夢の真相編7
ネオロノークから繰り返しの事実を告げられ、ここから先は一度も到達したことのない現実であると聞かされたクラリッサ。彼女は繰り返しを最後にするための方法を必死に考えた。
『終わらせなきゃ……じゃないと、また私は……』
マティアスがヴェルダーシュを撃退し、かの国の王太子を捕らえた。そこから停戦交渉、そして賠償としてハール領を再びレドナークに取り入れることになるはずだ。
考えても、囚われの身であるクラリッサにはできることがなく、なんの情報も与えられないままの状態で一月が過ぎる。
ジェレマイアすら訪れない状態で、なんとかそとの様子を知る方法はないかと考えていたところに、扉をたたく音がする。
『聖女、私だ』
声の主はジェレマイアだ。一月以上も姿を見せなかった彼が、突然現れたことにクラリッサは驚く。同時に、そとの様子を知る機会になると思った。
『どうぞ……』
カチャカチャと鍵が開く音がし、軽装のジェレマイアが姿を見せる。
『喜べ、聖女! 我が軍は負けて、王都は包囲されている……ははっ、もうすぐ兄上があなたを助けにくるはずだ』
彼女が知らないうちに、国王軍と公爵軍の戦いがはじまっていて、そして終わっていた。それならば、ネオロノークの示す終わりの条件をほぼ満たしていることになる。クラリッサは大きく息を吐き出し、心を落ち着かせる。思わず歓喜の声をあげそうになるのを押さえるためだ。
ジェレマイアは部屋に入ると憔悴しきった表情で、粗末な椅子に座る。彼にとって笑えるような状況ではないのに、なぜか笑っている。
『……陛下は、どうなさるのですか?』
『どうすればいいと思う?』
まるでどうでもいいことのように、ジェレマイアが聞き返す。自暴自棄という状態なのだろう。
『……レドナークの中で争うのは、とても無意味で……その……』
『であろうな。そのようなことはわかっている。実はすでに使者が書状を持ってあちらへ行っている。……私はどうするべきだ? おとなしく裁きを待つか、潔く死ぬべきか……』
ジェレマイアは死のうとしている。負けた者は新しい国で罪人となるのだ。
けれど彼のしたことが、本当に罪なのかクラリッサにはわからない。神の力が介入して、王位継承権のないマティアスが王位を揺るがす存在になる。それがわかったから排除しようとした。ジェレマイアもクラリッサも、そしてマティアスも、神に操られていただけ。
その中で狂いたくなるほどすべてが思い通りにならなかったのがジェレマイアだった。
『陛下! お願いです。私も口添えしますから、死ぬなんて言わないでください。きっと、これからは穏やかに暮らせる国になるはずです。陛下も、私も』
ネオロノークから聞いた真実を知れば、マティアスはジェレマイアの命までは取らない。そしてジェレマイアが運命をねじ曲げられて苦しむことも、もうなくなる。ジェレマイアの罪がなくなるわけでも、クラリッサの罪がなくなるわけでもない。それでも、ジェレマイアがその死で償えばいいとは思えない。
『なぜあなたは私を憎まない? 結局あなたは兄上が肉親を手にかけるところを、見たくないだけだろう。……憎しみすら向けてもらえないのだろうな、私は』
立ち上がったジェレマイアが、クラリッサの近くまで歩み寄り、細い首に手をかける。
『どうしたら、どうしたら私を見てくれるのだ? 許して欲しいわけじゃない。……なぜ、兄上しか見ない? なぜ一度も私の名を呼んでくれないのだ……? なぜマティアスだけが愛される? 神にも、あなたにも!』
『や、めて……、ちが……』
大きな手が、クラリッサの首を容赦なく締めつける。持っていた杖が床に転がり、カランと音を立てる。クラリッサは逃れようと、必死にジェレマイアの手を引きはがそうともがく。
『わ、私を殺しても、だめ……陛下は……ネオロノークが、言ってた……』
クラリッサが死ねば時が戻り、ジェレマイアの願いは叶わない。彼女はなんとかそれを伝えようと声を絞る。ネオロノークという言葉に反応し、彼の手がゆるむ。
『ごほっ、は、はっ……』
冷たい石の床にしゃがみ込み、クラリッサは必死に息を整える。
『聖女はなにを知っている? 神からなにを聞いたのだ?』
真実を知れば、無意味な繰り返しなど選ばない。クラリッサはそう思って、ネオロノークから聞いた真実をジェレマイアに告げる。
時間をかけて、間違いがないように。最初は驚いていたジェレマイアだが、日記帳だけではわからなかった夢の仕組みを理解し、納得したように数回頷く。
『お願いです。記憶がなくても、私はまたあんな思いしたくない! 崖から落ちて足を痛めるのも、死にたくなるほど嫌な思いをするのも、誰かの死を選ぶのも! もう嫌なの……終わりにさせて、お願いです国王陛下』
『なるほどな……。それならば、私は九百以上のやり直しの中で、一度も兄上に負けたことがないということだ』
『お願いです。陛下も私も、もうすぐ自由になれる。理不尽なことはもう起きない!……だから、もう繰り返させないで』
クラリッサの懇願に、ジェレマイアがはじめて柔らかい笑みを浮かべる。
『聖女……』
そう呼ぶのと同時、あまりに一瞬の出来事でクラリッサにはなにが起きたのか、よくわからない。ただ、お腹のあたりが異様に熱かった。
『……な、ん……』
微笑むジェレマイア。そして彼女の目の前には彼が握る剣の柄が見えた。視線を下におろすと、その刃はクラリッサ自身に深く突き刺さっている。
『安心しろ、私も同じ痛みを。……クラリッサ……あなたを愛していたんだ。……兄上には渡さない。認めよう、私はあなたを手に入れたかった。兄上が王位を脅かす存在……そう考えるようになった根本に、私情があった』
彼は剣を引き抜く、その途端、猛烈な痛みがクラリッサを襲い、支えのなくなった身体は冷たい床に転がる。
『国王、へ、いか……?』
だんだんとクラリッサの世界が色を失い、目を開けているのが辛くなる。白黒の世界に、ジェレマイアが持つ剣の刃だけが真っ赤に染まって見える。そして、ジェレマイアは彼女を貫いた剣で、みずからの腹を刺す。
『ははっ、あはははっ! ネオロノーク、見ているのだろう? 私はあと何百回繰り返しても、欲しいものを手に入れてみせる! やり直せるならば、好都合だ……ぐっ、ごはっ! ……この道にお前の望む未来などないと知れ! そなたが諦めるまで、幾度も幾度も、聖女を殺そう! 残念だったな、今回も私の勝ちということだ!』
九八一回目のクラリッサが最後に見た光景は、神に抗い、おのれの腹に剣を突き立て笑う、ジェレマイアの狂気だった。
***
目が覚めると、まだネオロノークのいる神の住まう場所だった。
『これが、九八一回目のそなたの最後だ。……そなたさえ生き延びれば、もう繰り返しは起きない。我もそなたも役目から解き放たれる』
『役目を終えたら、私はどうなるの? 記憶を失うの?』
氷の聖女レオノーラは辛い時代の記憶を失くしてしまったのだ。それが神の力を借りている対価なのだろうか。
『そなたは我に力を返す。我は、そなたの願いを一つ叶える……それも父神が定めた規則』
『氷の聖女は望んで記憶を捨てたの?』
聖女になる前の記憶をすべて消し去れば、クラリッサは穏やかに暮らせる。罪から目を逸らし、なかったことにできる。それはとても甘美な誘いだった。
『そうだ。だが我にできることは多くはない。人の世には聖女を通してのみ干渉が許されている。だから、我が叶えられることは、この空間にいるそなたの時を操ることのみ。そなたの精神を数年戻せば、予知のことを忘れられる。すべて戻せば、現実の世界で廃人となり、すぐに死ぬ。……その時が来たら願うがいい』
クラリッサはネオロノークを憎んでいた。ジェレマイアと対立せずに、終わらせる方法を考えてほしいと叫びたかった。けれど、彼だけが記憶を持ち続け、忘れることができずに時に縛られている。彼女が抱く感情と同じ気持ちを、ネオロノークが持っていないとは考えられない。
『ネオロノークは、もう終わりたい……?』
『人とは違えど、我にも感情はある。……終焉は我が望み……』
終焉というのは、この繰り返しのことをさすのか、それともネオロノークの存在そのものをさすのか。それを聞く前にクラリッサは夢から覚めた。




