笑顔で言い合う兄2人に呆れて適当に弁当を1つカバンに入れ、輝也はこっそり途中退場して来たのだった。
「朝から疲れてるな、葉山」
前の席の俵耕史朗が振り返って笑う。中高一貫の進学校でほとんど中学からの顔見知りのクラスの中、俵は高校からの外部入学組だ。席が近く、同じ帰宅部なのもきっかけで仲良くなった。理知的で落ち着く相手だ。
「おはよう俵。出るときバタバタしてさ」
弁当騒動を話していると、教室の向こうから元気な声が近づいてくる。
「よー、俵、輝也!」
「小野田、おはよう」
中学からの友達の小野田健一だ。寺の跡継ぎ息子で、今の内に髪で遊びたいと明るい赤みがかった茶色に染めたふわふわの髪がトレードマーク。お調子者で、場を明るくする空気を持つので誰とでも友達になるのが早い。俵ともすぐに仲良くなって、輝也は最近この2人と一緒にいることが多い。
「小野田は朝から元気だな」
「おう、超元気。お前らは?じいちゃんの井戸端会議みたいな空気で、なに話してたんだ?」
「誰がじいちゃんだ誰が」
「だってその銀縁めがねとかさ」
「言い方に悪意を感じる。チタンフレームと言え」
俵と小野田の掛け合いに輝也が笑っていると机においていたスマートフォンの画面が光った。
――先行くなよな。それから、輝也の持っていったのは俺のだから!
綺里からのメッセージに額を押さえる。これは昼休みあたりに押しかけてきそうだ。
「どうした葉山?」
「弁当かえせって」
2人に見えるように画面を向けると笑われる。
「兄弟仲がいいな」
「弟の弁当奪ってきたわけ?外道だな輝也」
「どれでもいいと思っただけで奪ってはないから!」
「つか輝也、弟から呼び捨てにされてるじゃん」
「あ。そうなんだ」
からかうように言われて一瞬止まってしまう。
養子で本当の兄弟ではないとか兄だとかはわざわざ説明することもないと思っている。お互い気まずくなるだけだろうし、そもそもほとんど誰にも話してないことだ。
輝也の様子に俵が怪訝な顔をした時、机の横を通りぬけようとしていたクラスメイトがふと足を止めた。
気づいて顔を上げれば、その目は輝也を横目で冷たく見ていて。
「大野、お」
「嘘つき野郎」
おはようと言おうとした言葉を聞かず、一言言い捨てて自分の席に行ってしまう。
「なんだぁ?」
「大野ってああいう奴だっけ?」
目を丸くしてひっくり返った声を出す小野田と、ポカンとした顔で遠ざかる背中を見送る俵の横で輝也はうつむいた。
「…ケンカ、しててさ」
「そういや最近一緒んとこ見ないな。えー、何して怒らせたんだよ?お前ら中学ん時めっちゃ仲良かったんじゃん。陸上部仲間だろ?」
「うん。まあ…僕が悪くって…」
言葉を濁していたら、眼鏡の位置を直して俵が口調をかえる。
「葉山、中学では陸上部だったんだ?」
「うん」
「そういうや輝也、なんで高等部では部活やめたんだ?」
話をずらしてくれたのに感謝しつつ頷くが、続いた小野田の質問に内心、苦い気持ちになる。
「……去年、母さんが死んで。家のこと、弟に任せっぱなしも悪いし、きりが良かったから…」
「あー、そっか。すまん」
「いや、大丈夫」
気まずそうに謝られて逆に申し訳なくなる。
気のいい友だちに、嘘をついているつもりはないけれど全てを明かしてはいない。
明るい笑い声が聞こえて振り返ると、大野が数人で楽しそうに話している。中には陸上部のメンバーもいて、去年は自分もあの中にいたなと思う。
「仲直り、できるといいな」
「うん。ありがとう」
俵の言葉に視線を戻して笑顔で答えながら、それは難しいと輝也は思った。
開始のチャイムに少し遅れて1限の数学教師、秋田が入ってくる。
いつも時間に正確に入室するショートカットの女教師にしては珍しいと扉の音に教室の注目が集まって…小さなざわめきが起きた。
秋田に数歩遅れて背の高い青年が続いたからだ。
――転入生?
ざわめきに困惑が混じるのは、青年が黒い細身のパンツに白いカッターシャツという普段着に近い服装だからだ。
濃紺のパンツとライトグレーのジャケットにネクタイの集団に加わるとは思えない。さらには手ぶらで一切の荷物を持っていないことも不思議だった。
日直の号令で礼をして、教室がとりあえず静粛になるが、好奇心が飛び交っているのが見えるようだ。
輝也は人見知りをするので強い興味を感じなかったが、横目で見回すと、特に女子たちと小野田の目がワクワクと輝いている。
「餌を目の前にした子犬みたいだな」
「確かに。休み時間に飛びつきそう」
身体をそらすようにして前の席の俵が囁いてくるのに小さく吹き出してしまう。
「霜月咲哉です。よろしく」
緊張した様子もない静かな声が聞こえて輝也が視線を前に戻すと、黒い瞳がさっと教室を見渡しているのに出会った。通り過ぎた視線が自分のもとに引き返してきて一瞬止まるのに驚くが、すぐにまた去っていって息をつく。
笑っていたのを見られたのかなと頬をさする。
「転入生です、仲良くしてください。では霜月君、空いている席に座ってください」
そっけないほど完結に紹介を終わらせて黒板をむこうとする秋田に再び教室がざわめく。
「あの先生」と声をあげたのはクラス委員の女子だ。
「空いている机、無いです」
「え、おかしいですね…」
「秋田先生、僕、職員室で聞いてきます」
ぼんやりと考え込む秋田にニコリと転入生が笑う。今まで真っ黒な髪に無表情でモノクロだった印象がさっと華やかになって、声を殺した黄色い悲鳴が上がった。
早速クラスの大半に受け入れられたようで、凄いなと思うと同時に、なんだか胡散臭い笑顔だと思ってしまったのは僻みだろうか。横目に見ると、他にもおもしろくないと顔に書いている男子が数人いるようで、輝也は妙な安心をした。
「悪いですね霜月君、場所はわかりますか?」
「大丈夫です」
「はい!はい!先生、俺が案内します!用務員室とかも行くだろうし、運ぶの手伝います」
ぴょんと立ち上がったのは小野田だ。休み時間までも待てなかったらしい。
秋田が頷くと、女子の羨ましがる声を受けつつ、輝也や俵に手を振って笑顔で小野田は霜月と教室を出て行く。
「あの笑顔は、『誰よりも早く情報収集』だな」
「小野田なら、戻ってくる頃には仲良くなってそう」
手を振りかえしつつ俵と笑う。
その動きが目に入ったのか、霜月がこちらを振り向いた。
こんどこそしっかりと視線が合って、笑顔が消えている顔はまたモノクロに戻っていて。
こちらの方がイメージだなと思ってから、初対面なのになぜこんなふうに思うのかと輝也は自分が不思議で首をひねった。
登場人物が出揃いました。
一話ごとの長さ感覚がよくわからない…