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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
最終章 まほろばの終焉

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最後の選択編3



 意識を手放し、崩れ落ちたクラリッサを、ジェレマイアは優しく受け止める。

 胸が上下していること、脈が動いていることを確認してから、横抱きにしてベッドまで運ぶ。

 成人女性にしてはずいぶんと細く、軽い。たいした筋力がないジェレマイアでも彼女ならば簡単に運べる。


 彼女が細いのは、貧民街の生まれだから、というだけではないだろう。最奥の宮にいた頃、愛されたいと望みながらも守ってやらず、彼女の心を疲弊ひへいさせ続けた。そして、彼女をマティアスに預けてからも、争いに巻き込んで苦しめ続けた。精神的に不安定で、食が細くなってしまったのだ。

 それなのに一つ前の彼は、彼女を殺して再びやり直しを強要したのだという。


 その衝動は、彼の中にまだある。彼女の心が手に入らないことなど、とっくの昔にわかっていた。それならせめて、マティアスのものにならないように……そういう願望は、彼の心の中にまだある。


「クラリッサ」


 名前を呼んでも反応はない。顔にかかる真っ赤な髪を払ってから、毛布を掛ける。涙でぐちゃぐちゃになった頬を指で優しくぬぐう。


「私は、死ぬのが怖い。卑怯だが、最後に少しだけでいい、触れさせてくれ……」


 ジェレマイアはまだ涙で濡れているクラリッサの頬に、みずからのくちびるを寄せて軽く触れた。

 好かれてもいない、気絶している女性にこんなことをする。卑怯だという自覚は十分にある。


 少しだけ触れた彼女の頬は、涙の味がした。





『私だってクソ暑い(・・・・)日は、顔にはださないが、早く帰って水風呂にでも入りたいといつも考えている』


『……ふふっ、王太子殿下には似合いません』





 はじめて彼女の頬に触れた日。たった一度だけ、ジェレマイア自身に笑いかけてくれた日。そして彼女の信頼をすべて失った日。ジェレマイアはあの日のことを思い出していた。


「すまなかった。あなたはどうか兄上と一緒に。……少しでも、あなたの傷が癒えるように……、それが私の願いだ」


 それは心からの願いではない。本当は王位も、聖女も、そしてクラリッサという愛する女性も、すべてを奪われることに絶望し、マティアスを憎んでいる。異母兄の幸せなど、微塵みじんも望んでいない。


 だから嘘を言葉にするのだ。自分自身しか聞いていないというのに。


 眠っているクラリッサの髪を撫でてから、ジェレマイアはその場を離れる。見張りの兵二人に、マティアス本人が来るまで、誰であろうと絶対に鍵を開けるなと命じてから、玉座に向かって歩き出す。


 貴人用の牢獄から、広間の奥にある玉座までは長い廊下を通る。いつもなら文官や大臣たちが行き交う廊下に、人はいない。

 多くの貴族たちは公爵軍に寝返り、中立をとなえる者は理由を並べて出仕をひかえているからだ。


 昼間だというのにありえないほど静かな王宮の廊下。遠くからジェレマイアの会おうとしていた人物がやってくる。


「国王陛下、私の部下が案内いたします。王宮を抜けて、国外へ」


 足音もほとんど立てずに近づいて来た人物、シュワードだ。


「亡命か…」


 それは意外な提案だった。シュワードという男は、ジェレマイア個人にではなく王家に仕えている諜報員だ。廃される寸前の王ではなく、さっさと新たな王に協力すべきなのだ。

 亡命するということは、王家の一員ではなくなるということ。王家の忠実なしもべでなければならないシュワード家の長として、ふさわしくない行動だった。


「お早く」


「シュワード。兄上は真に国王となるにふさわしい人物なのだろう。だが、甘い部分がある……そなたのような者も必要だ」


「陛下!」


 彼が焦ったような表情を浮かべるのは、ジェレマイアが知る限りはじめてだ。


「戦が終われば、最後まで私に仕えた者とて悪いようにはしないだろう。今までよく仕えてくれた。……さかずきを」


「陛下……」


「聖女は、王ではない私もあるのだと言っていた。今からでも違う存在になれると。……だが、私自身が最後まで王でいたいのだ。それが全てだと思っていた過去の私を、みずから否定しないでいたいのだ」


「御意」


 大きな両開きの扉。この扉を彼が自身の手で開けたのははじめてのことだ。窓から光が差し込むのは手前の広間だけ。高座にある玉座は薄暗い。ジェレマイアはただ一人しか座ることの許されない王のための席に腰を下ろす。

 こんなに広い場所に、今は誰もいない。最後までマティアスとの差を見せつけられているようだ。けれどジェレマイアの心に、もう嫉妬心はなかった。死を覚悟した彼は、やっとどろどろとした負の感情から解放されたのだ。彼に残った感情は、寂しさ、孤独だけだった。


 しばらく目をつむっていると、盃を持ったシュワードがやって来る。


「感謝する」


「もったいないお言葉です」


 盃を渡し終えたシュワードは、見届け人となるため、少し離れた場所に控える。

 ジェレマイアは毒が混ぜられている葡萄酒を、ためらいもなくあおった。

 シュワードが用意したものであれば、毒の種類はマッケオン伯爵の時と同じもののはず。無味無臭の毒が混ぜられた葡萄酒で、すぐに死に至るはずだ。


 ジェレマイアは妙にゆっくりと流れる時間に恐怖を感じながら、苦しみが始まるのを待つ。



(おかしい……?)



 彼が毒の効き目を疑い、シュワードのほうを見る。

 目が合った瞬間、寂しげに微笑んだ男が、隠し持っていた短剣でジェレマイアの首を切り裂いた。


「陛下、ご無礼をお許しください。陛下にはせめてゆっくり眠っていただきたいのですよ……」


 ネオロノーク教では自殺が禁止されている。シュワードはみずからを王族殺しの罪人にすることで、ジェレマイアの名誉を守るつもりなのだ。



(……意外とおろかな男だったのだな……)



 シュワードの忠義とお節介のお陰で、不思議と恐怖はない。彼に礼を言おうと口を開くが、ジェレマイアの思いはもう言葉にはならなかった。

 ジェレマイアは瞳を閉じて、最後の瞬間を待つ。



(クラリッサ……私の名を呼んでくれた……)



 それが、一つ前のジェレマイアと別の道を選んだ決定的な差になった。


 彼はいつも願っていた。彼女が名前を呼んでくれて、笑顔を向けてくれることを。結局悲しませ、辛い思いをさせてばかりいた。それでも最後に彼女は、願いを一つ叶えてくれたのだ。


 真っ暗になったジェレマイアの世界に、凜とした高い声で、彼の名を呼ぶ声だけが響いた気がした。





 それが、ベリザリオ十八世――――ジェレマイア・ホレス・アスクウィスの最後だった。



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