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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第一章 野良犬と聖女

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切り札と山百合編7



 ウェイバリー公爵とはじめて顔を合わせる日、クラリッサは身支度を整え、いつもどおりベールをつけた。


「今日は必要ないとのことですが……」


 支度を手伝っているアーシェラが困惑している。未来の伴侶ではなくても、クラリッサがジェレマイアの聖女であることには変わりない。そしてもう一人、ウェイバリー公爵は新たな婚約者なのだから、二人には顔をみせてもかまわないということになっていたのだ。

 けれどクラリッサはいつもどおりにベールで顔を隠した。


 クラリッサがこの婚姻を受け入れるつもりがないという意思表示として。


 支度を終えたところで、二人が到着し、応接室で待っているとの知らせが入る。

 クラリッサが部屋へ向かうと、応接室の扉の先には二人の青年が座っていた。


 一人は、ジェレマイア。もう一人は軍の礼装に身を包んだ長身の青年。


 その青年は、クラリッサのよく知っている少年にとても似ていて、まったく違うようにも見える――――大人の男性だった。



(う、うそ……)



 カランと音を立てて、クラリッサの杖が転がる。頭の上のほうから一気に血の気が引いていくような感覚におちいり、一歩、二歩と後ずさりし体勢を崩し倒れそうになる。

 それを見た軍服の青年は、さっと立ち上がりクラリッサを軽く引き寄せるようにして支える。


「大丈夫ですか? ……まずは、座ってお話いたしましょう。さぁ聖女様、お手をどうぞ」


 ベールの中を覗き込むように、紫を帯びた青い瞳がしっかりとクラリッサを見つめている。その不思議な瞳の色に囚われ、彼女は青年から目が離せなくなる。


 背が高くなっても、大人になっても、見間違えるはずはなかった。


 青年に優しく手を取られ、柔らかいソファに座るように促される。何が起きているのかよくわからないクラリッサは、言葉を発することもできず、ただ彼に導かれるまま、腰を下ろす。


 青年はクラリッサを座らせたあと、自らの座っていた場所には戻らず、手を握ったまま彼女の前に片膝をつく。


「ウェイバリー公爵様……?」


「はい。ずっと、お会いしたいと思っていました。これより先は私があなたをお守りし、お支えいたします。どうぞ、私のことはマティアスと名前でお呼びください」


「マティアス……?」


 クラリッサの目の前にいるマティアスは、三年足らずのあいだに別人のようになっていた。

 初めて会ったときの少女のような愛らしさと頼りなさはどこかに消え失せた。

 背が高く、細身だが男性らしい体つきの青年。亜麻あま色の髪は撫でつけるようにきっちりと整えられ、声は以前より低い。瞳の色は変わらないが、その印象はまったく違うものになっている。

 クラリッサは彼の変化に戸惑い、少し怖いと感じた。知っているはずの人が、まったく別人のようになっていたら当然のことだろう。


 マティアスは初めましてとも、久しぶりとも言わなかった。ジェレマイアに過去の関係を知られるのはいいことではない。けれど、さも初めて会ったという態度をとりたくなかったのだろうか。

 だとしたら、マティアスはクラリッサが思うほど、変わっていないのかもしれない。見た目は変わっても優しく不器用なままなのかもしれない。

 そう考えると、クラリッサは急に泣きたくなり、ますます言葉が出てこなくなる。


「聖女? また体調でも崩したのか? 兄上も座られたらいかがですか?」


「もう兄ではないのですが……」


 結局、マティアスはクラリッサの手を握ったまま離さない。


「……兄? 王太子殿下のお兄様なのですか?」


 ウェイバリー公爵はマティアスで、マティアスはジェレマイアの兄。クラリッサは当然、王族の名前を把握しているつもりだった。ほとんど言葉を交わしたことなどないが、国王夫妻や王女には会ったことがある。それなのにジェレマイアの兄だというマティアスには、これまで一度も会ったことがないし、存在自体を知らなかった。


「どういうことだ? 王族の名くらい習っただろう?」


「いえ、そのはず、ですが……」


 クラリッサには教わった記憶がまったくない。知っていたらなぜ長子が王太子ではないのかと疑問に思って、そのときにマティアスの正体に気がついたはずだ。


「王太子殿下。私の存在はとくに神殿からは認められていないので、意図的に聖女様に渡された名簿から外されていたのでは?」


「ばかな、本当にくだらないことをする。だが、そうか、教育係は母上の……。いかにもあの者たちがやりそうなことではある」


 ジェレマイアは呆れて大きなため息をつく。ネオロノークの教えで認められていないめかけの子だから、聖女には存在そのものが教えられていなかったというのだ。


「あの、公爵様……」


「私のことは名前で、と申し上げましたよ?」


「その、お断りしたくて……、私は公爵様とは……」


 クラリッサはかたくなに名前を呼ばない。早くマティアスのことを拒絶しなければ、流されてしまいそうだ。あまりにも都合のよすぎる話が、クラリッサにはとても怖かった。


「聖女! 悪いがあなたには選ぶ権利がない。兄上――――ウェイバリー公爵は誠実で優しい人柄だ。だから拒もうとするな。それが、あなたにとって最善の選択だ」


 成り行きを見守っていたジェレマイアが、厳しい口調でクラリッサの言葉をさえぎる。


「私にとって最善かどうかなんてどうでもいいんです。公爵様はどうなるのですか? ……王太子殿下は不要物をご自身のお兄様に押しつけるんですか? なんで結婚しなきゃいけないんですか? このまま神殿にいたっていいじゃないですか! ……不要物でも無害ならまだいいけど、私はそうじゃないのに! なんでこんなこと……?」


 クラリッサはマティアスを苦しめたくなかった。きっと彼はあの日の約束を違えたことを気にしていて、贖罪しょくざいのためにクラリッサを守ろうとしているのだ。それが彼女にとってはとにかくつらい。


「王家としては、あなたをこのまま大神殿に留めておくことはできない。もう決まったことだ。……それよりも、少し言動に気をつけてもらえないだろうか? 兄上に誤解されるだろう」


 気が強く、わがままな聖女。なにも知らないジェレマイアは、クラリッサが近い将来の夫に悪い印象をもたれてしまうことを心配している。いっそ、そう思われたほうがクラリッサには都合がいい。


「大丈夫ですよ、王太子殿下。……聖女様は私のことを気にかけて言ってくださっているのだと、わかっていますから。ですが……」


 マティアスが握る手の力を少し強める。今から語ることが、紛れもない彼の本心だと証明するように、ただまっすぐにクラリッサを見つめている。


「ご自身をおとしめるような言葉はいけませんよ。たしかに、王命であなたを伴侶とすることは否定しません。ですが、私が望んでいることでもありますから。あなたはなにも心配せずに私のところへいらしてください。……ね、クラリッサ」


「いや! 絶対いや」


 マティアスの優しい言葉は、クラリッサを苦しめる。その手を振りほどこうとしても、マティアスは絶対に離さない。


「兄上、申しわけない。ここまで頑なだとは思わなかった……」


「王太子殿下が気に病まれる必要はありません。……聖女様がご自身のことよりも、私のことを考えてくださっていることは十分に伝わりましたから」


 マティアスはクラリッサの手を少し持ち上げて、指先に軽くくちづけをする。


「クラリッサ、また会いに来ます。……あなたが素直で、とてもかわいらしい方だとわかってよかった」


 クラリッサはマティアスの行動に驚き、その場からしばらく動けなかった。


 その後も毎日のように手紙やちょっとした贈り物が届き、ジェレマイアの即位の話と同時に、聖女とウェイバリー公爵の婚姻の話が進んでいく。

 マティアスは時々、クラリッサに会いに来たが、彼女の失言を防ぐために常に女官が同席し、公爵という立場ではないマティアスの言葉を聞くことはできず、クラリッサもクー(・・)の気持ちを伝えることはできないまま時間だけが流れた。



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