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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第二章 聖女と予知夢

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過ちと眠り編8



 老神官イルマシェの亡骸は、本人の遺言により古き神殿の共同墓地に葬られることになった。

 老神官は、聖女であり公爵夫人でもあるクラリッサの正式な養父だった。本来なら上流階級の人間が埋葬されている場所に眠らせることもできた。しかし、貧しい人々のために祈りを捧げていた老神官の人柄を考えれば、古き神殿こそが彼にとっての安らぎの場所なのだと皆が納得した。


 クラリッサは橋の崩落現場を見た直後から体調を崩して寝込んでいたが、葬儀の日にはふらつきながらも鎮魂の祈りを捧げた。

 神を信じない、いるのだとしたらむしろ憎んでいるクラリッサが、ネオロノーク教の聖典を読み上げるのはおかしな行為だ。けれど、安らかに眠って欲しいと願う気持ちだけは本物だった。


 ウェイバリー公爵家の人間、そしてごく親しい聖職者だけが参列した葬儀。野良犬たちの心のよりどころになっていた古き神殿を長く管理してきた彼ならば、もっと多くの人々にとむらわれる権利があったはずだ。

 けれど、彼を慕っていた孤児たちにその死が伝えられることはない。クラリッサの出身を隠蔽いんぺいするためだ。


 老神官の長い人生、その最後の三年半はクラリッサのためにあり、そして彼女のせいで死んだ。クラリッサはそのことを決して忘れてはいけないと心に誓う。



***



 葬儀が終わり、寝室で休んでいたクラリッサのところへマティアスがやって来た。


「少し、話があるんだ」


 マティアスはベッドのふちに座って、身を乗り出すようにしながら手を伸ばし、クラリッサのひたいに触れる。


「熱はないけれど、まだ顔色が悪いね。無理にでも食事は取らないとだめだよ?」


 老神官の死以降、すっかり食欲がなくなり眠るのが怖くなってしまった。睡眠不足から疲れやすくなり、すぐに寝込んでしまう。ベッドに入ればうとうとするのに、深く眠ることができず、頭が冴えない。大切な葬儀の日だったのに、情けないと彼女は思う。

 夢のことを知らないマティアスは、老神官が亡くなったショックでこうなっていると思っているはずだ。もちろんそれは間違いではないのだが、老神官が死亡した原因がクラリッサにあること。そのことが彼女の心を深くむしばんでいる。


「うん、わかってるわ。もう起きるから」


 クラリッサが身を起こすと、マティアスは軽々と彼女を抱き上げてソファまで運ぶ。


「ありがとう……」


「どういたしまして。……おじいさまは最後に、君の幸せを願われていた。それを忘れないで」


 老神官は、みずからが代償で死ぬことを自覚していた。今後、クラリッサが誰かの死を積極的に選ぶ日が来ることも予想していた。それでもクラリッサの幸せを願ったのだ。

 けれど彼女は思う。今の彼女が幸せになれるとしたら、それは罪を罪とも思わない歪んだ人間になることではないのかと。

 自身の選んだ罪なき人の死を、すぐに忘れてなんとも感じない人間になれるのなら、クラリッサは幸せでいられるのかもしれない。でも、彼女はそうなりたいとは思わなかった。


「それで話というより、君に渡したいものがあるんだ」


「渡したい……? なに?」


 マティアスが持っていたのはきれいな箱に収められたなにかだ。


「あの日、おじいさまは五番街でこれを買ったらしい。開けてみて」


 箱はずしりと重い。膝の上に箱を乗せふたをはずすと、中から出てきたものは本のようなものだった。


「日記帳……なの?」


 それは鍵のかかる日記帳。表紙はかわいらしい花柄の装丁で、若い女性用だとわかる。


「ほかにも、紙やインクを買って荷物が多くなったから公爵邸まで届けて貰うことになっていたみたいだ。その日記帳は明らかに男性用にはみえないから、君のために買ったんだと思う」


 クラリッサが老神官に予知夢のことをうち明けたとき、彼は夢にみたことをそのまま文字にして記録したほうがいいと提案した。マティアスの言うとおり、日記帳は彼女のためのものなのだろう。


「本当は、渡さないほうがいいのかもしれないと迷ったけど、私が決めていいことでもないから」


 橋の崩落事故に巻き込まれる直前に買ったもの。形見の品となるものだが、同時に事故の日をいつまでも思い起こさせるものになる。だからマティアスは迷ったのだろう。


「マティアス、ありがとう大丈夫だよ。……うっ、……じいちゃ……」


 まだなにも書かれていない日記帳を抱え込むようにして、クラリッサは涙を流す。マティアスはなにも言わずに彼女をぎゅっと抱きしめた。



***



 一人になったクラリッサは、私室で机に向かっていた。彼女の前には老神官の形見の品――――日記帳がある。マティアスは日記帳になにを記す予定だったのか知らない。老神官もこんなふうに使われるとは思っていなかったかもしれない。

 クラリッサはためらうことなく、なにも書かれていない新しい日記帳にペンを走らせる。



『五日前、おじいさまが亡くなってしまった。どうして神は、その存在をおとしめる者ではなく、真逆の存在を連れていってしまったのだろうか。おじいさまが最後に残してくれたこの日記帳に、私はこれから、未来に必ず起こる私の罪を書き記していこうと思う。きっと神は救いを求めている者にそれを与えず、罪を犯した者に罰を与えてはくれません。――――いつかすべてを知ったとき、どうか私を罰してください。私は自らの意志で誰かの死を望む咎人とがびとだから』


 クラリッサは涙で日記帳を濡らさないように、一度ペンを置く。彼女には老神官が残した日記帳を涙で濡らす権利がない。いつかその時が来たら、言い逃れのしようもなく彼女自身の意志で、マティアス以外の誰かの不幸や、誰かの死を選ぶつもりなのだから。



『まずは、過去のことを書いておきます。自分自身でも、いつからそれがはじまったのか、なにがきっかけだったのか、まったくわかりません。だから、マティアスと出会った日から覚えていることを書き残しておこうと思う』



 野良犬の巣で少年と出会い、聖女になるまで。そして望まれない聖女となったこと、いつわりの神託のこと、ジェレマイアとの確執のこと。突然マティアスと再会したこと、はじめて悪夢を見た日のこと。


 クラリッサは長い時間をかけてできるだけ事実を書き記した。


 老神官は二つの夢を回避できたら、誰も犠牲にならない幸福な未来があると信じて、日記帳を買ったのだろう。だから表紙は明るい、かわいらしい装丁なのだ。クラリッサに幸せな未来を与えたいと願って、選んだのだろう。


 まだ白紙の部分が多いその日記帳には、今後も彼女の罪だけが記されていくはずだ。



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