宴と狂乱編3
クラリッサはまた夢をみる。
場所は王宮、時間は日暮れの時刻を過ぎている。正装のマティアスに連れられて王宮の階段を上がり広間に入る。いつもの嘲りを無視し、煌びやかな宴のはじまりを待つ。
やがて、乾杯用の盃が配られる。玉座の前に立ち、盃をかかげるジェレマイア。
注がれた葡萄酒を飲んだ直後、マティアスが低いうめき声を出して倒れる。その口からは赤い液体――――葡萄酒の赤とは違う真っ赤な液体が流れ落ち、広間の絨毯に広がった。
そしてもう一つの夢は、クラリッサが途中で足が痛いと訴えたことをきっかけに、マッケオン伯爵のものと盃が入れ替わる夢。
親切なマッケオン伯爵が、盃を左手で受け取る。ジェレマイアが現れる直前になってから戻ったマティアスに、右手に持っていた盃を渡す。 乾杯の直後、倒れたのはマッケオン伯爵だった。
一度目の夢の中のマティアスと同じように伯爵が口から血を吐き、伯爵夫人エスメラルダの悲鳴が響き渡る。
(あ、あぁ……。嫌、嫌だ! 覚悟なんて本当はできてないよ……、なんで? なんでこんな夢をみるの? なんで私にひどいことをさせるの!?)
夢の中で叫んでもクラリッサの叫びが音になることはない。夢はただ残酷な命令をするだけで、すぐに現実がやってくるのだ。
***
「クラリッサ! クー!」
夢の中での声にならない叫びは、現実の世界での悲鳴となっていた。妻の悲鳴で目を覚ましたマティアスが、夢と現実の狭間でもがくクラリッサを、現実のほうへ引き戻す。
「マティ、アス……? わた、し……、わたしっ!」
「どうしたの? また怖い夢をみたの!?」
だらだらと冷や汗をかいていた。その汗が身体から熱を奪い、凍えるほど寒い。恐怖と寒さで小さく震えながら、クラリッサは頷く。
寝台から離れた場所に、小さな明かりが一つだけ灯された薄暗い寝室。だから、マティアスにはクラリッサの顔色や表情がよく見えないはずだ。
マティアスが安心させようとして抱き寄せようとした手を、彼女は思いっきり振り払う。
「あ、あの……。ごめんなさい……、でも」
やってしまったあとに、しまったと思いすぐに後悔をする。これでは様子のおかしい妻を、余計に心配するだろう。
「どうしたの?」
「え、っと、頭が痛くて、たぶんそのせいで嫌な夢をみたの。でも、大丈夫だから。……もしかしたら風邪かもしれない。だから近くには来ないでほしい」
風邪というのは嘘だが、頭痛はするし悪寒もする。あんな夢をみたら誰でも普通ではいられない。
「そんなこと、気にしないでいいよ。私は日頃から鍛えているから、大丈夫だと思う」
「でも! 私が気になるから、なるべく離れてほしいの」
マティアスを守るために誰かを殺めると決めたのに、平気で彼の腕の中で眠れるほどには割り切れない。かといって彼の手を振り払い、彼を心配させることもできず、クラリッサは苦しい言い訳をする。
「……今は、寒い? 暑い?」
「寒い、とっても寒い」
冬ではないのに、寒くて震えてしまう。きっと寒いと言えば彼はクラリッサを離さない。彼の性格をよく知っていて暑いと言わないクラリッサは狡い。
彼女の予想どおり、マティアスは後ろからクラリッサを抱きしめてそのまま眠ろうとする。
「不安というのは、こうしていれば多少はマシになる。そうでしょう?」
彼は妻の様子がおかしいことに気がついている。ただの体調不良ではないと知っているのだ。もちろん予知夢のことなど知るはずはない。
神託で亡くなった人や老神官のこと。クラリッサが誰かの死に対し責任を感じて悩んでいることは知っていて、悪夢もそのせいでみると思っているのだろう。
話したくないことは話さなくていい。だけど彼のいないところで苦しむことは許さない。それがマティアスの優しさだ。
「マティアス、ありがとう……あの、ごめんなさい心配ばかりかけて」
先日も、ナイフのことで心配をかけてしまった。そして今も、マティアスに甘えたくない本当の理由を言えないまま、その腕を振りほどかない。
マティアスは返事をする代わりに、一度だけ腕の力を強め、絶対に離さないことだけをクラリッサに理解させようとした。
本当はマティアスが眠るまで、寝たふりをするつもりだったクラリッサだが、いつの間にか眠ってしまっていた。
予知夢ではないのに、繰り返し繰り返しマッケオン伯爵が倒れる部分だけを何度も夢にみていた気がする。目が覚めると頭が割れるように痛み、悪寒がひどい。本当に熱を出してしまったのだ。
朝になって、マティアスを寝たままの状態で見送った彼女は、冴えないままの頭で何度もマッケオン伯爵のことを考える。
(今までとは違う。……今までは、敵ではない人の死を故意に選んだりしなかった)
はじめてみた夢は、暗殺者の死。それ以降、味方や罪のない人の死を選んだことはなかった。老神官の死は選ぼうとして選んだのではなく、予知夢の規則を知らなかったからこそ選んでしまったものだ。
あきらかに、相手が死ぬのがわかっていて、しかも無関係の人間に押しつけるのは今回がはじめてだ。
(なぜ、毒が……? だって王宮なのに? 国王陛下主催の宴なのに?)
夢の内容だけでは、判断がつかない。マティアスは親ディストラ派から恨まれていると、先日ブリュノから説明を受けたばかりだ。だが王宮内で事件を起こすなど尋常ではない。
いくら考えても、マッケオン伯爵の死を選ぶ以外の選択肢が浮かばない。老神官のときのように、第三の未来が神からの罰のような未来だったら? ――――それが恐ろしくてほかの道を選べない。いっそ、すがすがしいほどの悪人になってしまえれば楽なのに、クラリッサはそうなれずにいる。
熱のせいで頭が痛み、毛布に包まっていても寒い。猫のように丸くなったクラリッサは使用人に心配をかけないように声を押し殺して泣いた。
そして三日後、国王主催の宴の席。クラリッサの目の前でマッケオン伯爵は死亡した。夫の死を目の前で目撃したエスメラルダが泣き叫び、ドレスが汚れるのもかまわずに夫を抱き起こす――――本来、そうなっていたのはクラリッサのはずだった。




