はじまりの夢編4
あと少しで日が傾くという時間になり、クラリッサは一人で屋敷のテラスに用意された椅子に座っていた。少し離れた壁際にはブリュノが立っている。
そこにマティアスがやって来て、彼女の隣の椅子に座る。
「まだ夕方になると涼しいね」
「そうね。今日はなんだか、とても楽しかった。……マティアスありがとう」
その言葉を発した瞬間、クラリッサはひどい既視感に襲われて、めまいがする。半月前に夢でみた光景と着ている服、護衛のブリュノが立つ位置、すべてが重なる。
「疲れていない? そういえば、私におねだりするって話はどうしたんだい?」
マティアスの言葉も同じ。クラリッサは動揺する。そして夢にはふたつの未来があったことを思い出す。マティアスが刺される未来と、襲撃者がブリュノに切られる未来。
違う言葉、違う行動をするべきなのか、夢のとおりにするべきなのか。混乱した彼女は、気がつけばまた、夢で言ったことをそのまま再現してしまう。
「聞いていたの? 前に、たくさん貰ったもの……マティアスは少し、私のことを甘やかしすぎじゃない?」
茶会で親しくなった夫人たちが、マティアスに宝石をおねだりすればいいという話をしていた。彼が言っていることはそのことなのだが、クラリッサは宝石などどうでもよかった。
「妻を大切にすることは、ほめられることで恥ずべきことではないでしょう?」
また同じ。クラリッサは冷や汗をかきながら、夢がただの夢だという証を探す。
だが――――。
お仕着せを着た使用人がワゴンに乗せた紅茶を運んでくる。クラリッサはその女の顔も名前も知らない。公爵邸に来てから半月、できるだけ使用人の顔と名前を覚えるようにしているのに。
クラリッサのために使用人を増やしたいという話はあったので、あらたに使用人が増えるとしたら、ベイリン夫人やマティアスが身辺調査をしたうえで雇っている人物のはずだ。
知らないはずの女。でも夢の中で会っている、そのままの容姿だ。
ふんわりとしたエプロンのポケットが不自然に膨らんでいる。クラリッサは野良犬時代にナイフを扱っていた。だから普通の女性よりは詳しいはずだ。
細長くある程度の重みがあるもので、使用人が使うものとはなんだろうか。考えても、考えても、彼女には思いつかない。一般的な果物ナイフより明らかに大きな、人を傷つけるためのものにしか見えない。
名前を聞いてはいけない。名前を聞かなければ、少なくともマティアスが刺される夢のとおりにはならないのだから。
本当にそうだろうか。女がもし、本当に公爵邸に入り込んだ暗殺者なのだとしたら、機会を逃せばクラリッサか、庇った人物が被害に遭うのかもしれない。彼女はそう考えて、今、夢がただの夢だと確認するための行動をとる。
――――クラリッサはふたつめの夢を忠実に再現した。
***
目の前で起こったことが理解できないまま、クラリッサは地面に座り込む。そして、襲撃者はブリュノに切られ、うつぶせに倒れている。周囲に真っ赤な水たまりをつくり、その血は広がり続けている。
クラリッサの視界が急に真っ暗になる。マティアスが上着をかけて、彼女の視界を遮ったのだ。
「わた、し……」
起こった事実を確認しようと、クラリッサはかけられた上着を取ろうとする。
「見てはダメだよ。……ブリュノ! 君は仕事を終わらせて、身を清めてから報告を、いいね?」
「はっ、了解しました!」
いつものブリュノとは違う、軍人としてのブリュノの言葉だ。
「怖かったね? もう大丈夫だから」
マティアスはクラリッサを横抱きにして、屋敷の中まで運ぶ。クラリッサは彼にしがみついて、ただ震えていた。
夢でみたとおりのことが起きたのだ。
寝室に運ばれて、すぐにアーシェラに手伝われて着替えをする。血はついていなかったがもみ合ったせいで泥だらけだった。普段は歩けているのに、健康な右足が震え、左足にはまったく力が入らない。そのままベッドに運ばれて、横になるようにマティアスがうながす。
クラリッサは、マティアスがどこかに行ってしまわないか不安になり、座ったまま抱きついて離さなかった。
クラリッサの不安を感じとったマティアスは無理に彼女を引きはがさず、自身もベッドのふちに座り、彼女が落ち着くまで背中をさする。
「少し、落ち着いた?」
「うん……」
「話をしてもいい?」
クラリッサはマティアスのシャツをぎゅっと握ったまま頷く。本当はマティアスに抱きしめられまま、なにも考えたくなかった。でも襲撃者の動機を考えると、そういう権利がクラリッサにあるのか、彼女は疑問だった。
「どうして、あの者があやしいってわかったの?」
「使用人の顔は覚えなきゃって、あと……ナイフ、詳しいから……。でも、本当にそうだとは思わなくて、……あの人、死んでしまったの? 前にもあったの! 私、いろんな人に恨まれてて……」
それは半分本当で半分嘘。知らない使用人がいたことは、夢をみなくても気になったはずだ。ナイフに詳しいのも本当。けれど突然飛びついてポケットの中にあるものを確認するような、大胆なことはできなかったはずだし、いくら詳しくても服の上からナイフの所持を見抜ける能力なんてない。夢をみていなければ、あんな行動はとらなかった。
クラリッサは自身でも半信半疑なことをマティアスにうち明ける勇気がなかった。だから、夢で同じ光景をみたとは言えない。
「聖女であり、公爵夫人でもあるクーを害そうとしたんだ。君があの者を気にかける必要はないよ」
「違うの! 私、すごく嫌な汚い人間なの。私のせいで、マティアスやブリュノが……公爵家の人たちが怪我をしなくてよかったって、ほっとしてる。前にも同じことがあったけどその時と、今と、気持ちが変わってしまって」
隠しようもなく、クラリッサは誰かの死を望んだ。夢の中で歓喜したのと同じように、誰かの死を喜んだ。
そもそも襲撃者はクラリッサの名で下された神託のせいで、大切な人を失ったのかもしれないのに。相手から大切な者を奪っておいて、自分だけは大切な人を守るためならなんでもする。
以前に襲撃を受けたときは、敵だとしても、彼らが死んでしまったことがショックで悲しかった。誰かの死を積極的に望む人間になってしまったことが、彼女には信じられない。
「クー、落ち着いて? 大丈夫だから、少し眠ろうか?」
「眠りたくない、怖い夢をみるからっ!」
また夢をみる。彼女にはそれがとにかく恐ろしい。
「……ねぇ、クー。君を害そうとする人間なら、どんな事情があったって私はその者を憎むし、ためらわず手にかけるよ。……誰かの死を望む私を、君は嫌いになる?」
「そんなわけない!」
マティアスはいくらでも救いの言葉を用意してくれる。けれどクラリッサは思うのだ。自分は現実から目を背けて、逃げたいからマティアスにわざと弱音を吐いているのではないかと。優しい言葉とぬくもりをくれるとわかっていて、逃げて甘えたいだけなのだと。
「怖いのなら眠らなくていいんだ。しばらくこうしているから、なにか……そうだな、昔話でもしようか?」
そうしてマティアスは小さな頃の思い出をクラリッサに話しはじめる。アランとベイリン夫人が出てくる、ささいな日常の話だ。王子時代のマティアスには楽しい出来事よりもつらい出来事のほうが多かったはずだ。
けれど彼女に話すことはいつも楽しい思い出ばかりだった。
(私も、一座の話とか……ブリュノやロイと出会ったときのこととか、あんまり話したことなかったな……)
クラリッサはマティアスの肩にもたれたまま、ベッドの上に座って少しのあいだ彼の話を聞いていた。眠りたくないのに、次第にまぶたが重くなり、目を伏せる。
マティアスの低く優しい声が「おやすみ」というのをぼんやりと聞きながら、彼女は眠りについた。




