いつわりの神託編6
マティアスは聖女選定の日からしばらくして、軍の一師団を束ねる役職に就いた。束ねる、と言っても単なる名誉職で部下が用意した書類に署名することが、彼の主な仕事だ。
聖女選定の混乱で、マティアスを神官にする話は立ち消えた。かといって十七になった王子になんの役職も与えないまま飼い殺しにすることははばかられたのだろう。
野良犬の少年たちとの交流は今でも続いている。老神官と手紙のやりとりで知ったこと、貴族たちのあいだで噂されていること、それらを時々ロイとブリュノに伝えていた。
マティアスは訓練と執務を終え、そとの風にあたって涼もうと東屋へ向かう。ほとんどマティアス専用のような場所になっているその場所に、今日は先客がいた。
「王太子、めずらしいね」
籐の椅子にもたれるように座っていたジェレマイアは、少し疲れた表情だ。人に、とくに異母兄に弱みを見せることを嫌うジェレマイアが、そうした表情を見せることはめずらしい。
「どうしたの?」
「……兄上、軍のお努めはいかがですか?」
ジェレマイアはマティアスの質問には答えず、異母兄の近況を聞きたがる。
「私の務め?……そうだね。あまり役には立てないけど、仕事があるのは嬉しいよ。体も鍛えられるしね。部下……というよりお目付役かな? 彼らが結構きびしく指導してくれるし」
たとえお飾りだとしても仕事を与えられれば嬉しい。最初はなにも考えずにサインだけすればいいという態度で接していたお目付役たちも、少しずつマティアスに考える機会を与えてくれるようになった。
「兄上はお優しい方ですから、下の者とも上手くやっておられるようですね」
「王太子はそうじゃない、ということ?」
「聖女が言うには“頭の中まで誰かに操られている”らしいです、私は。……本当にそうかもしれません」
「神託のこと?」
一ヶ月ほど前に神託によってある貴族が身分を剥奪された話は、当然マティアスも知っている。そして、先日そのせいで聖女が襲われたことも。
「兄上。私は王太子という立場で、今までいろいろなことを、国の行く末を左右することすら、みずからの手で選んで正しく民を導く存在だと思っていたんです」
「実際にそうでしょう? 君は未来の国王なんだから」
マティアスにはそう見えた。聖女選定の儀式がある意味で失敗に終わったあとも、気に入っている侯爵令嬢をそばに置き続け、横暴とも思える神託を下させる。彼は人の運命を操る側の人間だ。
「違いますよ、兄上。私には、神託をとめることができず、聖女にそれをうち明けることもできず、母上や国の中枢にいる者たちに自身の考えを言うことすらできない」
「そうなんだ……」
マティアスからは異母弟はなんでも持っている、支配する側の人間にみえていた。だがジェレマイアは疲れた表情でそうではないのだと言う。彼が、胸の内を毛嫌いしている異母兄に話すのはめずらしい。
「昔、兄上のことをうらやましいと言ったことは、覚えていらっしゃいますか?」
「覚えているよ。たしかにそう言っていたね」
「今でも、私はそう考えています。だって兄上は、できないことをできないと正直に言うことが許される。周りがそれを許して、できることだけを認めてもらえる……そうでしょう?」
マティアスは異母弟になぐさめの言葉をかけない。おそらく彼もそんなことは望んでいないはずだ。
ジェレマイアの言うことが、彼の真実なのだとしたら――――。ジェレマイアにクラリッサを守る力がないというのなら、マティアスにはすべきことがある。そう確信して、ジェレマイアに背を向けた。
マティアスはそのまま私室に戻る。執務用の部屋では、従者のアランが書類の整理をしていた。
「お帰りなさいませ、随分とお早いお帰りですね」
「うん、ちょっと先客がいたから」
一人でのんびりしたいと言ってアランを部屋に待機させていたのに、マティアスがずいぶんと早く戻ってきたので彼は驚いたのだ。
執務用の机には何冊もの本が高く積まれている。すべて黄ばんでいて、かなり昔のものだとわかる。
それらはマティアスが半年かけて調べた聖女選定の歴史を記した本だった。その横には小さめの花瓶、そこに生けられているのは山百合。
「王太子がクーのことを幸せにしてくれるのなら、私はあきらめるつもりだった……でも」
聖女の評判、悪意、サリス侯爵がいまだに娘が妃になるのをあきらめている様子がないこと、そして聖女の名で出された神託。老神官との手紙のやり取りで、すべてが彼女の望まない方向に進んでいることをマティアスは知っていた。そしてジェレマイアの、クラリッサを守る力がないのだという告白。
「彼女からすべてを奪ったのは私だから、私も彼女を苦しめる人間のひとりだけど」
「殿下……?」
「私が一つだけ、王太子より優位になれるとしたら、守らなきゃいけないものが極端に少ないことなんだ。だから、私はなによりもあの子を優先して、罪を償い続けるよ」
マティアスは机に置かれた花――――山百合の花を見つめる。山百合の花は強い風で揺れても折れずに咲き続ける。ほかの野花と一緒に風に揺れている姿こそ美しい。
「ねぇ、アラン。クィルター伯爵と会いたい。呼んでくれる?」
「ただちに……」
主の命にしたがい、アランは一礼をしてからマティアスの部屋をあとにした。
***
マティアスがクィルター伯爵に会えたのは、翌日のこと。
「伯爵、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
マティアスのもとを訪れた伯爵に、彼は率直に話を持ちかける。
「うかがいましょう」
「うん、私はね……聖女を王太子から奪おうと思っている」
伯爵の眉が一瞬だけぴくりと動く。
「大胆なことをお考えですね」
「聖女の歴史を調べるとね。二代目以降、しばらくは必ず妃にしなければならないという決まりはなかったんだ。臣として仕えた聖女もいたみたい。それでも、賢王と呼ばれている人物はたくさんいる」
マティアスが考えていたのは、聖女を妃にしない方法だった。前例のないことはできないが、過去に前例があり、その御代が栄えたというのであれば受け入れやすい。
もともと神託はいつわりで、聖女に特別な力などない。前例さえあれば、諸侯はおのれの利があるほうに動く。
「だからね、その情報を年頃のご令嬢がいる家にこっそり教えてあげてほしいんだ」
「我が伯爵家になんの利がございますか?」
「あるでしょう? 私が聖職者になったら、伯父上の駒が一つなくなるのだから」
最近のレドナークは敗戦から復興するどころか、景気はむしろ悪くなっている。もしジェレマイアになにかが起こった場合、マティアスが反ディストラ派に担がれる可能性は十分にある。
現在、王位継承権を持つものはジェレマイア一人だけ。血筋を重視するのならば、公爵位についている現国王の弟、その息子のマッケオン伯爵、そしてマティアスの三人が王家の血筋を濃く引いている。年齢的な理由で公爵を除外すれば、マッケオン伯爵とマティアスが正統な建国王の血筋となる。
クィルター伯爵を含む、現在の主流派に不満を抱いている者にとって、彼らから疎まれ、軽んじられている第一王子は担ぎやすい。王家の血筋は国教であるネオロノーク教と密接に関係しているため、簡単には排除できないのだ。
「……ところで、最近の私の評判は?」
「凜々しくなられたと。……亜麻色の髪と紫を帯びた瞳の色がまるで建国王そのものだと」
「じゃあ、私が反ディストラ派の貴族と結びついたら面倒なことになるよね?」
マティアスが笑ってクィルター伯爵を見つめれば、伯爵も笑みを返す。腹の探り合いはマティアスの得意なことではないが、伯爵を味方につけるには必要な技術だ。
「……それと、もう一つお願いがあるんだ。二人ほどそちらで引き取ってほしい。……たぶん役に立つと思う」
「ふっ、今回はずいぶんとご依頼が多いですね」
「私は、とても私的な感情で動いている。だけど、それがこの国や伯父上にとって害になるとは限らない。そうでしょう?」
マティアスがクラリッサを救いたい理由は、非常に私的な感情だ。でも、王族が私心をすべて捨てたら、誰と信頼関係を築けるというのだろう。ある部分では自分の感情に正直であってもいい。マティアスはそう思うのだ。
それはきっと彼を強くして、そして弱点をさらすことにもなる。
(今はまだ、迎えに行けない。でも、待っていてね……クー……)
彼女の自由を奪った人間に、彼女とともに生きる権利はない。それでも、彼女をもう一度そとの世界に連れ出せる人間はマティアスしかいない。だから、マティアスは一歩踏み出すことにした。




