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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第一章 野良犬と聖女

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切り札と山百合編2



 数日後、その日は大神殿で毎月おこなわれている大規模な祈りの儀式があった。国王夫妻や国の重鎮、そして当然だがジェレマイアも参列した。

 すべての儀式が終わったあと、クラリッサは塔に上りたいと女官に告げた。大神殿での儀式のあとに塔へ向かうのは日課のようなものだったので、誰にもとがめられない。



 今日が、すべての条件が整う日だった。



 足の悪いクラリッサは、誰かに止められたら簡単に捕らえられてしまう。だから、確実に一人になれる場所が必要だった。

 彼女はいつもベールをしていて、限られた者にしかその素顔を知られていない。もし、宮の中でひっそりと死んでいても、容姿の似ている赤髪の娘を身代わりにして、聖女の死が隠される可能性がある。だから、多くの目撃者が必要だ。

 聖女の衣装はクラリッサしか身につけられない。塔の上から身を投げて、多くの貴族や聖職者に目撃されれば、彼女の死は隠しようがない。

 そして、今日はアーシェラが同行していない。聖女から目を離したことの責任を取らされる可能性があるので、好意的な女官が同行していないときを選んだ。


 この場所は最初から“候補”だった。だから、毎日欠かさず塔に上り、ただの日課だと周囲に印象づけていた。


 周囲を出し抜けたという奇妙な高揚感、そして自分の好きな小さな世界だけを優先し、レドナークを混乱させることに対する罪悪感。まだ半分も上っていないのに、すでに息があがり心臓がどくんどくんと音をたてる。


 心臓の音、呼吸、そしてカタンカタンと鳴る杖。上に行けば行くほど、それらの律動が速くなり、クラリッサの恐怖心をあおる。


 らせん状の階段をすべて上りきる。祈りのために造られた小さな部屋の前には木製の扉がある。

 なんど深呼吸をしても一向に整わない呼吸をそのままにして、クラリッサはノブに手をかける。

 ギーという音をたてて、開く扉。クラリッサ以外の人間はあまり立ち入らない祈りの間は、ただ静かに彼女のことを待っていた。


 正面の小さな祭壇。クラリッサはちらりと一瞥いちべつしただけで、すぐに側面の窓へ向かう。今から、クラリッサがしようとしていることは、ネオロノークの教義に反すること。神にゆるしを求めても仕方がない。それに、クラリッサは神の存在などもう信じてはいなかった。


 あるのはすべて人間の勝手な都合と、妄想だけなのだから。


 窓を開けると、涼しい風がベールを揺らす。野良犬の巣がある方角を見つめるクラリッサの瞳に、涙があふれる。


「……ティアス……。ロイ、ブリュノ、じいちゃん、アーシェラ……ほんとに、ほんとに、ごめんね」


 いつも視界をさえぎっているベールを取り払い、床に落とす。せっかく遮るものがなくなっても、涙でにじみ、景色がゆがむ。


「王太子殿下、ごめんなさい。……なんで、わたし優しくできなかったんだろ? ゆるしてあげられなかったんだろう……うっ、……ごめんなさ、い」


 最後に考えたのは、マティアスのことではなく意外にもジェレマイアのことだった。名前だけがいいように使われて、本当はなんの力も持っていない。おそらくクラリッサとジェレマイアは同じ立場なのだ。

 クラリッサが唯一、彼を理解できる存在だったはずなのに、彼を常に拒絶しつづけた。


 クラリッサは杖を壁に立てかけて、腰より少しだけ高い位置にある窓枠に手をかける。

 下をのぞきこむような姿勢になると、恐怖で心臓が再び強く鼓動を刻む。

 クラリッサは死ぬのが恐ろしかった。でも、このまま野良犬の巣を壊す神託が下り、それに自身の名が使われること、そして今後もいつわりの神託で誰かの恨みを買い続けることのほうがもっと恐ろしい。

 ためらっていると、よけいに恐ろしくなる。目を閉じて、健康な右の足で、大きく床をけり、頭から下へ落ちようとした瞬間――――。


 ドンっという大きな音のあと、クラリッサの体は乱暴に引き戻される。

 クラリッサから見えるのは、男性の腕と手だけ。豪華な金の縁取りがされ、金のボタンがついた衣装には見覚えがある。


「王太子、殿下……? なんで……」


 気がつけば、ジェレマイアが羽交い締めにするように、後ろから強くクラリッサを抱きしめていた。


「悪いが、うしろをつけていた」


「なんで……?」


 失敗したのだ。なぜ、扉を開く音がした瞬間に、決断できなかったのか。クラリッサがいまさら失敗を嘆いても、もう事実は変わらない。


「さすがに二年半も一緒にいれば、様子がおかしいことくらいわかる。あなたの暮らした場所を壊すというのに、怖いくらいに冷静だった……くっ……!」


 クラリッサは胸元を押さえている彼の手に思いっきり噛みついた。

 食いちぎる勢いで噛みついても、ジェレマイアから逃れることはできない。

 口の中にじわりと血の味が広がっても、腕の力は一向に弱まってはくれない。


「それで、あなたの気が少しでも晴れるのなら……かまわないから……」


「離してっ!」


 クラリッサが暴れると、すぐに体勢をくずし、床に座り込むようなかたちになる。それでもジェレマイアは彼女を離さない。


「離さない。……あなたを死なせないと言ったはずだ」


「そんなの、あんたの都合でしょ? 私のためじゃないのに、えらそうに言わないで! 離してよ」


 クラリッサの首筋にぽたりとしずくが落ちる。汗ではないことは彼女にもすぐにわかる。いつも感情を押し殺し、なんでもないことのように振る舞うことが得意な青年。そんなジェレマイアが泣いていた。


「王太子、殿下? ……泣いているの?」


 彼からの返答はない。否定しないことが答えだった。聖職者や神殿の騎士たちがクラリッサを捕らえにやってくるまで、ジェレマイアはクラリッサを離さないまま、声も出さずに泣いていた。



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