夢の真相編1
時は少し戻り、ミンガラムの雪解けの時期。
春の訪れとともに、ヴェルダーシュが国境線を超えてきた。もともとは同じ国だったので、ハール領とミンガラムの境には壁はない。砦と砦の間に非武装地帯を定めて、衝突を避けていた。その両国の取り決めを、ヴェルダーシュは一方的に破棄し、約七千の軍勢が押し寄せてきたのだ。
マティアスが軍人になってから、戦は一度も起こっていない。七番街の大火のような、人の命を助ける任務とは真逆の任務に、さすがの彼も緊張の色を隠せない。
司令である彼が最前線に出ることはまずないが、どんな作戦を立てても必ず死者は出る。きれいごとでは済まされない現実は、重圧となって彼を襲う。司令部にもたらされる報告を聞くたびに、大きく息を吐いて冷静な指示を出す。
(大丈夫。私が間違えそうになれば皆が止めてくれる)
部下を信じ、責任だけは自身が取る。それが、マティアスがすべきことのすべてだ。
開戦から丸一日、日没とともにいったん戦闘がおさまってから、主だった面々が集まり、今後の方針が話し合われることになった。砦の中で一番大きな部屋には、多くの明かりが灯されている。集まった者たちは静かに、将であるマティアスの言葉を聞く。
「では、リーガン殿には別働隊の指揮を。一番苦しい戦いになると思う。任せられるのは実戦経験を一番積んでいるリーガン殿だけだ。頼りにしている」
「はっ! 承りました」
古参の軍人は野太い声を張り上げ、自信に満ちあふれた表情で答える。彼が重要な任に就くということだけでも、兵に安心感を与える。
現在、北の砦はレドナーク側の防戦一方となっている。
王都からの援軍が遅れていること、そして国王からハール領への侵攻許可がでていないこと。これらの真実を織り交ぜた嘘を、斥候を使ってばらまいた。今、敵にその情報を信じ込ませるために、砦の守りを固めて時間稼ぎをしているふうを装っている。
ヴェルダーシュ側は、レドナークの援軍が到着する前に砦を落とすため、全戦力をつぎ込んでくるはずだ。
その瞬間を狙って、手薄になったハール領の砦に、別動隊が奇襲攻撃をおこなう。同じタイミングでマティアスたち砦の主戦力も前に出て戦うことになる。相手の主戦力に戻られると、リーガンたち別働隊の逃げ場がなくなるからだ。
「こちらもヴェルダーシュも、レドナークの援軍が到着するまでという時間的な制約があるのは同じ。だが、こちらの時間的制約を、敵は知らない。その分私たちは有利に動けるはずだ!」
普段のマティアスはよく言えば温和、悪く言えば頼りない、そういう人物だ。北の諸侯やこれから戦場へ向かう兵士のために、できる限り将らしく振る舞っている。
「焦らず待てば、敵は必ず全戦力を投入してくる。それが我らの好機。……諸侯の協力、そしてこの地を守ってきた諸君らの力があれば、必ず勝利を手にできる!」
異母弟との対立、そして囚われているクラリッサのこと。マティアスの心の中には多くの不安がある。けれど将として常に自信に満ちあふれ、冷静で理論的な判断ができると思われなくてはならない。
「ウェイバリー公に勝利を!」
「建国王の再来に勝利を!」
「我らのミンガラムに平和を!」
最初に声を上げたのはリーガンだった。それに続くようにあちらこちらから「勝利」そして「建国王」という言葉が発せられる。だんだん大きくなる歓声は、兵士から不安を吹き飛ばす。
マティアスは笑って歓声に応える。建国王の再来とは、彼の容姿から反ディストラ派の貴族たちが、よく口にしていた言葉だ。彼としては異母弟との争いの種になりそうなそのたとえが、好きではなかった。
しかし、今は嫌っている言葉すら利用しなければならない。神話の時代の英雄と同じ髪の色、同じ瞳の色。それが強さと正義の象徴となり、士気を高めるのだ。
この作戦は必ず成功する――――末端の兵はそう信じているはずだ。もちろんマティアスには負けるつもりはない。けれど、本質は追い詰められた者がやむなく取った捨て身の作戦である。国王の支配下にあるレドナークの主戦力とヴェルダーシュ。二つの勢力に半包囲されているマティアスが、唯一取れる策がこれだった。
(覚悟はできているんだ。ヴェルダーシュを倒し、ジェレマイア……異母弟を討つ!)
どこから間違えてしまったのか、マティアスにはわからない。彼はただ、クラリッサとともにある、平穏な生活を望んだ。そして、一年前までジェレマイアもそれを認めていたはずだった。みずから王位を望んだことなどないのに、いつの間にか周囲がそれを望みはじめた。人の望みが集まると嵐のような破壊力ですべてを飲み込み、抗おうとしても抗えない。
それでも最終的にこの道を選んだのは彼自身の意志。そうでなければならないのだ。
***
戦がはじまって三日目の早朝、ついに敵兵が全戦力を投入してきた。
「別働隊に伝令を。ハール領の砦は手薄だ」
鉄製の甲冑に身を包んだ状態で、マティアス率いる北方守備部隊はついに攻勢に転じる。
「砦に残る兵にも出撃準備を! 敵は防戦一方のこちらの行動にいらつき、そして援軍を恐れ、焦っている。……今こそ我らの力を見せつけよう!」
普段のマティアスとはまるで別人。もしクラリッサが彼の姿を見たらそう思ったはずだ。優しく、誰かを殺める命令を部下に下す姿など、きっと彼女には想像すらできないはずだ。
(私が、皆の理想……建国王ベリザリオのように振る舞うことで、兵の士気があがる……そして、今後の戦いにも……)
マティアスは今後を見据えて、皆に強き指導者であることを印象づけなければならなかった。ヴェルダーシュとの戦いに北の諸侯が協力したことで、今後、国を二分する内戦となるはずだが、末端の兵にはそこまでの認識はない。
ジェレマイアから反逆者の汚名を着せられたときのために、正義がマティアスの側にあることを印象づけておかなければならない。
鉄製の兜をかぶり、マティアスははじめて戦場へ立った。本来、支えてくれるはずのブリュノとリーガンはここにはいない。甲冑の中に不安を隠し、土埃が舞い、金属のぶつかり合う音が響く戦場で、彼は堂々と指揮を執る。
ヴェルダーシュとの戦いはあっけなく終わりを迎える。早朝にはじまった総力戦。リーガン達別働隊がたった半日で砦を落し、ヴェルダーシュの総大将である王太子を生け捕りにしたのだ。
砦から、ヴェルダーシュの旗に代わり、レドナークの真紅の旗が掲げられる。その報告を聞いた敵の主戦力は逃げ場を失い、投降した。
ヴェルダーシュの王太子はミンガラムの砦に連行され、停戦交渉の切り札として生かされることになった。
マティアスは予測していた中で最良と言える結果に、胸をなで下ろす。
(でも、戦いはこれからだ……)
勝利に沸く兵たちに笑顔で応えながら、マティアスの思考は南へ――――王都にいる異母弟に向けられていた。




