神殿の聖女編7
ジェレマイアに対して感情を爆発させたクラリッサは、その後アーシェラから、彼がなにも知らなかったことを聞かされた。
(知ってても、知らなくても関係ないわ。……あの教育係をどうにかしてくれないのなら、結局やつらの仲間じゃない!)
その後も女官たちの態度が変わる様子はなく、ジェレマイアが訪ねてくることもないまま一ヶ月が過ぎた。そしてようやく左足の固定具が外された。
医師の話を聞いて、クラリッサもある程度覚悟はしていたが、左足は前のようには動かない。足首を曲げようとしても自分の意志では曲がらず、感覚がひどく鈍い。引きずるようにすればなんとか歩けるといった具合だ。
これからもう少しましになるかもしれないし、ならないかもしれない。それは数年経たないとわからないということだった。
足が治ってからのクラリッサは医師の指示もあり、できるだけ自分の力で歩き、思いどおりにならない左足をうまく動かせるように訓練をしていた。といっても、最奥の宮の中からは用事がなければ出られない。そのうち神殿の行事に参加したり、聖女として王太子の公務に同行するとのことで、クラリッサはそれを楽しみにしていた。
ジェレマイアにはべつに会いたくはないが、いつも同じ顔の女官しかいない閉鎖的な宮に長くいると、ひどく息が詰まるのだ。
朝の勤めとして、毎日神に祈りを捧げて、その声を聞くというものがある。一日の中で唯一、最奥の宮から出られる時間だ。その帰りに、大聖堂の脇にある塔の上まで行くことが、彼女の日課になっていた。足を動かす訓練になるという理由で特別に許可されたのだ。
女官は塔の入り口で待ち、上まではこない。この塔は、神に近い場所で祈るために造られた神聖な場だ。だから、聖職者ではない女官は塔の上まで行くことはできないのだ。
それはクラリッサにとって、とても都合がいいことで、一人でいろいろなことを考えられる時間だった。
塔の高さは建物の三階ほどで、もともと王宮と大神殿が高い土地にあるので、王都中を見渡すことができる。小さなアーチ型の窓を開ければ、心地よい風がクラリッサのベールをゆらす。
すぐそばにある王宮には、クラリッサがいる塔よりもさらに高い四本の塔が見え、反対側には王都の町並みが広がっている。すぐ近くには貴族たちが住まう大きな屋敷。そして一番遠い場所に七番街と野良犬の巣。
(ロイ、ブリュノ……、マティアス……)
彼女が考えるのはいつも仲のよかった少年たちのことだ。まだ二ヶ月と少ししか経っていないというのに、前の生活がまぼろしだったのではないかと思えるほど、クラリッサには遠いものになってしまった。
彼らのことを考えていると、自分のことなど心配せずに、変わらず生きていってほしいという気持ちと、忘れないでほしいという気持ちがクラリッサの中で入り交じる。
クーという名前で呼ばれなくなったあの日から、自分だけが箱庭の世界に閉じ込められ、外の世界は変わらず刻をすすめている。クラリッサはいつもそんな寂しさを感じるようになっていた。
***
最奥の宮にある小さな庭にも、少しだけ春のへ気配がただよいはじめたころ、老神官が訪ねてきた。
いちおう養父ということになっている老神官ですら、今のクラリッサには簡単に会うことが許されていない。当然だが、教育係を含む女官に見張られながら、しかもベールをつけての面会になる。
「おじいさま、お変わりありませんか?」
「ああ、わしは元気じゃよ……。それより今日は聖女殿にこれを持ってきた」
老神官が手に持ってきたのは杖だった。クラリッサがそれまで使っていたのは、脇の下で支える無骨な医療用の杖だ。老神官が新たに用意したのはそれよりも細い、手で支える種類のものだ。持ち手の部分には細かな彫刻がされている白い杖。
「左足がまったく動かないわけじゃなかろう? 使ってみなさい」
いつまでも医療用の杖を使っているのは格好が悪い。聖女の正装に合わせ、老神官がわざわざ用意してくれたのだと思うと、クラリッサは久しぶりに笑顔になる。
「おじいさまが用意してくださったのですか? ありがとうございます! 本当に、本当にうれしいです」
ベールに隠され、老神官からはクラリッサの表情がよく見えないはずだ。気持ちが伝わるように、彼女は少し大げさに喜んでみせる。
クーならば「じーちゃん、ありがとう!」と言って老神官に飛びついて、彼のひげを引っ張っていたかもしれない。クラリッサにはそういう自由はない。
「わしにはこれくらいしかできんからの。……ほかに困っていることはないのか?」
「……はい」
老神官が知っても、きっとどうにもならない。それでもクラリッサは彼には聞いてもらいたいことがたくさんある。聞いてもらいたいことのほとんどが、生活に対する不満と愚痴ばかりだが、誰かに話してなぐさめてもらいたかった。
だが女官たちに見張られたこの状態では、それすら叶わない。
「……そうか。本当に、どうにもならないときは必ずわしを呼ぶんじゃよ? 聖女殿が町で暮らされていたときからずっと、娘……というより孫のように思ってきたのじゃから」
「はい。わかっています、おじいさま」
古き神殿には祈りを捧げるために行ったり、仲間の亡骸を運んだりした。簡単に済ませても誰も咎めないのというのに、老神官はいつも長い祈りで死者を弔ってくれたのだ。
「聖女殿を支えるつもりで、ここに来たつもりじゃったが……もしかしたらわしが聖女殿の枷になってしまったかもしれんの」
クラリッサはその言葉にどきりとする。
「じゃ、じゃあ……、私が野良犬だから、おじいさまは首輪役ですね!」
老神官は彼自身が人質であることも、クラリッサの唯一の切り札のことも知っている。そんな気がしたクラリッサは、なんとなく冗談でごまかす。クラリッサの考えている切り札は彼をひどく悲しませるはずだから。
「聖女様! なんということを!」
野良犬という言葉に反応して、教育係が叱責する。
「……失礼いたしました、ちょっとした冗談です」
せっかく老神官と話せる機会があったというのに、本音を言うことができないまま面会の時間は終わる。
老神官が用意してくれた杖に彫られた彫刻は、小さな百合の花だった。それはあの場所によく咲いていた、彼女の一番好きな花。マティアスと過ごした日々を彼女に思い出させる花だった。




