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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第二章 聖女と予知夢

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過ちと眠り編6



 強まったり弱まったりしながら降り続いた雨は、三日後の朝にやっと終わる。流れの速い雲の隙間から、澄んだ青空が見えはじめ、次第に青の部分が広くなっていく。地面にできた水たまりと濃い草木の香りが降り続いた雨の名残だ。


 場所は公爵家の玄関ホール。軍服を着ているマティアスを送り出す時間。今度は夢ではない。


「やっと嵐が去ってくれたね。三日も屋敷に閉じこもっているのは退屈だったでしょう?」


「べつに退屈じゃないわ。刺繍をしたりベイリン夫人からいろいろ教わったり、やらなければいけないことはたくさんあるもの」


 できるだけ夢でみた光景からはずれないように、クラリッサは意識して同じ言葉を口にする。


「そう? でもたまには買い物をしたり、どこかに出かけてきてもいいんだよ? 護衛はしっかりつけているんだし」


「そうね……。それもいいかもしれないわ。買い物に行ってみようかしら?」


 この言葉でマティアスは馬車に乗らずに済む。


「気分転換にはとてもいいと思うよ。それなら私は天気もいいし、今日は馬で行くから。いってきます、クラリッサ」


 マティアスがクラリッサの頬に軽くくちづけをする。夢と違うのははっきりと彼のぬくもりを感じられることだけ。


「いってらっしゃいませ、旦那様」


 開かれた扉のそとは太陽の光が濡れた地面に反射して、夢と同じように眩しい。マティアスが愛馬に乗って屋敷の門をくぐり、ひづめの音が聞こえなくなるまで、クラリッサはその場で見送る。

 近くにはアーシェラを含む使用人がそばに控えていて、この日の護衛は予想どおりロイだった。しばらく本を読みたいからとアーシェラを下がらせ、ロイを部屋のそとに待機させる。

 図書室の扉を開けると、老神官がそこにいる。偶然ではなく、昨日のうちからそういう予定になっていた。


「クラリッサ殿」


「おじいさま、おはようございます。ご一緒してもよろしいでしょうか?」


「ああ、もちろんじゃよ」


 扉が完全に閉まってから、クラリッサは老神官に今朝のこと、そして今後についての相談をする。


「おじいさま……、あとは私が、やっぱり出かけないと言えばいいはずですよね?」


「そうじゃな。それにしても驚いた。疑っていたわけではないのじゃが、嵐が続く期間も、先ほどの会話も、クラリッサ殿の言っていたとおりじゃった」


 老神官は少し離れた場所から、マティアスとクラリッサを見ていたのだ。

 ここから先、二つ目の夢の内容からも道ははずれる。そうしなければロイが犠牲になってしまうから。

 朝のやり取りは、マティアスが確実に馬で出かけるように、二つ目の夢をそのまま再現した。クラリッサが一字一句間違えずに言えば、マティアスは夢のとおりの反応をする。彼と申し合わせていないのだとしたら、未来の出来事を夢にみている以外に説明がつかない。仮に二人が老神官を騙そうとしたのだとしても、天候だけはどうにもならない。

 老神官がクラリッサの力を信じるには十分だった。


「わしも、歴代の聖女について調べてみよう。引退しても、神殿にはまだまだ同僚がたくさんおるのでな」


 老神官はクラリッサの不思議な夢が聖女に関係しているのではないかと疑っている。導きの聖女フィオリーナが先を見通す力を持っていたとされているのだから当然だ。


「でも、私が聖女に選ばれたのは事故で、本来選ばれるはずだった方は別の……」


 いつわりの聖女に不思議な力が授けられるはずはない。それなのに未来を夢にみるのはおかしい。


「そこじゃよ。大きな声では言えんが、おぬしの考える本来選ばれるべき人物は、権力者の勝手な都合で選ばれようとしていたにすぎん」


「おじいさま、そんなの変です! それではまるで、私を聖女にするために神が橋を冠水させて崖崩れを起こしたということになりませんか? それに、私は国王陛下の聖女なんですよ?」


 老神官の言葉には矛盾がある。そもそも聖女が現れる日時を指定した最初の神託自体が仕組まれたものだった。それにクラリッサの夢はマティアスの危機を回避するものだ。彼女はジェレマイアの聖女なのだから、それもおかしい。

 けれど聖女の存在そのものを否定してしまうと、クラリッサの夢を説明することができない。


「神のご意志など、ただの人には理解できぬものかもしれんの……」


「そんな……」


 この段階で誰かに正解を求めても無駄だ。神について、聖女についてクラリッサよりも詳しいはずの老神官にもはっきりとしたことはわからない。


「これから大神殿の同僚に会ってこよう。物知りな神官を知っておるからの」


「今日、これからですか?」


「大丈夫じゃ、大神殿までなら歩いて行ける」


 二つ目の夢では、マティアスが馬車に乗らずに出かけている。だから外出することが条件でないことは確かだ。


「絶対に馬車には乗らないでください」


「クラリッサ殿も決して乗ってはならんぞ。おぬしの力が偽物だとは到底思えんよ」


 秘密を知る二人は、堅く約束をして運命の日を乗り切ることにした。マティアスとロイを守るために。



***



 クラリッサは、思ったより道がぬかるんでいるからという理由で、買い物の予定をやめ、午後はベイリン夫人から刺繍を習うことにした。


「あまり考えすぎるのはよくありませんよ」


 クラリッサが一針一針、同じ大きさになるように集中して針を刺していると、夫人がそんなことを話しはじめる。


「え? そう見えますか?」


「ええ。奥様はもう少し、肩の力を抜いて、完璧な公爵夫人になろうだなどと考えないほうがよろしいでしょう」


 できるだけいつもどおりに振る舞っているつもりのクラリッサだったが、まだ付き合いの浅いベイリン夫人に指摘されてしまうほど、おかしかったようだ。


「でも……」


「よくお考えください。旦那様自身も社交界では大した力を持っておりません。そもそも旦那様が公爵という最高位を持っているのに軽んじられているから、奥様がお辛い目に遭うのですよ」


「そうでしょうか?」


 ベイリン夫人の言い方は、まるでマティアスが不甲斐ないからいけないのだと言っているようだ。大切に育てた王子を非難してまでクラリッサを元気づけようとしてくれている。


「そもそも旦那様は、身分だけは高いが力はない、という状態がつねでございます。ご本人も、それほど問題だとは思ってはいらっしゃらない。旦那様が公爵として不完全ですのに、奥様が完璧を目指す必要はございません」


 同じようなことはマティアスからも言われている。彼はクラリッサが傷つくことを望んでいない。ほとんどクラリッサがただ守られているだけの存在になるのが嫌で、やっているのだ。それで周囲を心配させてしまうのは本末転倒というものかもしれない。


「あの、ありがとうございます。私はここにいられて……本当に幸せです。ベイリン夫人にもマティアスにも、あまり心配をかけないように気をつけなければいけませんね」


 クラリッサが思い詰めているように見える理由は、社交のことだけではない。皆には話せないままだが、今日、夢が再現されてしまう日だという理由もある。

 二つ目の夢と同じ行動をして、マティアスが大怪我をする未来はすでに回避できている。そして、ロイは今もクラリッサのそばに控えていて怪我をするはずがない。

 今日という日を無事に乗り切れば、クラリッサにとって大きな自信につながる。マティアスや仲間を守れる力を持っていることは、素直に誇れるはずだ。

 ここを乗り切ればすべてがうまくいくような期待で、クラリッサは笑顔になる。


「……失礼いたします」


 静かに扉がノックされ、入室してきたのはマティアスの師団から派遣されている護衛の一人だ。護衛の青年は慌てた様子でロイに話しかける。軍のほうでなにか動きがあったのだ。

 ロイは、詳しい話を聞くために、いったん部屋から退出する。扉越しに、あせったような声がして、クラリッサはただならぬ空気を感じとる。戻ってきたロイは青ざめた表情で、早足でクラリッサのほうへ歩んでくる。


「ロイ、どうしたの?」


 聞きたくない。クラリッサは嫌な予感がして、どうすればいいかわからなくなる。


「……ご報告いたします。クラリッサ様、落ち着いて聞いてください。……いいね? クー」


 ブリュノと違って、任務中に言葉を崩すことのないロイがあえてそう言う。それだけで、よくないことが起こったのだと理解するのに十分だ。


「な、に? ロイ」


「先ほど、長雨の影響で橋の崩落がありました」


「橋っ!?」


 ロイはここにいて、マティアスもまだ職務中のはずだ。では誰が、犠牲になったのか――――。


「イルマシェ様が橋の崩落に巻き込まれ、通過中の馬車の下敷きになり、重傷を負われたとのことです」


「お、おじいさ、ま……?」


「負傷者は軍の医療施設に搬送されています。……クーはどうする?」


「連れていって、急いで!」


 二つの悪夢は確かに回避できた。けれど、別の未来がそれよりもよい、誰も犠牲にならずに済む未来だと、誰が予想できたのだろう。知っているとしたら、それはクラリッサにあの夢を見せている存在――――きっと人ではないなにかだ。



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