切り札と山百合編1
お待たせいたしました。
切り札と山百合編(全7話)、???編(全3話)、合計10話で第一部が完結です。
そこまでは毎日更新、第二部開始前にストック作成期間をいただく予定です。
よろしくお願いします!
クラリッサが聖女に選ばれてから、二年半の月日が流れた。
肩までしかなかった髪が伸び、日焼けしていた肌が真っ白に変わる。背は少しだけ伸びたし、女性らしい体つきになった。
この国では種まきの時期、春に年齢が変わる仕組みだから、クラリッサは十七歳になっていた。
限られた人間関係の中で過ごした二年半という歳月は、彼女にとっては時間が止まっているのと同じだった。
記憶の中にある野良犬の少年たち、そしてマティアス。彼らはもう、誰からも大人だと認められる年齢になり、あの頃とは別の生活をしているのかもしれない。
もう二度と会えることがないのだとしても、自分だけが取り残されてしまった気がしてクラリッサの胸が切なく痛んだ。
最初にいつわりの神託が出されたあと、ジェレマイアとの確執は決定的なものになった。ジェレマイアのほうは何度か話し合おうとする態度をみせたが、クラリッサが徹底的に拒絶し、無視をした。
次第に言い争いをすることがなくなり、お互いの存在をまるでいない者のように扱っていた。
ジェレマイアが最奥の宮を用もないのに訪れることはなくなり、公務に同行するときも無駄な話は一切しない。そんな関係だった。
クラリッサが神の言葉を聞いて下されたとされる、二年前の神託以降、合計三回の神託が下された。
最初は抵抗をしたクラリッサだが、二回目、三回目になると次第に心が麻痺していった。誰が身分を剥奪されようが、どこか他人事のような気持ちだった。
きっと周囲の人間のほとんどが、クラリッサをなにも考えない人形にしたかったのだ。だから彼女も自然とそう振る舞うようになっていた。
人形のように振る舞っても、心はときどき覚醒する。なにも考えずに過ごすことはできない。ほとんど神殿に引きこもっているクラリッサには外の様子がわからない。それでもわかることはある。
聖女という存在が、貴族から軽んじられていることは当然知っている。貴族たちは最初から聖女が神託を授かる能力など持っていないと知っているのに、なぜ下された神託に従うのか。
神、というより王家や権力の中枢にいる者たちに逆らえないからだろう。レドナークという名のこの国は、法や秩序ではなく、一部の権力者の都合だけで動いている。クラリッサにはそう思えた。
あまり政治のことに詳しくはない彼女だが、一度神託という卑怯な手段を使ってしまった結果、反論や不満を押さえるために、更に新たな神託を下す悪循環になっていることは感じていた。そうしないとすべてが崩壊してしまいそうな危機的な状況に、この国は陥っているのだ。
誰もが疑心暗鬼になって、神託に関わる者たちの様子をうかがっている。神託の作成に関わる者たちも、いつか裏切り者がすべてを暴露するのではないかと牽制しあう。
とても健全な国とはいえないのだろう。
「あと、半年か……」
もうすぐ聖女の勤めが終わる。おそらく三年という期限があるのも、聖女を未来の王妃にすることが前提だからだ。
いつわりの神託後、王太子との不仲があからさまになったことで、教育係やマルヴィナ自身も、マルヴィナこそが未来の王妃なのだということを隠さなくなった。お友達としていまだに最奥の宮を訪れるマルヴィナは、夜会に一緒に出たことや、贈り物をもらったことを嬉しそうに話す。
今の状況でマルヴィナがそんな嘘をつく必要はないので、事実なのだろうとクラリッサは思った。
そのことでクラリッサが腹を立てることもなかった。
そして、久々に予定もないのに最奥の宮を訪れたジェレマイアから、また神託の話がされた。
「また、神託を出すことになる」
「…………」
「王都の、七番街の隣……あそこに神殿を建てる。少し難しい話をするが、景気の悪いときに国庫から資金を捻出して、象徴となるような建物を建てることで雇用を生みだす。これはレドナークにとって必要なことだ」
七番街の隣、あえて住所を言わないということは、住所がないということ。ジェレマイアの言っている場所が、野良犬の巣だということは明らかだ。
「住んでいる人はどうなりますか?」
「……違法に占拠している者を王都の民とは認めない。彼らには王都から去ってもらう」
野良犬たちは人ではない。だから、家を失って行き場をなくし、野垂れ死んでもかまわないのだ。そして王命でおこなわれる神殿の建設に、野良犬が労働力として使われることもないのだろう。
「場所に、意味があるのですか? たとえば古き神殿の建て直しではいけない意味を、殿下はわかってらっしゃいますか?」
「わかっている、つもりだ。聖女はわかっているのか?」
「私は無学ですので、公共の利益というものがあまり理解できません」
クラリッサがわかっていることは、神託を出せば住人の何割かは確実に死ぬということ。そして、老朽化した神殿の建て替えではなく、野良犬の巣をなくしたい理由の一つがクラリッサであることだ。
半年後、彼女は勤めを終えて、ベールをはずす。完全に役目を終えるわけではなく、先代聖女は王妃、そして聖女として、その後も重要な儀式のときには神殿の代表を務めている。
お披露目の儀式のときのように、今度はベールなしで民衆の前に姿をみせればどうなるか。三年でかなり姿が変わったとしても、親しい者は気がつくだろう。
だからその前に、野良犬たちを王都から徹底的に排除したいのだ。
もちろん、無法地帯を取り締まり、王都の治安を改善することが、将来的には正しいことなのかもしれない。
多数を助けるために、少数を切り捨てる。ジェレマイアにはそういう冷酷な決断が求められることもあるのかもしれないが、クラリッサには同意できない。
「もっと反対すると思った」
理解できない、と言っただけでクラリッサは彼を責めなかった。ジェレマイアにとって彼女の反応は予想外なのだろう。
「意味のないことをし続けるのは、とても疲れます。反対してやめていただけるのなら、そうしますが?」
「それはできない。……それと、もう一つ。聖女ついての噂をあなたは聞いているか?」
「悪評なら、毎日お知らせしてくださる親切な方がたくさんいますので、それなりに」
「違う、あなたのことではなく過去のことだ。建国直後の聖女は、必ず王の伴侶となる規定などなかった、という」
「なるほど。あまりに早く聖女が死ぬと、さすがに王太子殿下の加護の力が疑われるし、もう新しい神託が出せなくなってしまいますからね」
マルヴィナが、妃になることを隠さなくなり、ジェレマイアが彼女を夜会に同行させる理由を、クラリッサは理解した。さすがに、聖女を殺すことを前提に妃候補として振る舞うはずがないのだ。
もう貴族の認識では、聖女が妃になることが決定事項ではなくなっている。だから、マルヴィナは堂々としていられる。
「……あなたは死なせない」
ジェレマイアが静かに告げる。
「ありがとうございます。王太子殿下に無礼な態度をとり続けている私の命を救ってくださって」
笑って、心にもないことをクラリッサは口にした。考えていたのは真逆のこと。いつわりの神託でクラリッサの手を血まみれにし、残酷なことをあと何年、クラリッサにさせるつもりなのか、ということだ。
「久しぶりに笑っているな。私との婚約が白紙になって、あなたは嬉しいのだろうな」
「孤児の私には務まらないことだと、思っておりましたので、その点では安堵いたしました。未来の王妃様には、マルヴィナ様のような清らかで、教養のある方が――――」
「あれのどこが!」
クラリッサの言葉をジェレマイアがさえぎる。驚いてジェレマイアの様子をうかがうと、彼の瞳は怒りをはらんでいた。
「……あぁ、すまない。もうあなたの本音を聞く権利が、私にはないのだな」
ジェレマイアが、ひどく不自由な世界にいることはクラリッサも知っていた。知っているのに認められず、許してあげることができない存在だった。
「王太子殿下、ごめんなさい……」
クラリッサは唯一の切り札を使って神託を止めるつもりだった。その手段をとったら、神殿も貴族も、そしてジェレマイアもどうなるかわからない。
彼女がなにより守りたいものは、野良犬の仲間とマティアス、イルマシェとアーシェラ、それだけだ。
クラリッサの選択は彼らを守ることにならないかもしれない。
ジェレマイアが聖女を失えば、国が混乱し一番弱い立場の野良犬の仲間が犠牲になる可能性もあるのだ。
それでも、クラリッサ自身の名で、あの場所を壊すことだけは、彼女にとってどうしてもできないことだった。




