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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第二章 聖女と予知夢

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氷の聖女編6



 ジェレマイアはリンデン宮の私室で、シュワードの訪問を待っていた。


 王命による大規模な粛清しゅくせいから一ヶ月が経った。公爵家の二人は、グレンダとジェレマイアに挨拶をしてから、屋敷へ戻っていった。

 先王やその王妃、そして末の姫がいなくなり、公爵夫妻もいなくなったリンデン宮は廃墟のような物寂しさがただよう。あるじの命がなければ自由に口を開くことすらない女官や近衛騎士たちは、まるでその廃墟に住む幽霊のようだ。


 マティアスに主神の加護があり、クラリッサにもネオロノーク神から与えられた聖女の力がある。最初にそのことを考えたのはジェレマイアだ。

 聖典に記された「再び乱れしとき」という言葉を考えると、すぐに氷の聖女の存在に思い至る。王宮に保管されている秘匿ひとくされた記録を紐解けば、氷の聖女が異様なほど情報収集能力に長けていたことが記されていた。

 例えば、彼女が謀反むほんの恐れありとした人物の屋敷を調査すると、本当にその証拠が出てきたり、敵の斥候せっこうが潜んでいる場所を言い当てたりということが、頻繁にあったとされている。


 ジェレマイアがそうしているように、シュワード家をはじめとした諜報員をいたるところに配置していた、という可能性もある。謀反の証拠というものは、むしろ裁く側がねつ造することだって考えられるのだから、氷の聖女が証拠の在処ありかを知っていたとしても、それが神から与えられた力とは断言できない。


 可能性だけを考えるなら、おかしなところはなく、すべて理論的に説明できる。だから神の力など存在しない、と言い切っていいのだろうか。そちらの可能性をまったく考えないことのほうが、ジェレマイアには愚かに思える。

 導きの聖女フィオリーナのように、氷の聖女にも先を見通す力があったという可能性をジェレマイアは疑った。


 大規模な粛清を行うにあたり、クラリッサの身の安全を確保するためにリンデン宮に滞在させたのは真実だ。けれど彼の目的はそれだけではなく、クラリッサの力について観察したいという思惑もあった。

 マティアスをわざと遠ざけ、そしてできるだけ危険な任を与える。マティアスの加護、そして聖女の力。そのどちらかが見られないだろうかと彼は期待したのだ。


 現実は彼の思惑どおりにはいかない。シュワードたちによって綿密に計画された今回の粛清では、大きな混乱は起きなかった。マティアスには高位貴族の捕縛ほばくの命を与えたが、罪人は抵抗することもなく捕まった。ある意味でジェレマイアにとっては期待はずれ、となってしまった。

 しかしリンデン宮に滞在中のクラリッサを観察して、やはり彼女はなんらかの力を持っているのだとジェレマイアは確信した。

 彼女は歴史に興味があると言っていたが、読んでいる本は氷の聖女に関するものばかりだった。彼女も氷の聖女という存在を気にしているのだ。

 王妃にはならなかったクラリッサの聖女としての仕事といえば、大神殿で行われる儀式で祈りを捧げることだけだ。歴史に興味を持っても、それが役立つことなどない。



(……愚かだな、聖女は)



 今からでも遅くはない。そう言って、今後も協力する姿勢を見せていたが、いったいなにに協力するのだろう。ジェレマイアが本当に欲しているものは、もうまともな手段では手に入らないものなのだ。


 執務室の静寂を破ったのは、呼び出した人物の到着を知らせる侍従の声。ジェレマイアが許可を出すと、足音も立てずに温和な表情を浮かべた男が入ってくる。


「お呼びでしょうか? 陛下」


 この国の皆が信仰し、けれど誰一人として信じてはいないおとぎ話。国の長であるジェレマイアが、神話やおとぎ話を根拠に国を動かそうとしているのだ。きっとベリザリオ十八世という王はどう転んでも愚王として語り継がれるはずだ。


「このたびの活躍ではっきりした。やはりウェイバリー公は脅威きょういとなる……殺せ」


 半分とはいえ、血のつながった兄を殺める。すでに父と母を遠ざけ、多くの臣を裁いたジェレマイアには、なんの躊躇ちゅうちょもない。むしろ、彼を殺めることで得られるはずのもの、失わずに済むはずのもののことを考えて、異様に胸が高鳴る。

 ジェレマイアの予想が正しければ、マティアスが確実に死ぬとは限らない。マティアスを殺す。それはつまり偶然に頼らず、不可思議な力を確認する機会をつくることでもある。そして、歴代の王たちは不死ではなかった。たとえマティアスやクラリッサが選ばれた者たちだったとしても、絶対的な力は持っていない。


「わざわざ任務をお与えになって手柄を立てさせてから、というのはあまりにもお人が悪い」


 シュワードは非難するのではなく、笑っている。


 国王が臣を裁くとき、その基準は罪があるかどうかではない。ベリザリオ十八世という君主が支配するこの国にとって利益があるかどうか。たったそれだけでいい。ジェレマイアの治世にとって危険な存在であれば、それはれっきとした罪なのだ。


「仕方がないだろう。あれは、単なる確認だ。公が私にとって脅威となるかどうか……答えは出た。それだけのことだ」


「御意」


「それから、ウェイバリー公は罪人にはできない。これは絶対だ」


 単にマティアスを排除するだけならば、適当な罪をでっち上げ、身分を剥奪はくだつし流刑にでもすればいい。だが、それではジェレマイアの欲しいものは手に入らない。


「聖女様のことでございますか?」


「そうだ。ウェイバリー公亡きあと、あの者は我が手元に置く。夫が罪人になれば、いくら聖女でも宮には入れられないからな」


 この国では離婚が認められていない。もし、マティアスが罪人となれば彼女も夫と運命をともにするしかない。彼女を手に入れるためには、マティアスを罪人にはできない。


「それではうたげを披きましょう。親ディストラ派が排除され、今後は陛下が名実ともにこの国のたったひとりの君主であることを、諸侯へ知らしめるいい機会になりましょう」


「では聖女も必ず出るように、王命をだしておくとするか」


「……あまりよい趣味とは思えませぬが」


「よいのだ。兄上が勝つか、私が勝つか……、聖女には見守ってもらうことにする」


 ジェレマイアはクラリッサのことを思い浮かべる。リンデン宮を去る直前に挨拶に来たときは、とても嬉しそうにしていた。

 けれど彼女がジェレマイアのことを考えて笑顔を向けたのは、たった一度だけ。いつわりの神託が出されたことを知る直前、馬車で見せたのが最初で最後だ。


 ずいぶんと穏やかになった今の彼女が見せる笑顔は、すべて夫のため。マティアスがジェレマイアに嫌われないため。マティアスが苦しい立場に追い込まれないようにするため。彼女はマティアスのために、ジェレマイアに向けていたいきどおりをすっかり忘れてしまった。


 誰かを許すことは、とても尊いことなのだろう。それが忘却となにが違うのか、ジェレマイアにはわからない。

 彼女がジェレマイアを憎んだとき、そして泣いたときの記憶は確かにあるはずだ。けれど許してしまったあとに辛い過去を思い出しても、そこにはもう感情が伴わない。忘却と同じなのだ。



(あなたが私を愛することなどないのだろう。……だったら、すべてをその目で見て、私を憎め。マティアスのことを想って、忘れ去られるよりずっといい……)



 ジェレマイアはクラリッサを欲していた。かつての彼は、王太子としての立場を優先して、クラリッサを守ってやらなかった。だからいまさら彼女に愛されるとは思っていない。ジェレマイアが特別に思っていた彼女を見捨ててまで守ろうとした玉座。それが、彼女とともにあるのだとしたら、なんという皮肉なのだろう。



(今からでも遅くない、あなたが言ったんだ……)



 ジェレマイアは異母兄を排除し、聖女を手に入れて、本来王が手に入れるべきものをすべて取り戻す。

 彼はまぶたを閉じて、公爵邸に帰るのだと笑顔で告げたクラリッサの顔を思い浮かべた。きらきらとした琥珀色の瞳が以前のように、怒りや憎しみをはらんで、ジェレマイアだけを見つめる。


 ジェレマイアは、その日が訪れることを待ち望んでいた。



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