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まほろばの終わりに、聖女はふたつの夢をみる  作者: 日車メレ
第一章 野良犬と聖女

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いつわりの神託編5



 数日後、ジェレマイアは王妃から呼び出しを受けた。急いで王妃のもとへ向かうと、王妃は客人とお茶をしながら談笑していた。客人――――サリス侯爵とマルヴィナだった。


「母上、私にご用ということですが、いかがされましたか?」


「マルヴィナ嬢がいらっしゃっているのですもの、王太子もぜひに。先日、危ない目に遭ったというのに、母に顔すらみせない気ですか?」


 呼ばれた部屋は王妃の私室の一つだ。侯爵親子がこの部屋にとおされたということは、王妃が個人的に親しくしているという証だ。


「お久しぶりですね、サリス侯爵、それにマルヴィナ嬢も」


「ジェレマイア様、お会いできて嬉しゅうございます」


 頬を高揚させ、マルヴィナは嬉しそうにほほえむ。


「ええ、私も」


 心にもないことをジェレマイアは口にする。婚約者であるはずのクラリッサが怪我をしてまだ回復していないというのに、どうしたらお茶を楽しむ気になれるのだろうか。そう思っても、ジェレマイアは笑顔で王妃の隣に座り、結局はお茶を飲んでいる。いくら侯爵が国の有力者の一人だとしても、近い将来王となるジェレマイアが、不服を顔に出すことすらできないのはおかしい。これでは本当に操り人形だ。


「ジェレマイア様、私とても心配しておりましたの。……ご無事で本当によかったです」


「それは申し訳ない。……ですが聖女が怪我をしてしまい、私のいたらなさを痛感しているところです」


 今回の神託は、王妃に近い立場の大臣の一人から内々に依頼があり、下されたものだった。

 謀反むほんを未然に防ぐためには、どうしても必要なことである。そして聖女の名で不穏分子を排除することは、王太子の力を知らしめて、国の安寧あんねいにつながる。そう説得され、結局ジェレマイアは、母や側近たちの言うことをどこかで信じてしまった。

 聖女が神託を出し、ジェレマイア自身が国の復興に貢献こうけんすれば、クラリッサの存在を周囲に認めさせることにつながると、本気で考えていた。


「まぁ、それでは私、明日にでもお見舞いにうかがいますわ」


「マルヴィナ嬢はお優しいのね」


 マルヴィナが見舞いにいったら、クラリッサはよけいに体調を崩すだろう。彼女自身がそれを十分にわかっていて、見舞いに行こうというのだから、相当いい性格をしている。少し前のジェレマイアなら、王妃と同じ感想をいだいたはずだが、今はそうではない。


「……聖女様には申しわけないことをしてしまったと思っていますの。本当なら私が危険な目に遭っていたかと思うと、とても他人事ではありません。恐ろしいことですわ」


「ははは! マルヴィナが選ばれていたら、とてもあのような神託は……、おや、申し訳ない。つい本音が出てしまいました」


 ジェレマイア以外の三人はひどく楽しそうに笑う。



『なぜ? 邪魔な者を排除できて、汚いことを私にぜーんぶ押しつけて、王太子殿下は望んだお姫サマを手に入れられる……。私みたいな野良犬には到底思いつかない、素晴らしい作戦ですね。感心するわ!』



 神託の意味をわかっていないのはジェレマイアだけだった。ジェレマイア以外のすべての者が、神託の意味を正しく理解していた。一つだけ、皆が知らないことがあるとすれば、目の前にいる三人をジェレマイアが嫌悪しているということだけだ。彼らはジェレマイアが以前と変わらず、マルヴィナを妃にするつもりだと思っている。それは大きな間違いなのだが、この場で彼らに反論することは、自身やクラリッサの立場を悪くするだけだとわかっているから、言い返さない。


 汗がふき出し、口にした紅茶や菓子が胃から逆流しそうな不快感。ジェレマイアは思わず口元を押さえた。


 ここにいる者たちも、側近も、臣も、すべての人間が笑顔の裏におぞましいものを隠し持っている。ジェレマイア自身もそれは同じで、簡単に他者に心を悟られないことが、いいことだと思っていた。


「王太子? 顔色が悪いようですね?」


「ええ、暑い日が続いて疲れてしまったようです。……申しわけありませんが、私は退席させていただきます」


 真っ青な顔をしたジェレマイアを引き止めるものはいない。部屋の外で待機していた護衛騎士を遠ざけ、ジェレマイアは一人になれる場所を探す。


 たどり着いたのは、中庭にある東屋あずまや。そこはよく異母兄マティアスが一人で本を読んでいる場所だ。

 とうの椅子にもたれ、風にあたれば少しは気分を落ち着かせることができるはずだ。



「クラリッサ……」



 ぽつりと誰にも聞こえない声で聖女の名前を口にしてみる。本人に向かって、一度も呼びかけたことのない名前だ。

 怒りでも憎しみでも、素直な感情をジェレマイアにぶつけてくる人物は、彼女だけだ。だから、彼にとってクラリッサは特別な存在だった。

 襲撃の直前、クラリッサははじめて笑った。贈り物をしようとすれば断られ、会いにいっても困惑するだけでジェレマイアに心を開いてはくれなかった。

 その彼女がせっかく笑ったというのに、顔はベールに覆われて、澄んだ琥珀色の瞳をはっきりと見ることはできなかった。


 あのときの謝罪の意味をジェレマイアは考える。


 クラリッサと最初に会ったとき、ジェレマイアは彼女の置かれた環境を知りもせず、一言目から間違え、その間違いに気づいても謝らないままだった。

 彼女はあのとき、確かに歩み寄ろうとしたのだ。彼女が笑い、そして泣く。頬に触れても拒まず、熱い涙が指先に触れる感覚。ジェレマイアはひどく胸が熱くなり、心から嬉しいと思った。今からでも間に合うかもしれないと、そう思った。


「私は、愚かだな……」


 彼女になんの説明もしないまま、勝手に神託を出させた。正確には彼が出させたというより、止めようとしなかったという言葉が正しいのだろう。おそらく、ジェレマイアは彼女に言えば、反対されることがわかっていたのだ。はじめからいつわりの神託によって選ばれた聖女に、神の声を聞く力などあるはずがない。

 彼女は素直で、卑怯な手段は好まない。そして、聖女という存在が、いつわりであると本人もわかっているのに“聖女”として行動しろと言われても無理なのだ。

 そもそも彼女は今まで、国や神殿の庇護ひごからほど遠い存在だった。衣食住を保証された程度で恩を感じろ、というほうがおかしい。ましてや、彼女にとって最奥の宮は牢獄でしかないのだから。それでも歩み寄ろうとしてくれた。


 だというのに、ジェレマイアは隠し事をして、発覚したら彼女を叱責しっせきした。彼女から言われた言葉があまりにもジェレマイアの本質を見抜いていたので、我を忘れたのだ。

 十六年間隠していた自身の本性が、年下の女性に暴力を振るう、クズだったことにジェレマイアは衝撃を受けた。


 おそらくなんども間違いを正す機会はあったのだ。やり直す機会はいくらでもあった。彼女はあのとき確かに、ジェレマイアの心を知ろうとしてくれたのだから。だが今回は、超えてはならない一線を超えてしまった。彼女の知らないところでいつわりの神託が下り、死者が出た。


 ジェレマイアは目をつむって何度か大きく息を吸う。考えてもクラリッサに対しできることが思いつかず、胸の中にあるもやもやとした感情は増すばかりだ。



「王太子、めずらしいね」



 凜とした声はマティアスのものだ。最近になって、お飾りの役職だが王国軍の一師団を預かる身になった異母兄。急に背が伸び、略式の軍服をまとう姿は凜々しい。


「どうしたの?」


 マティアスは自分の指定席のような場所に、ジェレマイアがいたことが意外だったようだ。驚いた表情で異母弟の顔を見つめていた。



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