戦火の気配編4
「王命により、聖女様を安全な場所にお連れいたします。……聖女様は王宮にて保護せよというのが国王陛下の命でございます」
突然現れた近衛騎士。屋敷の玄関ホールまでやってきたのは代表二名だけだが、建物のそとにはクラリッサの逃亡を防ぐ目的なのか、十人ほどの騎士が立っている。
「待ってください。聖女様の護衛は我らの任務のはずです!」
クラリッサを庇うような位置に立つロイが抗議の声をあげる。
「護衛の責任者……ヘンリット卿は彼が師団長となる前から聖女様の護衛を担っておられた。そして公爵邸に刺客の侵入を許したのはこれで二度目のはず。国王陛下は大変お怒りです。今このときを持って、あなた方にはその任から外れていただきます」
隊長格の騎士の横に控えていた騎士が、クラリッサやロイに見えるように、国王からの書状を広げる。それは王家の紋が描かれた正式な書簡だった。
「聖女様。お荷物はあとから運ばせます。まずは我らとともに、安全な場所へ」
「いやよ! ここが私の家だもの。国王陛下はマティアスを遠ざけておいて、なにをおっしゃっているの?」
「今のは聞かなかったことにしておきます。これは王命なのです。聖女様のわがままでウェイバリー公爵の謀反が疑われてもいいのですか?」
クラリッサが王命を無視すれば、マティアスが責任をとらされる。そもそも二人の婚姻は、クラリッサを従わせる手段にすぎないのだ。守りたいものができてしまったクラリッサは王命に逆らえない。
「……卑怯だわ」
そして今回は逆の意味があるのだということも、彼女は察した。マティアスや公爵家はクラリッサの弱点。それはマティアスも同じで、クラリッサは彼の弱点になる。
「さぁ、お早く」
無表情な騎士が考える暇すら与えない勢いで、クラリッサに同行をうながす。これではまるで罪人のようだ。
「わかりました。大事なものだけ持って行きますから、そこで待っていなさい」
クラリッサは囚人でも罪人でもない。これから王宮へ行くしかないのなら、せめて堂々と。ロイとアーシェラを引き連れて、いったん私室へ向かう。
「クラリッサ様! 今度は私もお連れください」
着替えを済ませたあと、短くなってしまった髪を整えながらアーシェラが懇願する。
「ごめんね。たとえ国王陛下の許可があっても、私は誰も連れていかない。……それよりもロイを呼んでくれる?」
着替えのためにそとで待機してもらっていたロイに声をかける。彼には今後のことを話しておかなければならない。
「クー。よく聞いてください。もしかしたら、国王陛下はマティアス様を本気で排除するつもりかもしれません。……僕が北へ連れていきます。今すぐに、マティアス様のところへ」
ロイは真剣だ。けれど屋敷のそとには多くの近衛騎士がいて、おそらく裏口にも護衛と称して逃走をふせぐための騎士がいるのだろう。うまく屋敷から抜け出せたとしても、足の悪いクラリッサを連れていては北にたどり着く前に捕まってしまう。
「無理だよ。私が移動するには準備が足りない。絶対無理だよ……」
相手に先手を打たれてしまった。逃走して捕まったとしても、クラリッサは殺されない。けれどロイは――――。逃げ切れる可能性に賭けるには分が悪すぎる。
「ですが、王宮に行ったら本当に帰れなくなるかもしれないんですよ? 協力してくれそうな方もいらっしゃいます。だからどうか、僕を信じて。命に代えても必ずクーをマティアス様のところに連れていきますから」
「ロイ、冷静になって。……国王陛下は私を保護するだけ。だから今は命をかけるなんて言わないで。お願いよっ! 今はまだ、少なくとも表面上は敵対していないんだから」
ここでクラリッサが逃走をしたら、ロイを危険にさらすだけではない。クラリッサは公爵夫人でマティアスの妻なのに、聖女としては国王のためにある存在。もし彼女が逃げれば、聖女を誘拐した罪でマティアスを討っていい正統な理由を与えてしまう。
「こちらから、マティアスを討っていい理由を与えてあげる必要なんてない。それじゃあ、負けになってしまう。だから私は行くよ。アーシェ、ロイ……また会えるから」
「クー」
「クラリッサ様」
クラリッサはロイとアーシェラに軽く抱きついて、それを別れの挨拶にした。
近衛騎士の待つ玄関ホールへ戻り、ベイリン夫人や使用人たちに別れの挨拶をしてから、用意された馬車へ乗り込む。
小さな鞄の中に日記帳とマティアスから貰った装飾品をいくつか入れた。鎖にとおした日記帳の鍵は、首から下げて服の下に隠す。心の不安を押しのけるように、クラリッサは胸に手を当てて、鍵の感触を確かめた。
***
王族の私邸にあたるリンデン宮の一室。以前にも滞在した王子時代にマティアスが使用していた部屋が、クラリッサの新しい滞在場所になった。鍵はかかっていないが、そこは彼女を閉じ込める牢獄だ。
クラリッサが会いたかった人物はすぐに部屋へやってくる。ソファに座ったまま、挨拶すらしないクラリッサを気にもせず、彼は向かいの席に座る。
「髪が短くなったのか。四年前を思い出すな」
「それも国王陛下のご指示なのでは? こんなことをして楽しいですか? 誰かの命を奪ってまで必要なことなんですか? これが……」
公爵邸にみずから暗殺者を送り込み、聖女暗殺未遂の責任を取らせてヘンリットを解任する。そして、保護するという建て前でクラリッサを捕らえた。それが昨晩からの事件の真相だ。
近衛騎士に囲まれて、なぜ暗殺者がクラリッサの暗殺をし損じたのかわかった。し損じたのではなく、はじめから殺害するつもりがなかったのだ。髪を切られたのは殺される寸前だったという演出にすぎない。
「あなたは、あなた自身の価値をわかっていない。……未来を予知する本物の聖女を、どうして他人に任せられるのだ?」
暗殺者を仕向けた黒幕がジェレマイアだと決めつけるクラリッサの言葉を、彼は否定しない。
王太子時代とは状況が違う。今の彼は名実ともに王で、もう出したくない命令を出さなければならなかった昔とは違うのだ。
「なんで、私の護衛を殺したの!? ……許さない、絶対に許さないから!」
国王に対して敬語すら使わなくなったクラリッサを、彼はただ笑って見つめる。
「なに笑ってるの!? 私、もし未来を見たとしても絶対教えないから。私のことを捕まえたって意味ないわ」
「……なにも言わないことが私の利益になる。あなたはそもそも私に利益をもたらす夢をみてはいないのだろう? ウェイバリー公が窮地になるから夢をみた。そうではないのか?」
「……っ!」
「当たりか……。しかし今回は選択を間違えたな。よりにもよって私にうち明けるのだから。……ふ、はははっ!」
クラリッサの知っているジェレマイアは、こんなふうに声を出して笑う人物ではなかった。知っているつもりだった人が突然別のなにかに見える。その感覚は背筋が凍るほど恐ろしく、胃の中のものをはき出したくなるほど不快だ。
「な、なにを言ってるの? だって、兵を出さなければこの国が」
ジェレマイアはマティアスのためには動かない。それを知っていてクラリッサが彼に予知夢のことをうち明けたのは、国境を侵されるという事態が、ジェレマイアにとっても避けなければならないことだからだ。
そして、ネオロノークがそうしろと言ったから。だから疑うことなくジェレマイアに話してしまった。
「私はこの国の王なのだから兵は出す。だが時期は……もっとも効率よく敵を叩ける時期にさせてもらう。聖女が教えてくれたから、私は邪魔なものをまとめて片づけられる。本当にすばらしい力だな」
全身から血の気が失せていくような感覚にクラリッサは陥る。ジェレマイアは兵を出すのをわざと遅らせてマティアスを見殺しにするつもりなのだ。
「そんなこと、やっていいはずない……。だって、国境にいる兵だってレドナークの民でしょう? マティアス一人のために、犠牲にするつもりなの?」
「聖女はわかっているようで、わかっていないな。ウェイバリー公が望もうが望むまいが、いずれ彼と私は戦う。私が選んでいるのはもっとも犠牲の少ない、最善の策だ」
協力して新興国ヴェルダーシュを排除しても、いずれ対立する。それならば、敵軍がマティアスを打ち破ったあとに大軍で押し返したほうが、犠牲が少ないということだ。
「マティアスに敵対する意志なんてない! 敵対したがっているのは国王陛下だけじゃない!」
「……やはりわかっていない。神はウェイバリー公を王位につけるために動いている。そのために聖女に夢をみせているのだろう?」
「違う!」
違うと言ったそばから、クラリッサの心が不安で支配されていく。ネオロノークが夢をみせる目的が、マティアスを王位につけることだという言葉は真実かもしれないからだ。
「だが、ただみえるだけではどうしようもないな。聖女は自分の発言でどう未来が変わるのか、わかっていないのではないのか?」
「そんな……」
今回に限っては、マティアスが怪我をするところも死亡するところも見ていない。マティアスが苦しい戦いを強いられること、そして予知夢をジェレマイアにうち明けること。神はそれしか言わなかった。
「もし聖女が私のために未来を予知し、兄上が加護の力を渡すのなら敵対しない道もあるのだろうな。……どうだ? どうせできぬのだろう?」
クラリッサは知りたい未来を知ることなどできない。そしてマティアスは自身の力に気づいてすらいないだろう。好きで得た力ではないのに、手放す方法がわからない。
「話は終わりだ。……この部屋では自由に過ごせ。必要なものがあれば女官に言え」
ジェレマイアは席を立ち、クラリッサに背を向ける。
クラリッサは起こってしまった現実と、今後に起こるかもしれないことを考えて、呆然としていた。
(ネオロノークは、私になにをさせるつもりなの……?)
ネオロノークは確かにマティアスが覇王だと言ったのだ。それなのに、神の言葉に従ってクラリッサがとった行動は、彼をさらなる窮地に陥れた。
その晩も次の晩も、心の中でいくら呼びかけても、ネオロノークは彼女の夢に現れなかった。




