戴冠式と誓約編1
冬の終わり、王宮の大広間。名だたる貴族が集まり、メイナード十三世の退位と、新たな王の誕生を見守っている。
ジェレマイアの王としての名は“ベリザリオ十八世”となった。建国王と同じその名前は、聖女が遣わされた王にのみ許される、特別な名だ。
ベリザリオの名にふさわしい初代国王を彷彿とさせる真紅の衣装。床に届く長さのマントを身にまとう若き王、その横に並ぶものはまだいない。
本来、すぐそばに並び立つ予定だったクラリッサは、高座の下から臣として戴冠の様子を見守る。
三年前の予定とは違う結果になってしまったが、ベリザリオ十八世の治世は“加護ありし御代”と呼ばれることには変わりない。
式典が終わればクラリッサは三年間暮らした最奥の宮を去り、公爵夫人となる。
多くの女官が、大神殿から王宮へ配置換えとなるなか、アーシェラだけは公爵家についてきてくれることになっていた。老神官も引退し、公爵邸で一緒に暮らせる。それらはすべてマティアスが提案してきたことで、彼の優しさだった。
クーとしてはマティアスときちんと話をしていない。常に監視されているなかで、本音を伝えることは難しい。それでも、彼が本気でクラリッサを守るつもりだということは十分に伝わった。
だが、クラリッサはそこにマティアスの幸せがあるのかわからず、悶々としていた。
三年前、十代の少年がたった一度、約束を違えたこと。たったそれだけのことで彼の心を縛るのがクラリッサには嫌だった。彼にはクラリッサのことを忘れ、誰かと幸せになる権利があったはずなのに。
もしマティアスに不安を話せば、間違いなく「君のせいじゃない」と言うはずだ。彼と一緒にいたら、本当に自分のせいではなく、自身の手が血塗られていることすら忘れてしまうのではないか、という不安があった。彼女は幸せになることをひどく恐れていたのだ。
式典のあと、ジェレマイアに挨拶をすることになっていた。いくつかある国王の謁見の間の中でも、小さめの部屋で別れを告げる。
「あなたとはいろいろとあったが、今後もあなたが私の聖女であることには変わりない。……今後は臣として国のために役割を果たせ」
「……はい、国王陛下」
臣として。これまでのようないつわりの神託を出せと言われたら、本当にあらがえない立場になる。
今まで、神託をとめる力はなかったが、拒む意思表示だけは許されていた。それは、クラリッサに失うものがほとんどなかったから。
今までのような幼稚で下手なやり方は、もう許されない。クラリッサが王命に従わなければ、伴侶となったマティアスが罰せられるのだから。
クラリッサが誰かと婚姻を結ばなくてはならない理由は、そういうところにあるのだ。クラリッサを従わせるための方法としては残酷なほど効果的だった。
一方で、若き国王となったジェレマイアを信じたいという気持ちも彼女にはある。ジェレマイアが積極的にいつわりの神託を出したがったわけではないとクラリッサは知っていた。国王となれば、すべてを決められるわけではないとしても権限は大きくなる。
本来のジェレマイアは高潔な人物なのだから。
「ウェイバリー公爵。聖女のことを頼む」
「はい。今後は私が聖女様を支え、夫として必ず幸せにいたします」
「そうか、公爵の忠義に感謝する」
国王となったジェレマイアはマティアスのことを“兄”と呼ぶことも、敬語を使うこともやめた。それが王たる者のあるべき姿なのだろう。
短い挨拶を済ませ、ジェレマイアは謁見の間から去る。
「さぁ、私たちも帰ろう。一日中立っていて疲れただろう?」
「大丈夫です、公爵様」
「それ、だめだよ。もう君は私の妻、ウェイバリー公爵夫人なんだから」
マティアスはクラリッサがいつまでも彼の名前を呼ばないことをたしなめる。怒っている様子はなく、ただ困った顔をして。
広い王宮。謁見の間からそとに出るまでにはかなりの距離を歩く。一日中立っていたというのは大げさで、クラリッサには休憩できる場所がきちんと用意されていた。それでもかなり疲れてしまった彼女の歩みは、どうしても遅くなってしまう。
「……抱えてあげるから、おいで」
最初からクラリッサをエスコートしながら歩いているというのに、これ以上どう近づけばいいのか彼女にはわからない。
「い、いいっ! 歩けるから」
立ち止まり、クラリッサは申し出を拒否する。マティアスはそれにかまわず、ぐっと彼女の体を引き寄せて抱き上げてしまう。
「騒ぐと、余計に目立ってしまうと思うよ」
ジタバタと暴れるクラリッサを笑顔で制止し、マティアスは颯爽と王宮内を進む。
クラリッサはベールで顔を隠していることにほっとした。自分でもわかるほど頬が熱く、きっと真っ赤になっているはずだから。
「君はこんなに軽かったんだね……」
マティアスが耳元でささやく。そうではない。クラリッサが軽いのではなく、彼が大人の男性になってしまっただけだ。彼が変わっていくあいだ、クラリッサはまったく成長をしなかった。それだけのこと。
「ウェイバリー公爵!」
正面から歩いてくる人物がマティアスに声をかけてくる。装飾は少ないがマティアスと同じ軍の礼装に身を包み、口ひげを生やした壮年の人物だ。
「やあ、副師団長」
「やあ……って、こんなところで花嫁自慢をするのはやめていただけますか?」
ヘンリットは上官の行動にあきれている。好意的な態度だが、からかっている様子だ。
「べつにそんなことしていないけど、クラリッサは足が少し悪いから、夫としては当然でしょう?」
「あの……下ろして」
周囲の人間が、マティアスの行動をどう思っているのかを想像して、クラリッサは恥ずかしさで泣きたくなる。
「ははっ、聖女様が困っておられる」
ベール越しでもわかるほど、クラリッサの顔は赤くなっているのだ。その指摘がますます羞恥心をあおるという、悪循環になる。
「クラリッサ。こちらはヘンリット卿だよ。いちおう私の部下ということになっているけど、まあ、お目付役みたいなものかな?」
「アイヴァン・ヘンリットと申します。以後、お見知りおきを」
クラリッサがマティアスの胸を軽く押して、一度下ろすようにうながす。挨拶をするのに、夫に抱えられたままというのは、失礼だ。
マティアスは明らかにわかっているのに、ほほえんだままクラリッサを下ろさない。
「……クラリッサです。よろしくお願いいたします、ヘンリット卿」
仕方なく、彼女はそのままの状態で名を名乗る。イルマシェという姓はもう名乗れない。本来なら、ウェイバリー公爵の妻だと頭につけるべきなのだろうが、心情的にそれもできない。だから彼女はとりあえずクラリッサという名前だけを言った。
「じゃあ、副師団長。私は急いで帰りたいから、失礼するよ」
「ほほう」
意味ありげに笑うヘンリットに軽く手をふり、マティアスは王宮の車寄せまでゆっくりと歩く。待っていた公爵家の馬車に乗り込み、扉が閉められる。
再会してからはじめて、本当の意味で二人きりになった。




