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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第二章 聖女と予知夢

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過ちと眠り編7



 軍の医療施設にたどり着いたクラリッサは、震える足と杖を必死に動かして老神官のいる部屋へ向かう。

 案内された部屋には、マティアスとロイが無言で立っていた。


「おじいさま!」


 クラリッサが寝かされている老神官に駆け寄る。杖が転がり、裾が汚れるのも気にせず床の上に膝をついて、寝かされた老神官の近くに顔を寄せる。

 片目や頭、腕や胸、身体のほとんどを包帯で覆われていた。そして治療をされたはずなのに、真っ白な包帯から血がにじみ出ている。


「……おお、クー……すまん、のぅ」


 呼びかけに答えるように、か細い声でそう言う。けれど包帯のない目はうつろで、視線は合わない。


「おじいさまっ、おじいさま。しっかりして!」


 必死に呼びかけるクラリッサの肩にぽんっと手が置かれる。振り向くとマティアスが、ひどく真剣な表情で首をゆっくりと横に振る。



(な、なに……? なんで? 意味がわからない、いやだ、いやだよっ!)



 野良犬の巣で多くの人間の死を見て育った。全身から出血の止まらない老神官はとても命が助かる様子ではない。マティアスが首を横に振った意味は理解できるのに、クラリッサの心は現実を拒否する。


「じいちゃ……いやだよ」


「……クー、や。すまんの……、ゴホッ」


 老神官の口元から鮮やかな血が一筋流れる。クラリッサは白いハンカチでそれをぬぐう。


「選ばねば、なら……ん」


 虚ろな瞳のまま、老神官の声は聞き取れないほど力なくかすれている。


「選ぶ……?」


「悪夢を回避、……には、……っ、代償……かも、しれ」


「おい! じいさん。もうしゃべるなよ」


 目を真っ赤にしたブリュノが老神官を不器用に気遣う。老神官にはもうその声は届いていないようだ。

 大きく肩を揺らしているのに、呼吸はか細い。呼吸するたびに胸のあたりからひゅうひゅうという音かする。それでも、老神官はクラリッサに必死になにかを伝えようと、声を絞り出す。


「国が、乱れたと、き……調べ……さい」


 指先すら動かせない状態で、老神官は最後の最後までクラリッサのために知っていることを言おうとする。


「神は、ひどい。こと……なさる」


「神様なんて、いたら私はっ! 私のせいで……私のせいでこんなことにっ、じいちゃんっ、じいちゃん!」


 もし、クラリッサが本当に聖女で、ネオロノーク神の声を聞く力を持っているのだとしたら、なぜこんな最悪な未来を回避できないのか。クラリッサの足はなぜ以前のように動かないのか。


 少なくとも、クラリッサは神に愛される存在ではないのだ。力を持つことと、神に愛されることは別なのだ。


「クーや、幸せに……どうか……」


 それが老神官の最後の言葉になった。


 いつか古き神殿を訪れた四人の若者に見守られて、彼の長い人生は終わりを告げた。



***



 翌日、クラリッサは皆に頼んで、橋の崩落現場を見に行った。ロイの説明では、三日間降り続いた雨のせいで地盤がゆるみ、大きな馬車が通ったことがきっかけになり、崩れ落ちたというのだ。

 その橋は公爵家の屋敷から近く、クラリッサが買い物に行くときも、マティアスが軍の施設に行くときも頻繁に利用する。


 ゆるやかな流れの川をせき止めるように、石造りの橋の残骸ざんがいと黒塗りの馬車が横倒しのまま放置されている。たもとにはそれぞれ一人ずつ軍人が立ち、人や馬車が間違って入り込むのを防ごうとしている。

 橋を封鎖するための工事と、崩れた石や土砂、壊れた馬車の撤去作業がはじまっていた。


 あの夢が真実だとするならば、本来なら公爵家の馬車が通ったそのときに、橋が崩落していたということなのだろう。

 この事故での死者は老神官一人だった。崩落したときに橋の上を通過していた馬車に乗っていた四人の人間は、大怪我をしたが命に別状はない。頑丈な馬車の中にいたことで命が助かったのだ。老神官は運悪く馬車に押しつぶされて肺や臓器にまで傷を負い、助け出されたときにはもう手遅れだった。



(私が殺したんだ……)



 間違いなく、クラリッサがこの未来を選んでしまった。もし馬車に乗っていたら、同じ時刻に同じ場所を通っていたとしても、助かっていた可能性が高い。彼女が老神官に予知夢のことをうち明けて、馬車に乗せなかったから老神官は死んだのだ。


 クラリッサはマティアスに抱えられて、土手の下までおりる。崩れ落ちた橋、つまりは事故現場までできるだけ近づいて、花を手向たむけるためだ。


 もう自分のせいだ、とは口にできない。口にしたら、優しいマティアスに否定されるから。クラリッサにとって自身の罪を素直に口にすることは、逃げるのと同じ。忘れてしまうことと同義なのだ。罪を決して忘れないように頭の中でなんども唱える。


 老神官が最後に伝えようとしたこと。一つは代償。今回のことで、クラリッサにもはっきりとわかった。

 本来進むべき未来はマティアスになにかが起こる未来なのだろう。それを回避する方法は、二つ目の夢の方法しか許されていないのではないだろうか。代償なしに、未来を変えることはできない。そして二つ目の夢を違えた場合、さらに過酷な代償を支払わなければならないのかもしれない。

 ロイの腕と老神官の命。二人を比べることなどできないが、老神官はもう、クラリッサがどう足掻あがいても償うことすらできない場所へ逝ってしまった。



(二つ目の夢を違えてはいけないんだ……私はこれからも、きっと誰かの死を選ぶんだ……)



 老神官は国が乱れたとき、と口にしていた。先代様と呼ばれる五十年前の聖女が不思議な力を持っていたという話はない。クラリッサと同じ能力だとすれば、それを周囲にうち明けたかは定かではない。だが、もしかするとすべての聖女が同じ力を持っていたわけではないのかもしれない。聖典にも聖女が遣わされるのは“再び乱れしとき”という記述がある。老神官が言いたかったことは、そのことだろう。


 彼女がマティアスの夢をみる理由――――クラリッサが聖女に選ばれたのは三年も前のこと。三年間、マティアスのこともジェレマイアのことも予知などしたことがなかった。きっかけとなる変化があったとしたら、クラリッサとマティアスが夫婦になったことしか考えられない。

 クラリッサが彼を愛してしまったから、彼との幸せな未来を望んでしまったから、夢をみるのだろうか。


 クラリッサは、寄り添うように近くに立ち、静かに見守る夫の顔をのぞき見る。マティアスは近しい人を犠牲にしてまで、未来を変えたいと思うだろうか。絶対にそんなことは思わないはずだ。

 さらにクラリッサは考える。老神官が選ばれて(・・・・)しまった理由は、予知夢のことを知ってしまったからではないのか。彼女に夢をみせている何者かは、与えられた選択肢からはずれたこと、そして誰かに話してしまったことを警告し、罰を与えたのではないか。


 すべてはクラリッサの憶測でしかない。けれど予知夢を誰かにうち明けることは、自らの過ちと罪を告白するだけではなく、その人物の命を奪ってしまう可能性がでてきた。

 だから、決して誰にも言わない。そしてマティアスを守るため、二つ目の夢を選択し続ける。今の彼女にできるのはたったそれだけしかない。


 きっと、マティアスが知ったら軽蔑するだろう。あなたのため、そう言ってなにかを押しつけられるのは、誰にだって愉快な話ではない。ましてやそれが誰かの死に関係しているのなら、なおさらに。



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