氷の聖女編5
リンデン宮の中では比較的自由に過ごし、常に多くの女官に囲まれているクラリッサだが、最奥の宮で聖女付きだった女官たちに会うことはなかった。図書室でのジェレマイアの言葉から推測して、女官たちは職を解かれたか別の場所へ移動になったのだと彼女は察する。
そして翌日、クラリッサは言われたとおりの時刻に先代聖女のもとをたずねた。
マティアスとジェレマイアの祖母にあたる先代聖女は高齢のため、ほぼ寝台で過ごすような状態だという。足腰は弱くなっているが、誰かと会って話をするのは好きで、それが身体への負担になることはないという説明を先代聖女付きの女官がしてくれる。
先触れをだしていたので、先代聖女は一人掛けのソファに深く腰を下ろして、クラリッサの到着を待っていた。
彼女は真っ白な髪をゆるく束ねた、小柄な女性だった。
「あなたが今代の聖女ね? はじめまして、とあいさつするべきですね。わたくしはあなたの前に聖女のお役目にあった者、グレンダです」
グレンダは柔らかい表情でクラリッサの訪問を歓迎する。
「お初にお目にかかります。今までお伺いすることができずに、申しわけありませんでした。私はベリザリオ十八世陛下の聖女の任をいただいております、ウェイバリー公マティアスの妻、クラリッサと申します。このような機会をいただきましたこと、深く感謝申しあげます」
「こちらこそ、ごめんなさいね。私はもう宮から出るのが難しいの。あなたがとても苦労していたのは知ってはいたけれど、なにもできなくて」
ジェレマイアから聞いていたとおり、今まで面会すら叶わなかった理由は、貧民から聖女になったクラリッサを嫌ってということではないと知り、彼女はひとまず安堵する。
「もったいないお言葉です」
すすめられてからクラリッサもソファに腰を下ろす。
「マティアスは優しい? わたくしはね、あの子の母親とはとても親しかったのよ? わたくしが先王にすすめたの。残念なことになってしまったけれど」
「マティアス様はとてもお優しい方です。生まれがいいとは決して言えない私のことを、いつも気にかけてくださいます」
「そう……。あの子は優しい子なのね。もうマティアスとは一年も会っていないのよ。同じ宮に住んでいるときでさえ、一年に一度、会うかどうか……。この宮はどうして、こんなに息苦しい場所になってしまったのかしら? 私が大神殿からここへ来たときは、もっとあたたかい場所だったの。わたくしの前の聖女、レオノーラ様がずいぶんと明るい方だったからかしら?」
クラリッサが聞きたかった話題を、図らずもグレンダが口にする。
「レオノーラ様……氷の聖女と呼ばれていた方ですよね?」
「ええ、明るくてかわいらしい方だったわ。なつかしい」
数十年という遠い記憶に思いを馳せて、そう語るグレンダ。その表情から、先々代レオノーラとの関係が良好だったことを察することができる。
「世間の評判とまったく違うのですね」
「それは、あなたも同じではなくて? あぁ、でも……わたくしも内戦が終わったころはこの世に生を受けてすらいなかったから、噂でしか聞いたことがないけれど、内戦中は厳しい方だったようです。……レオノーラ様は、ちょうど国内が安定した頃、記憶を失われてしまったと聞いているわ。混乱する国の秩序を取り戻すということは、きれい事では済まないもの。私の知らないあの方には、そういう側面もあったのでしょう」
「記憶を失った?」
それはクラリッサが知らない、歴史に記されていないことだ。
「いつまでも少女のような方だったの。あの方はいつも、聖女に選ばれたときのことを嬉しそうに話してくれたわ……思いがけない幸運で、初恋の君の聖女になれたのだとね。ちょうど、あなたとは真逆ね」
氷の聖女は幸運で初恋の君の聖女となった。クラリッサは不幸な偶然が重なり、望まないまま聖女にさせられ、見ず知らずの力のない王子と結婚させられた。なにも知らない人間からすれば、真逆に見えるのだ。
グレンダはクラリッサに、氷の聖女について詳しく語って聞かせる。
グレンダが王妃となったころ、彼女の夫であるベリザリオ十七世の母親はすでに故人で、祖母にあたるレオノーラがリンデン宮を取りまとめる立場にあった。
冷酷で敵対する者をすべて死罪にしたという“氷の聖女”はすでに高齢だったが、誰かを罰することなど考えもしない、天真爛漫という言葉がぴったりの、少女のような人物だったという。
当時の女官たちの話では、レオノーラは内戦が激しかった時期の記憶を失っており、彼女自身の感覚では太平の世を生きてきたというのだ。
たとえ表舞台に出る機会が少なくなっても、氷の聖女という存在そのものが抑止力になっていた。だから公には、彼女の記憶喪失については記されず、リンデン宮で働くごく一部の人間だけがそのことを知っているだけだった。
レオノーラが聖女となった経緯も複雑だった。彼女は高位貴族の令嬢だったが、本来の聖女候補は彼女の姉だったというのだ。
当時は今以上に、貴族の令嬢が相手を選ぶということは考えられない、それだけでふしだらと言われてしまうような時代だ。レオノーラは密かにのちの夫となるベリザリオ十六世のことを慕っていたのだという。彼女の姉が聖女候補になったとき、役割を代わってほしいなどと言い出せる状況ではなく、あきらめるしかなかった。
ところが直前になって姉が急病になり、急遽レオノーラが神託の場所へ行くことになったのだ。大人たちにとって重要なのは、どの家の人間が未来の王妃になるかということで、それが姉でも妹でも些細な違いなのだ。
レオノーラは聖女となり、ベリザリオ十六世も彼女を憎からず思っていたので、大変仲のよい夫婦だったという。
「もしかしたら姉君は、レオノーラ様の気持ちをご存じで、役割を譲るために、嘘をついたのかもしれないわ。そうだとしたら素敵なお話だと思わない? つらい時代の記憶を失われたのは、あの方にとっては幸せなことだったのかもしれないわね」
「そう、だったのですか……」
クラリッサとは真逆で、幸運によって聖女となった氷の聖女。本当に真逆なのだろうかと彼女は疑問に思う。
クラリッサ自身が聖女になることを望んでいなかったこと、そして大怪我をしたことで周囲からは“望んでいなかった”と思われている。けれど最後に彼女が得たものは初恋の君と結ばれるというレオノーラと同じ結果だ。
そして記憶を失ったという話。レオノーラは王妃という立場で人を簡単に罰することができた。もし、クラリッサが同じ立場で予知夢をみたとしたら、近い未来に夫に仇名す者を裁いたかもしれない。
記憶を失ったのは、その罪の意識に耐えかねて。もしくは未来を予知する代償とも考えられる。
すべてクラリッサの推測で、真実など結局はわからない。
「あの、グレンダ様。貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。……また、お話を聞かせていただいてもよろしいですか? 今度はグレンダ様やマティアス様のお母様のお話をうかがいたいです」
「ええ、もちろんよ。……今度はマティアスと二人でたずねてきてね?」
「はい、マティアス様にお伝えいたします」
落ち着いたらクラリッサはこの宮から去り、リンデン宮は寂しくなるだろう。多くの女官に囲まれていても、彼女には家族や友人との会話などほとんどない。
ジェレマイアもグレンダも、高貴な身分だからこそ孤独な存在だった。
<説明>
べリザリオという名前は聖女が遣わされた王だけが名乗っています。聖女選定は約五十年に一度ですが、時の王太子の年齢によるので、四十年だったり六十年だったり変化し、二~三代おきに権力者の都合で選ばれていました。
クラリッサ――――べリザリオ十八世=ジェレマイア
オティーリエ―――メイナード十三世
グレンダ―――――べリザリオ十七世
<あいだに一代 名前は不明>
レオノーラ――――べリザリオ十六世
こうなってます!




