幸せの選択編7
王都で反乱が起こり、ウェイバリー公爵派が王都から去ってから四日。公爵軍がヴェルダーシュ軍を打ち破り、ハール領の砦を占拠したという一報が王都に届く。
ジェレマイアが、許可なくマティアスに協力した北の諸侯やマティアス本人を許すわけもなく、彼らを討つための準備が進められている。
これから国を二分する戦いがはじまるというのに、ジェレマイアは落ち着いていた。
「なるほどな……」
シュワードをはじめとした側近と、クラリッサから取り上げた日記の内容を解析する。奪った直後に目を通しているが、側近たちと今後の方針を決定するのに必要なものだった。信じられないほど卑劣な行為でも、神という強大な力に対抗するためには手段は選べない。マティアスと戦うためには仕方のないことだ。
「いかがなさいましたか?」
シュワードが静かにたずねる。
「予知のことだ。聖女の日記によれば、今までは二つの夢と二つの結末をみていたようだが……」
見た目は可愛らしい女性用の日記帳。そこに記されていたのはクラリッサの嘆きだった。
「私にヴェルダーシュ侵攻を告げた夢だけが異質だ。私に予知をうち明けてどうなるのか、はっきりと見せなかった、なぜだ?」
それまでの夢は、二つの行動と二つの未来をみせていた。ヴェルダーシュ侵攻の予知だけが異質だ。
「……聖女様すら騙されていたということでしょう」
「聖女はこのような結果になるとわかっていなかった。……私たち兄弟が協力する未来しか想像していなかったのだろう。あの者は心根がまっすぐだからな」
神は嘘をついていない。日記には「ジェレマイアにヴェルダーシュが侵攻してくることを告げれば、覇王の死は回避できる」と記されていた。
クラリッサが予知をうち明けた場合、ジェレマイアが援軍を送って、その結果としてマティアスが助かるとは書かれていない。そして予知をうち明けなかった場合に、援軍の到着が間に合わず、その戦闘でマティアスが死ぬのだとも、はっきり示していない。
「私は聖女から得た情報で、神すら利用したつもりでいたが……それは思い上がりだった。もう全てが手遅れだ」
「神の目的は争いを起こすことにあったと、陛下は本気でお考えですか?」
シュワードの問いにジェレマイアはうなずく。
神の意志は、ジェレマイアがマティアスを排除するために増兵を先送りにした結果、マティアスが北の諸侯と手を組んで謀反を起こす、というところまで。それがジェレマイアの推測だ。
「……私が自身で選択したと思っていることすら全て、神の手のひらで転がされていたということだとすると、さすがに戦慄するな。マッケオン伯爵の死も同じだ」
日記には、クラリッサが盃の毒や入れ替わりに気づきながら、それを放置したことが記されていた。未来がみえているのなら、単純に葡萄酒をこぼしてしまえば被害は出ない。
それ以前の夢で、神が示した道以外を選択すると、罰が与えられ、もっと最悪な未来が待ち受けていると思い込んでいた彼女は、マッケオン伯爵を選ぶしかなかったのだ。
「ウェイバリー公が王となるのに邪魔だから、神はその未来を選ばせたのだろうな。そして私は彼の死で聖女や覇王の真実に近づき、兄上を排除しようと決めた。すべてはこうなるための布石だった」
「まだ、負けてはおりません」
「そう、まだ負けていない。……そのまま負けるつもりもない」
戦力はジェレマイア率いる国王軍のほうがはるかに上だ。ジェレマイアからすれば、マティアスこそ、人の世の理から外れて調和を乱す存在。負けるわけにはいかない。
結局、聖女をマティアスから遠ざけたこと以外で、神の力に対抗する手段は見つけられないまま、北へ向かうことになるのだった。
***
「聖女」
ジェレマイアは貴人用の牢獄の前で見張りの兵に鍵を開けさせ、部屋に入る。クラリッサは小さな鉄格子の窓のそとを見ながら、ぼんやりとしている。
彼が入って来たことに気がついて、彼女が立ち上がる。
「国王陛下! そとはどうなっていますか!?」
しっかりと視線が合うのは久しぶりのことだった。けれど、彼女の頭の中にはマティアスのことしかないのだ。また憎しみを忘れて、必死に愛する夫の情報を引き出そうとする彼女が、ジェレマイアには不快だった。
「ここから出たいか?」
彼はわざと問いに答えない。
「いいえ、とくに不自由はありません。それよりも、戦はどうなりましたか!?」
予想どおりの言葉が返ってくる。以前より部屋が狭くても、豪華な食事が与えられなくても、彼女は気にしない。もともとの生まれを考えれば、当然かもしれない。彼女はただ夫の無事を祈っているのだ。
「ウェイバリー公はたった三日でハール領の砦をおとしたらしい。今後は本国との交渉になるだろう。……こちらは正式にウェイバリー公の爵位剥奪と討伐命令を出した」
「…………」
ヴェルダーシュに勝利し、マティアスが無事だと知って、彼女は内心はほっとしたはずだ。ジェレマイアの前で嬉しそうにするわけにもいかないので、急に無表情になる。その行動は彼を余計にいらだたせた。
「日記を返そう」
クラリッサは数歩近づいてきて杖を持っていないほうの手で日記帳を受け取り、大事そうに抱える。
「毒を用意したのは私だ。兄上に刺客を送ったのも……。そしてあなたが恨まれ狙われる原因をつくったのも私だ。あなたは自身が汚れているというが、汚れているのは私であって、あなたではない」
日記には過去のジェレマイアとの確執についても書かれていた。そこには彼女がこれまで口や態度で示していたよりも、ジェレマイアを理解しようとする気持ちが綴られていた。
それなのに彼は、クラリッサを貶め続けている。今も、昔も。クラリッサが狙われる原因を作ったのは親ディストラ派の貴族で、止めなかったのはジェレマイアだ。そして、マティアスに刺客を送り込んだのは彼自身。これで愛されたいと思っていたのだから、彼は笑うしかない。
「違う! 私には私情しかないから、陛下がどんなに悪くても私と比べることなんてできない」
政治的な判断で争いのもととなる存在を消し去る。それは善きおこないではないが、必要悪だ。多くの民を守るため少数の罪無き者を犠牲にすることも、政敵になるものを追いやることも、必要な場合はたしかにある。ただ清廉潔白でいることが良き王の条件ではない。
どこまでが王としての行動で、どこまでが私情なのか。マティアスの存在はジェレマイアの治世には邪魔で争いの種になる。排除するべき存在だと考えた根拠は本当にすべて公平だったのか。過去を振り返ってももう遅い。
罪を犯したのはジェレマイアであって、クラリッサには罪はない。そう慰めようとしても、彼女の心にジェレマイアの言葉は響かない。
「あなたは私を憎んでいるか?」
「……きらい」
「そうか。これから戦になる。神が勝つか、私が勝つか……。あなたはすべてが終わるまで、ここでおとなしくしていることだ」
答えに満足して、ジェレマイアはクラリッサの部屋から去る。
あと何度、彼女と視線が合うのかわからない。ジェレマイア自身に笑顔を向けてくれることなど、もうないのだ。
(だったらいっそ……)
愛しい人が手に入らないとき、せめて別の誰かの隣で幸せになってくれたら。そう考えていたかつてのジェレマイアはもういない。




