いつわりの神託編1
春になると、クラリッサはよく中庭で過ごすようになった。中庭にはテーブルと椅子が用意され、天気がよければ自習の時間をそこで過ごす。 変わったことといえば、杖が新しくなったこと、時々ジェレマイアの公務に同行するようになったこと、そして彼が先触れなしで突然現れるようになったことだ。
今日もジェレマイアの突然の訪問に、上級女官が引きつった笑顔で出迎える。
「王太子殿下。殿下がいらっしゃるのでしたら聖女様も準備すべきことがおありでしょう。どうか、事前にわたくしどもにお知らせいただけないでしょうか?」
女官にとってとんでもなく迷惑な話。それを聖女の都合で、と勝手に他人の都合に置き換えてしまう。その手法はさすがだとクラリッサは思う。
「聖女の邪魔をする気はない。……そちらからの報告だとまだ聖女は自覚が足りていないということだから、私も日頃の様子を確認する必要がある。これも王太子としての務めであろう?」
つまりジェレマイアは、クラリッサの日頃の態度を見張りに来たというのだ。抜き打ちで彼女の取り組みを確認するのだから、事前の調整など必要ないという主張だ。
「さ、さようでございますね」
教育係は日頃から、聖女がいかにやる気がないかを力説しているのだから、自覚をうながすために監視しにきたという、ジェレマイアの行動を止められない。
「……つづりの練習をしているのか?」
「はい」
「そのまま続けろ」
ジェレマイアは女官を辞めさせていない。だからといってクラリッサの暴言に憤っている様子もなく、なにも知らなかったと言い訳をすることもない。
こうして最奥の宮を訪れるのは、言葉どおりにクラリッサを監視するため――――というより、口ではそう言いながら、女官を牽制しているようだ。ジェレマイアがいつ現れるのかわからない、というのは女官の仕事の妨げになる。
(本当に、意味がわからない……)
ジェレマイアがクラリッサの暴言についてなにも言わないので、彼女のほうもなにも言えずにいる。アーシェラが言うように、彼がなにも知らなかったのだとしたら、さすがに言い過ぎたと思ったのだ。
しばらく、なんの会話もしないまま、クラリッサはつづりの練習を続ける。ジェレマイアはその横に座って、テーブルに置いてある参考書や本をぺらぺらとめくる。人に手元を見られながらペンを動かすのは、非常にやりにくい。
休憩の時間になると下級女官がお茶や焼き菓子を運んでくる。クラリッサは手を止めて、さっそくそれをいただくことにした。
ジェレマイアがすぐに女官を下がらせたので、庭にいるのは二人きりだ。クラリッサは彼と世間話などしないので、どうしていいのかわからず、とりあえずお菓子を口に入れる。
女官からの嫌がらせは、教育に関することに偏っている。塩入りの紅茶については、マナーがなっていないという事実を令嬢たちとあざ笑い、悪評を広めることに目的があったようだ。もともと細いクラリッサが、さらに痩せてしまうと責任問題に発展する。だから普段の食事を抜かれたりすることはないし、用意されたお菓子もおいしい。
「その杖、ずいぶん気に入っているようだが?」
ジェレマイアが立てかけてある白い杖を見つめる。
「おじいさまからいただきました」
「あなたの養父殿か。……聖女にはなにか、ほかに欲しいものはないのか?」
「欲しいものですか? 私はこちらで十分すぎるほどのものをいただいておりますので――――」
「そうではなく! ……こう言うと、あなたは怒るかもしれないが、前みたいに本音でかまわない」
彼はクラリッサの本性を咎めるつもりがない。だから、本当のクラリッサと話がしたいのだという。
ジェレマイアの前ではすでに一度本性をさらしている。一度も二度も同じことだ。
「……じゃあ、もので釣れると思わないで。それよりあのクソ女どもをどうにかしてよ! ……で、よろしいでしょうか?」
ジェレマイアは少し安心したように一瞬だけ笑う。わざわざ汚い言葉を聞きたがる彼はおかしな人だとクラリッサは思う。
もしかしたら、ほかの令嬢に贈り物をしていたことがうしろめたくて、クラリッサにもなにかを贈るつもりだったのかもしれない。彼の意図はなんとなくわかるが、敵か味方か態度をはっきりさせないジェレマイアからなにかを受け取る気は、今のクラリッサにはない。
彼女の願いは、嫌がらせをしている女官の排除だ。その件をうやむやにしてもらっては困るのだ。
「そうだったな……。それは少し時間がかかる」
いつも無表情なジェレマイアのアイスブルーの瞳が陰ったように見えた。
時間がかかるという言葉の意味は、女官たちを排除したいと思っている、という意味だろう。するつもりがあるができない、ということなのかもしれない。
「じゃあ、王太子殿下は私の敵じゃないって思っていいんですか?」
ジェレマイアは首をゆっくり横にふる。
「いや、違う。力を持っているのにやらないというのは、少なくとも味方のすることではない。だから、私はあなたの敵だ」
「……そうですか、王太子殿下の考えていらっしゃることは、私にはよくわかりません。ですが、おぼえておきますね」
「ああ、そうしてくれ。……ところで、聖女の住んでいたところはどんな場所だった?」
ジェレマイアがクラリッサの過去についてたずねたのは、これがはじめてだ。今までは顔を合わせるたびに、将来のことばかり気にしていた。早く教養を身につけろ、はやく妃にふさわしい礼儀作法を身につけろと。彼はクラリッサの過去に興味はなく、未来だけを見ていたはずだ。
「死体が転がっていて、週に一度は殺傷事件が起こって、あいさつ代わりに人の金を盗みとるような場所ですけど?」
クラリッサはわざと悪い面ばかりを並べる。彼に知ってほしいというより、自身とジェレマイアがわかり合えないほど、別世界の人間なのだと突き放すように。
「イルマシェ殿がいなければ、ここから逃げ出したいと言っていたが、そのような危険な場所へ帰りたいのか?」
「……ここよりはずっとマシですよ。ここは本当にクソみたいな場所だから。きっとこの足じゃ、外に出たらすぐに死んじゃうと思うけど、私はそれでも野良犬のほうがましだと思います。あの場所には未来がないけど、心はとっても自由だったから」
「心は自由か……」
「なんだか、王太子殿下も自由ではないみたいな言い方ですね」
「そうだな。……そうかもしれない」
クラリッサは、彼が本当は女官を排除したいと考えているのだとなんとなく察した。そして「力があるのにしない」という言葉は真実ではないことも、どこかでわかっていた。
(だったら、素直にそう言ってくれれば、私だってあやまるのに……)
できないことをできないと言えない。それは彼の性格なのか、それとも王太子という立場が彼にそうさせているのか。
この日から、ジェレマイアはよくクラリッサの“本音”を聞きたがるようになった。




