はじまりの夢編6
三日後、クラリッサはジェレマイアに会うために王宮へ向かうことになった。マティアスは軍務で不在だ。彼がいないことをクラリッサは不安に思う。けれど、彼が忙しい理由の一つが「聖女の安全の確保」なので不安だからといって甘えることは許されない。
聖女付きの使用人としてアーシェラ、護衛にブリュノとロイ。襲撃があってからはじめての外出ということもあり、絶対に信頼できる者でかためた、という状況だった。
クラリッサたちがとおされたのは、王宮にいくつかある庭園の一つで、たくさんの花が咲き誇り、大きな屋根を持つ東屋が中央に配置されている場所だ。
ジェレマイアが待っているという東屋に近づいたとき、クラリッサはうっかり転びそうになった。
「クー! 大丈夫か!?」
ブリュノが、慌てて彼女を支える。
「大丈夫、うっかり……」
「クラリッサ様、でなければ奥様! ブリュノ、しっかりしてくださいよ」
ポロッと普段の呼び方が出てしまったブリュノをロイがたしなめる。アーシェラも彼をにらんでいる。
「わかってるって!」
「本当に、そうだといいのですが……カーク殿、とくにブリュノ殿のほうはベイリン夫人にきっちり指導してもらわないと、ここは王宮なのですよ?」
「はいはい、反省反省」
本当に反省しているかあやしい態度に、アーシェラはますます腹を立てる。クラリッサはつい笑ってしまった。
東屋が近づき、護衛の二人とアーシェラは近くで待機する。東屋には紗のような布で虫除けを兼ねた目隠しがされ、中の様子をはっきり見ることはできない。
「聖女、こちらへ」
クラリッサのよく知っているジェレマイアの声だった。クラリッサは手前にある階段の下まで歩いて、ゆっくりと頭を下げる。
「礼はいいからこちらへ」
「はい、国王陛下」
すぐそばに、王の護衛である近衛騎士や女官が控えているが、久しぶりに二人で会う、ということにクラリッサは緊張していた。
「大事なくてよかった」
ジェレマイアの最初の言葉は、クラリッサの無事をよろこぶ声。本当に心配してくれたのか、聖女という駒を失うことを恐れただけなのかは、彼女にはよくわからない。
「国王陛下にご心配をおかけしましたこと、お詫び申しあげます。夫と護衛が守ってくれましたので、怪我などはございませんでした」
「そうか……。ところでクーというのはあなたの愛称なのか? 先ほど、そう呼ばれていなかったか?」
聖女と護衛が親しげに呼び合っていることを、ジェレマイアに知られてしまった。聖女や神殿の権威を貶める行為だと非難されても仕方のないことだ。
「申しわけありません。……その、あ、えっと……」
すぐに公爵夫人の仮面がはずれ、素の彼女が見え隠れするのはクラリッサの美点であり、汚点でもある。
「べつに非難しているわけではない。ただ気になっただけだ」
「愛称のようなものですが、クーというのが私の本当の名前です。あまりにも短くて、男の子みたいで、聖女としてふさわしくなかったので変えました」
「変えさせられた、のだろう?」
微妙に言い換えられたその言葉のほうが真実に近い。彼女が崖から落ちて最初に目が覚めたとき、すでに名前が決まっていて、イルマシェの養女ということになっていたのだ。
「ええ、でもおじいさまが本当の名前に似た響きを選んでくださったので、クラリッサという名前も嫌いではありません」
「……そうか、私はそんなことも知らなかったのだな」
「国王陛下?」
ジェレマイアはクラリッサのことを聖女と呼んでいる。クラリッサも一度も彼のことを名前で呼んだことはない。それなのに本当の名前を気にする彼の意図がクラリッサにはわからない。
「ウェイバリー公はあなたに優しいのだろうな。公もあなたをその名で呼んでいるのか?」
「……え、あの……二人のときだけ、です」
誰かからマティアスのことを問われると、それだけでクラリッサはひどく動揺する。マティアスは本当の名前を愛称のように、特別なときだけ使うのだ。
「先日、公がもう神託は出すなと牽制してきた」
「えっ!?」
神託は神が下すものなのだから、ジェレマイアにそんなことを言うのは間違っている。少なくとも、建て前ではそうなっている。
「公はただ優しいだけの頼りない男だと思っていたが……私はいつも人の本質を見誤るな」
ジェレマイアの冷たい色の瞳から感情を読み取るのは難しい。クラリッサはマティアスが危険な、あるいは不敬な発言をして、ジェレマイアがそれを警戒しているのだと受け取った。
「マティアスは、ただ私のために言っただけで、陛下や神殿に意見するつもりなど、ないはずです!」
「暗にそう言っていただけで、神殿や私を否定したわけではないから安心しろ」
クラリッサが語気を強めると、ジェレマイアは微かに笑う。まるで言葉遊びを楽しんで、クラリッサをからかっているように。
「はい、国王陛下」
「もし、もう一度神託を……と命じればあなたはどうする?」
「従います」
クラリッサは目を伏せて静かに、しかしためらうことなくそう言った。
「なぜだ? 死にたくなるほど嫌なのだろう?」
「私は公爵家の人間で、陛下の臣ですから。理由はそれだけです」
「ウェイバリー公を守りたいのだな?」
「そうです。だって、私が嫌がったり前みたいな方法をとれば、公爵家が罰を受けるのでしょう? そのために国王陛下は私を結婚させたのでしょう!?」
マティアスとの過去は偶然だが、もし野良犬時代に出会っていなかったとしても、クラリッサはきっと彼を好きになっていたはずだ。
マティアスは真面目で優しい青年だから、きっとただの政略結婚だったとしても、相手を大切にしたはず。
「……そう、だな。あなたに大切な者ができれば、前のように軽率なことはできない。いいのか? 公を愛していることが私に知られて」
自らの弱点を話していいのか、そういう問いだ。彼がかつて「私はあなたの敵だ」と言っていたことをクラリッサは思い出す。
ジェレマイアはいつもそうだ。敵であると言葉では言いながら、それでは説明ができない行動もする。
「国王陛下のお考えは、いつも私にはよくわかりません。敵だとおっしゃっていましたが、そうではないと感じるときもありました。……あまり話してはくださいませんでしたが、思いどおりにならないことが多いということも、存じ上げていたつもりです」
マティアスとの婚姻は王家にとって都合のいいものだ。ジェレマイアは聖女を失わずに、望んだ妃を手に入れられる。そしてクラリッサは夫を守るために以前のように自分の感情だけで動けなくなる。
けれどそれだけではない。「死なせない」と言っていた言葉が嘘ではないのなら、ジェレマイアはクラリッサを守るために妃にしなかったとも考えられる。
「皮肉だな。離れてからのほうが、あなたの本音を聞けるのだから」
クラリッサからすれば、本音を言わないのはジェレマイアのほうだ。
「象徴としての聖女の役目であれば、国王陛下のために尽くします。すでに血塗られている私が、いまさら言っていいことかわかりませんが、許されるのなら誰かを傷つけたくないし、嫌われたくない。それだけです」
「あなたの希望は覚えておく」
多忙なジェレマイアとの面会は短い時間で終わる。クラリッサが東屋から去ると、少し離れた場所では三人の同行者が待っていた。
「ブリュノ、ロイ……公爵邸へ帰ります」
「はい奥様、どうぞこちらへ。足下にお気をつけください」
ロイはただ頭を下げ、ブリュノは白い歯を見せながら言葉だけは直している。アーシェラはブリュノのふざけた態度を見て、眉間にしわを寄せていた。




