宴と狂乱編1
クラリッサたちが公爵邸に戻り、一ヶ月が過ぎようとしている。そのあいだに彼女は二度も、マティアスの死を夢にみた。
(おかしい……なんでマティアスが?)
夢は二回ともマティアスが刺客に狙われる夢。刺客のうち一人は毒をあおって自害、もう一人は捕まったあとに死罪。クラリッサはもちろん、刺客を捕らえるほうを選択した。
夢が現実になって、捕らえられた刺客の刑が実際にはどうなったのか、マティアスは教えてくれなかった。けれど言わないということは、クラリッサに知って欲しくないということだ。夢で予知したとおりの死に方をしたのだと彼女は確信していた。
クラリッサはすでに、相手が敵ならば罪悪感すら抱かなくなっていた。マティアスを傷つける者ならば、どんなひどい死に方をしても当然だとすら思う。自身の中にこんなに真っ黒な闇があることに驚き、夢をみせている者を憎んだ。
本当はつらい選択から逃れたい――――彼女自身がこの世からいなくなれば夢はみない。そう思っても、死を選ぶことも狂ってしまうこともできずにいる。もし彼女が選ぶことをやめれば、マティアスが死んでしまうかもしれないのだから。愛する人を守りたいというただ一つの想いだけで、彼女は生きていた。
彼女がわからないのが、敵の目的だ。この一ヶ月でみた夢はどちらも直接マティアスが狙われていた。
多くの貴族から恨まれて、常に命を狙われているクラリッサではなく、マティアスが標的になる理由が彼女にはわからない。
「奥サマ、なんだか浮かない顔してるぞ」
部屋で刺繍をしていると、護衛のブリュノから声がかけられる。
「ブリュノ殿! それ、敬語じゃありませんから」
いちおう呼び方だけ「サマ」をつけたけれど、敬語でもなんでもない話し方をする彼のことを、アーシェラがたしなめる。それは毎日のようにされているやり取りで、クラリッサにとっては日常だ。
「いいのよ、アーシェ。……ねぇ、ブリュノ。マティアスが襲われたでしょう? どうしてなのかわからなくて、不安で……」
「べつにおかしくねぇだろ? 急に親ディストラ派が力を失って混乱してるからな。マティアスは今回、あいつらを裁く側に回ったから」
「でも、それは陛下の命があったからでしょう? マティアスは……」
マティアスはなにもしていない。そう言いかけたクラリッサは、ばかばかしくなる。貴族の世界では本心などどうでもいいのだ。彼女は出したくもない神託に名前を使われたせいで、恨みを買った。マティアスもとくに親ディストラ派と敵対していたわけではないが、王命で彼らを捕らえて、手柄にした。たとえその手柄というのが、マティアスにはなんの得にもならないものだとしても、周囲から見ればそうなのだ。
「ねぇ、ブリュノ……。前に私が使っていたようなナイフを、用意してくれないかな?」
もし、刺客が襲ってきたらクラリッサがマティアスを守る。そのために武器が欲しかった。
「おいおい、なに考えてんだ? ダメに決まってる。……第一、そんなのマティアスが許すわけねぇだろ」
「クラリッサ様、危のうございます。……不本意ですが私もブリュノ殿と同じ意見です!」
「でも、いざというときにマティアスを守れなかったら後悔するから」
いつもは仲の悪い二人に結託されると、勝てそうもない。でもクラリッサはどうしてもあきらめたくない。この先もマティアスや、彼女自身が狙われる可能性があるのなら、できることはすべてしないと後悔しそうなのだ。
「あのなぁ……。お前のは、人を殺すためのものじゃなくて、ただの芸だろ? 第一、その足じゃ前みたいには……」
「だからこそ! 鍛錬しておきたいの、ね? お願い」
「そういうのは、マティアスに頼むんだな。たまたま暗殺者の確保に貢献したからって調子乗んなよ。クーは軍人でもなければ、人を殺したこともないんだからな。持ってるほうが危ねぇ」
過保護なマティアスがそんなものを許可するはずもない。だからクラリッサはブリュノに頼んでいるのだ。そして、クラリッサが人を殺していないというのは、事実ではない。自分で直接殺めていないだけ。死ぬ人間を勝手に決めているくせに、手を汚す行為だけ、ブリュノやマティアスにさせている。それなのに、手が汚れていないと思うのはおかしい。
「お前を守るのが、俺やマティアスの仕事だろ? そこをはき違えられると、守るやつが迷惑するんだが」
ブリュノは妹を諭すように、静かに言う。
「違うよ。たぶん、私はマティアスを守る役目がある。それが夫婦ってことだと私は思うの」
皆には話せないが、夢はマティアスを守るためにみているのだ。クラリッサ自身の意志とは関係なしに夢をみてしまう。運命をねじ曲げるための手段は多いほうがいい。
「……だから、マティアスに頼めって。なぁ、クー。お前、なにをそんなに焦ってんだ? マティアスだって心配してるぞ」
「マティアスが? そう、ごめんなさい……そうよね、皆に心配かけないようにしなきゃ」
老神官が亡くなったショックで落ち込んでいる。もうそれでは説明ができないほどクラリッサはおかしくなってしまったのだろうか。予知夢のことを知った者が次の犠牲者になる可能性がある以上、誰にも悟られてはいけないのに。
ブリュノにそう指摘されては、もうそれ以上は言えない。クラリッサはナイフの話はやめて、刺繍の続きをしようと視線を落とす。
「ところで、奥サマ。アーシェの次の休みはいつだ?」
「アーシェの?」
なぜブリュノがアーシェラの予定をクラリッサに聞くのか。そしていつの間に愛称で呼ぶようになったのか。クラリッサが疑問に思って、アーシェラの様子をうかがうと、彼女は顔を真っ赤にして怒っている。
「……な、馴れ馴れしい!」
「あんたが教えてくれないからだろう? もったいぶるもんでもねぇぞ」
「え、えっと……、みっ――――ぐっ!」
クラリッサが教えようとすると、アーシェラが彼女の口をふさぐ。四年近い付き合いで、使用人というより姉のような存在の彼女だが、主の口をふさぐなど、普段なら考えられない。
「失礼いたしました! ですが、お教えになる必要はございません!」
「三日後だろ? はいはい、わかったわかった」
クラリッサがいないときに、なにがあったのか。眉間にしわを寄せているアーシェラが機嫌を直したら聞いてみたい。兄のような存在のブリュノと姉のような存在のアーシェラ。彼女にとって大切な存在の二人がもし――――そう思ったら、クラリッサは久しぶりに心があたたかくなった。




