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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
最終章 まほろばの終焉

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幸せの選択編1



 ブリュノはマティアスのめいを受けたその日の早朝、ミンガラムの地をひっそりとあとにした。行商に変装し、馬を乗り継いで十日かかる道のりを、六日に短縮した。

 王都に近づくにつれて、やたらと軍人の数が多くなっていく。軍の主戦力は北へ向かわないまま「いつでも出陣できるように」と準備だけは進めているのだ。


 王都に着くと、カーク家の主筋であるクィルター伯爵邸に向かった。伯爵は、北での開戦予想時期に合わせて“ウェイバリー公爵派”の人間を、王都から脱出させる準備をしていた。

 一部の貴族、カーク家、ヘンリット卿率いる師団、そしてアーシェラやベイリン夫人もまもなく王都を離れることになっている。あまり早く行動を起こすと、北の諸侯が国王にはんするのだと知られてしまう。タイミングが大切だった。


 ブリュノがクィルター伯爵に聖女救出の計画をうち明けると、伯爵は「ばかな、死ぬぞ」と一番可能性の高い結末をためらわずに口にした。

 それでも王宮の見取り図や護衛の配置を教えてくれる。そしてことを起こすのは伯爵たちが王都を脱出する日――――ヴェルダーシュが国境を越えたという情報が、王都にもたらされる日になった。

 理由は、ブリュノが先に行動を起こすとマティアスの謀反むほんが明らかになってしまうこと、そしてブリュノにとっても王都が混乱する日のほうが成功する可能性が高いこと。この二つだ。



 伯爵邸で一晩旅の疲れを癒やしたあと、ブリュノは夜更けになってからウェイバリー公爵邸に忍び込む。いつ行動を起こす日がやってくるのかわからない。その前に、会っておきたい人物がいるのだ。


 屋敷の裏手、一階にある使用人の部屋。カーテンの裏から橙色だいだいいろの明かりが漏れ出る。裏庭からその部屋の窓を小さくコツンコツンと叩く。

 しばらくしてカーテンの向こう側に人影が現れる。物音に警戒している様子で、カーテンが少しだけ開かれる。

 ブリュノがひらひらと手を振って笑ってみせると、部屋の中の人物――――アーシェラは驚き、窓を開ける。


「ブリュノ殿……? ど、ど、どうして?」


「しっ! ……入ってもいいか?」


 いつもきっちり結われている黒髪がおろされ、垂れ目がちなグリーンの瞳はただ困惑している。彼女は夜着のままの状態に気がついて、顔を真っ赤にしたあと、部屋の奥へと戻ってしまう。戻ってくるとローブをしっかりと着込んで、それでも恥ずかしそうに胸元の合わせを押さえている。


「こんな夜更けに非常識ですよ! ……早く入ってください。寒いから、風邪を引いてしまいます」


 柔らかい、優しげな容姿とは正反対で、彼女の言葉はいつも強気だ。それでも押しに弱く、なんだかんだと他人を心配して世話を焼く。あきれるほど簡単に男性を部屋に入れてしまう。


 ブリュノは外からだと胸の高さまである窓枠に手を掛けて、よじ登る。


「ブリュノ殿、帰っておられたのですね?」


 任務で北へ行ったはずのブリュノが王都にいる。そして夜更けに突然現れて、未婚の女性であるアーシェラの部屋へ入った。アーシェラは困惑したままブリュノから距離を取り、行き場を失って仕方なく壁際の椅子に座る。ブリュノは人の部屋であることなど忘れて小さなベッドにどんと腰を下ろす。


 アーシェラの部屋は花柄のカーテンが掛けられ、細かい刺繍のクッションが置かれた小ぎれいな部屋だ。本人から受ける印象よりもかなりかわいらしい雰囲気で、彼女の趣味が垣間かいま見える。


「あー、ちょっと極秘任務ってやつだ」


「極秘?」


「クーを助けに行く」


「えっ」


「あんたたちも伯爵から北へ向かえって指示されてんだろ? 王都の混乱に乗じて王宮に侵入する」


 部屋の隅にはすでに旅の荷物が準備されている。クィルター伯爵から指示があったら、すぐに逃げ出すつもりのようだ。


「危ない、のではありませんか?」


「だろうな。さすがに俺もびびってるのかもしれない。……あんたとは会わないほうがいいと思ってたんだが、どうしても我慢できなくなった。悪ぃな」


 世話焼きでお人好しの彼女がブリュノのやろうとしてることを知れば、心配し、不安にさせる。わかっていて会いに行くブリュノは卑怯だ。

 分の悪い賭けをしている。それも賭けているのは彼自身の命なのだ。自ら進んでクラリッサを助けに行くと決めたのなら、淡々とそれを実行すればいいのに、誰かの心を道連れにしようとしているのだから。


「会わないほうがいいって……なんですかそれ、そんなの、そんなのまるで……」


 まるでブリュノが死んでしまうよう。アーシェラは言葉を詰まらせ、その代わりに怒りながら瞳を潤ませる。

 そんな顔をさせるくらいならば、来なければよかった。そう思う気持ちと、彼女を一生縛り付けておけるほどのなにかを与えてしまいたい気持ち。ブリュノはその二つの感情の狭間で揺れていた。


「アーシェ。こっちに来い。よく顔見せろ」


「嫌です」


 アーシェラはそう言うと、顔を横に向けてブリュノから目をそらす。



(そりゃ、そうだな……)



 アーシェラの拒絶に落胆しながら、彼は安堵した。そもそも彼女は恋人ではない。彼女の兄とブリュノの義父が勝手に決めた縁談相手だ。そしてお人好しの彼女の性格を逆手にとって、自分のものにしようとしていただけ。それだけの関係だ。


「じゃあな。……まぁ、顔が見れてよかったぜ」


 ブリュノは立ち上がり、窓のほうへ向かう。


「ちょ、ちょっと待ってください! なんで、そうやって人のこともてあそぶんですか!」


 ガタンと音がして、ブリュノが振り向く間もなく、背中に衝撃が走る。アーシェラがブリュノに思いっきり抱きついたのだ。


「べつに、そんなつもりねぇけど」


 ブリュノを引き止めるために回された、白く柔らかい手に触れる。それは薄暗闇の世界で生きてきた彼に、人のぬくもりとはどういうものなのかを教える手。無機質な剣を握り、人を殺めてきたブリュノとは正反対の手だ。


「そんなつもりねぇけど、じゃないです。……言いたいことだけ言って、勝手にいなくなるくらいなら、最初から来なければいいのに」


 弄んでいるのははたしてどちらなのか。アーシェラもそばに来いと言ったら嫌だと答えたのだ。それなのに引き止めるのだから、お互い様だった。


「あんた、帰らなくていいって……意味わかってるのか?」


 脅すように低い声で問う。アーシェラが一瞬びくっと震えるが、ブリュノに抱きついたまま離れない。


「私、ブリュノ殿より年上なんですよ? わからないふりをする年齢ではありません!」


 下級とはいえ貴族の娘が愚かなことをしている。アーシェラの手は真っ白でけがれを知らない。正反対だから、ブリュノはこんなにも惹かれるのだ。

 輝く宝石を見ると、育ちの悪い彼は奪って穢したくなる。汚れた手で触れて、きれいな存在が自身と同じ存在にちていくのが見たいのかもしれない。そうして表面だけ泥にまみれた宝石が、じつは少しも価値を損ねていないと確認して、安堵したいのだ。


 美しいものに触れても、それが穢れないでいてほしい。穢れないのだからいくら触れてもいいのだと、ゆるしがほしい。それが本音だった。


「馬鹿だな……」


「明日からのブリュノ殿は、公爵夫妻のためにあるのでしょう?」


 ブリュノはクラリッサとマティアスのために命を賭ける。もし計画がうまくいったとしても、そのあとに続くはずの戦いで、いつかマティアスのために死ぬのかもしれない。


「だったら、今夜は?」


 馬鹿な女。ブリュノは本気でそう思った。彼の最優先がアーシェラではないのだと知っていて、そのままのブリュノを欲するのだから。

 ブリュノは背中にしがみついて離さない彼女をいったん引き離してから、正面に向き直る。

 グリーンの瞳は涙で濡れてぐしゃぐしゃになっていた。その姿を見せることが恥ずかしいのか、背けようとした顔に手を添えて、無理やり正面を向かせる。


 ためらうことなくむさぼるようにくちづけると、かつんと歯が当たる。



(なにが、年上なんですよ……だ。本当に馬鹿だよ、あんたは。どうせなにも知らねぇくせに)



 がちがちに固まって、目を閉じることすら忘れているアーシェラを狭いベッドに押し倒す。ふわりと花のような甘い香りがブリュノの鼻孔びこうをくすぐる。

 甘い香りはどこから漂うのだろう。清潔なリネンか、それとも彼女の髪か身体か。ブリュノは確かめるように、アーシェラに近づき、彼女の首筋に顔を埋もれさせた。


 それが互いにとって幸福のはじまる日なのか、それとも終わる日なのかはまだわからない。

 ここには愚かな者たちの愚かな行為を妨げるものがなにもなかった。たったそれだけのことで二人は結ばれ、夜の闇に溶けていった。



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