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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
最終章 まほろばの終焉

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夢の真相編5



 クラリッサは本当の闇の中にいる。みずからの手をかざしても、どこにあるのかさえわからない深淵。足が地に着いている感覚はないのに、落下している感覚も無い。五感の全てを奪われると、そこに残るのは心だけ。不安と恐怖、それだけだった。


『聖女……、聖女、こちらへ』


 クラリッサを呼ぶ声は少年か、女性のように高く澄んだ声だ。声と同時に光が現れる。


 一つ、二つ、りんごほどの大きさのガラスの球体がまばゆい光を放っている。光が恋しくて、クラリッサは指先でそれに触れた。





『今日はなんだか、とても楽しかった。……マティアスありがとう』


『疲れていない? そういえば、私におねだりするって話はどうしたんだい?』


『聞いていたの? 前に、たくさん貰ったもの……マティアスは少し、私のこと甘やかしすぎじゃない?』


『妻を大切にすることは、ほめられることで恥ずべきことではないでしょう?』





 それはかつてクラリッサが夢でみた記憶。そして現実に起こった記憶だった。


『なに、なにこれ……?』


 クラリッサはまた夢をみているのだ。けれど、いつもみている予知夢と違う。混乱する彼女の近くに、また一つ明かりが灯る。


 ガラスの球体のなかに映っているのは、またもクラリッサとマティアス。今度は彼女の知らない光景だった。それどころか、マティアスが今より大人になっているような気さえする。


『それは、八二九回目のそなただ』


 クラリッサは、声のする後方に向き直る。そこには玉座のような立派な椅子に腰を下ろす少年がいた。


 真っ白な髪の少年はガラス玉を指さしながら、クラリッサに教える。なにかに例えることすらできないほど整った容姿。クラリッサよりも年下に見えるのに、全てを達観しているような表情。子供らしいあどけなさなど持ち合わせていない少年の姿――――レドナークの守護神、ネオロノークがそこにいる。


『いくら呼んでも答えてくれないくせにっ!』


 都合のいいときにだけ現れる神に、悪態をつく。神はそんな彼女を無視し、ガラス玉を指さす。



『あれは三二回目、こちらは四四五回目……それは九五一回目……』


 示されたガラス玉の中をクラリッサが覗き込む。

 そこには真っ暗な狭い部屋の中で、簡素な椅子に座っている男性の姿がある。髪も髭も延び、その瞳から生気が失われているが、見間違えるはずもなく、マティアスの姿だった。


『牢獄……? なんで……』


 隣のガラス玉の中には、日当たりの良いサロンでくつろぐ老夫婦がいる。男性は本を読み、女性はレース編みをしながら穏やかに過ごしている。二人とも白髪交じりでクラリッサの知らない人間だ。けれど場所はよく知っている。クラリッサとマティアスの住んでいた場所、王都のウェイバリー公爵邸だった。


 さらに別のガラス玉には、ジェレマイアの戴冠式の様子が映っている。けれど、不思議なことにクラリッサが緋色のドレスを着て、ジェレマイアの隣に立っている。――――まるで、王妃にでもなったかのように。


 青年のマティアス、壮年、年老いたマティアス。ロイやブリュノ、ジェレマイア……そしてクラリッサ。たくさんの人々が映り込み、ふわふわと漂う。


 ガラス玉の数は無数にある。不規則に浮いて移動しているから正確な数は把握できないが、百や二百ではない。


『なんなの? これが、未来がみえるということ?』


『聖女よ。……我はそのような力を与えていない』


『どういうこと!?』


 今日こそ、彼が隠していることのすべてを聞き出したい。彼女は神を逃がすまいと近づいて、真っ白な衣装を掴もうとする。けれど服に触れているはずなのに、手応えがない。これは夢なのだ。


『我の名はネオロノーク。父神のめいに従い、レドナークを守護する者。時を操り、みずからが時に縛られた、おろかな神だ』


 神を捕まえようとしたクラリッサを咎めることもなく、ネオロノークは語りだす。


『だから、未来を見せているんでしょ?』


『それは違う。……我は聖女に時を戻す力を与えた。そして過去をみせている』


『過去……? 私にみせているのは過去じゃなくて、近い未来に起こることでしょう?』


 夢のとおりの行動をすれば、必ず夢でみた未来になる。それが未来をみていることでないのなら、なんなのか。神の言葉の意味が、彼女には理解できない。


『聖女には死ぬ寸前に時を戻す能力を与えた。……聖女が死ねば、覇王から望まれた日に戻る。我は聖女が誤った道を進まぬように、過去のそなたの経験をみせている』


『望まれた日……? 過去……?』


 ネオロノークは小さく視線を動かす。記憶を閉じ込めている球体が一つ、ふわふわとクラリッサの前まで移動して、ぴたりと止まる。


 そこに映っていたのは、建国王の壁画の前に立つマティアスだった。庶民に扮していることから、聖女選定の日よりも前だとわかる。





『なぜ神は、僕にはなにもお与えくださらないのでしょう? それほどまでに父上と母上のしたことは許されないことなのでしょうか?』


 懐かしい、まだ少年のマティアスが古き神殿の壁画を前にして、にらみつけるような視線を向けている。


『望んだだけで与えられるのであれば、僕はあの子を望みます。……どうせ叶わないことでしょうけど』





 マティアスの言う「あの子」というのはクラリッサ――――当時のクーという野良犬のことだ。


『神は人という存在を理解しないまま、力を与えてしまった。変われない我らは、我らに似ていて異なる存在を見誤った。父神の加護が発現する規則を、人に伝えた。文字にした。だが人は忘れ、変わり、歪めて、死んでしまう』


 吸い込まれそうなほどの深い青。その瞳にはなんの感情もうかがえない。人とは異なる存在なのだ。


『この話は毎回、聖女に伝えた。話す前にそなたが死に、時が戻ったこともあるから、毎回というのは正確ではないが。……我は忘れるということがない。聖女は過去九八一回の記憶を持たぬ』


『九八一回?』


 まだ実感がないまま、九八一という数だけがぼんやりと彼女の頭の中に留まる。


『さあ、これで九八二回目。長い長い神の話をはじめよう――――』



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