神殿の聖女編5
聖女選定の日の翌日、寝台の上に寝かされた赤い髪の少女に対して、ジェレマイアは「汚らしい子供」と言い放った。
その時はサリス侯爵家の令嬢、マルヴィナが聖女になることが決まっていたので、すぐに頭を切りかえろと言われても無理な話だった。だが、しばらくして冷静になったジェレマイアは、選ばれた聖女を大切にしなければならないと考えるようになった。
父であるメイナード十三世と同じ道は進まない。国王が妃を選べないことは当たり前だ。王たる者はそれを受け入れ、定められた妃を愛さなければならない。それが、ある意味で潔癖な性格のジェレマイアの信念だった。
ところが初めての面会の前に、教育係の女官からこう告げられたのだ。
「聖女様に教養がないのは覚悟しておりました! ……ですが、学ばれるお気持ちがないというのはあまりにも!」
聖女は気に入らなければすぐに本を投げ、わからないことを言われると教え方が悪いと機嫌を損ねる。食事がまずいと文句を言い、早くも自身が将来の王妃であることを笠に着て、傲慢な人間になりつつあるというのだ。
「わかった。聖女は慣れない環境で戸惑っているのだろう。私からもよく言って聞かせるので、今後とも指導を頼む」
「ええ、本当に……お願い申し上げます」
女官から聖女の話を聞かされたジェレマイアは、憂鬱な気分で聖女が待つ部屋へ向かった。部屋の中に入ると、真っ赤な髪の少女が杖を支えにしたまま頭を下げていた。
「名を」
「正式な礼をとれないご無礼をお許しください。このたび、恐れ多くも王太子殿下をお助けするための聖女の位を拝命いたしました、クラリッサ・イルマシェと申します」
はっきりとした口調。学ぶ気持ちがないという女官の言葉が嘘のように、まともな挨拶をするクラリッサという名の少女。
「おもてを上げよ」
白い衣装、肩のあたりで揃えられた赤い髪、貧民街の出身だから体は痩せていた。意志の強そうな琥珀色の瞳がまっすぐにジェレマイアを見つめていた。
堂々としてそうで、体を支える杖が震えていた。まだ怪我が治っていないのだ。正直、ジェレマイアには彼女が今にも倒れそうで見ていられなかった。
「見苦しいから座ってよい」
彼がそう言った瞬間、クラリッサは一瞬だけ驚いて、すぐに表情が曇った。言葉を間違えたという自覚は彼にもあったが、言い直すことはなかった。
ジェレマイアは女官の言うことをすべて信じたわけではない。事故のような偶然で聖女に選ばれた彼女が、すぐに聖女としての自覚を持つのは無理な話なのだろう。
教育係を務める女官は、身分の高い貴族でもある。彼女たちの信用を得ることは聖女として、未来の王妃として絶対に必須だった。早く、王になるべくして生まれた自分と同じ存在になってほしくて、彼はクラリッサについ厳しい口調で自覚を促した。そのたびに彼女の瞳は曇り、だんだん視線が合わなくなっていった。
クラリッサとの信頼関係が築けないことにいらだちながら、ジェレマイアはお披露目の儀式に挑んだ。
その頃には、貴族のあいだで聖女は足が悪く、愚鈍でわがままな少女であるという噂が広がっていた。聖堂の中央を歩く彼女の姿を見て、あざけり笑う貴族はいたが、為政者となる身ならば常に堂々とし、感情を悟られるわけにはいかない。
ジェレマイアが「おどおどするな」とたしなめると、彼女は震えながら、かたちばかりの返事をする。
最奥の宮に下がる途中で、クラリッサは体力の限界に達したのか、転んで立ち上がれなくなってしまった。
未来の夫に対し本音を言わずじっと耐えるだけ、頼ろうとしない彼女にいらだち、ジェレマイアはつい感情をぶつけた。
(なぜ、頼らない? 本音を言わない? 私のほうを見ない!?)
結局、彼女が頼ったのは下級女官だった。女官の姿を見た瞬間、大きな声で泣き出し、本来の言葉使いに戻っていた。
(あなたが頼るべき相手は、私でなければならないはずだ!)
ジェレマイアの疑問は、すぐに解消されることになる。逃げるように去ろうとした彼のあとを追いかけてきた聖女付きの女官、アーシェラが意外なことを口にしたのだ。
「恐れながら、王太子殿下と聖女様の間には誤解があるのだと思います」
「誤解だと……?」
「聖女様はこの宮で、……その、大変おつらい立場にあるのです」
「庶民から聖女になり、三年で王妃にふさわしい礼儀や知識を身につけなければならないのだから、厳しいのは仕方がないはずだ。……彼女は特別賢いわけではないのだから」
「いいえ、聖女様は噂されているような方ではないのです。聡明で明るく、思いやりのある方だとわたくしは思います」
その後、アーシェラから日頃の陰湿な嫌がらせについて、いくつかの話を聞いた。ジェレマイアは正直、誰を信じてよいのかわからなくなっていた。だから約束なしでこっそりと訪れればいいという、アーシェラの提案にのることにしたのだ。
***
三日後、王太子としてふさわしい行動ではないという後ろめたい気持ちを持ちながら、ジェレマイアは最奥の宮を訪問した。宮の出入り口には神殿に所属している騎士がいるが、彼らは中に入れない。ジェレマイアを制止できる者はいなかった。
女官に見つかった時点で立ち聞きなどできなくなるが、もともと仕える主が聖女一人しかいないため、数が少ない。
そしてジェレマイアが最初に出会った女官は、幸いにもアーシェラだった。
「立ち聞きとは情けない……」
アーシェラから、マルヴィナをはじめとした貴族令嬢が訪ねてきているという報告をもらい、ジェレマイアは彼女たちがいる応接室の扉の前に立った。
全ての会話が聞こえたわけではないが、教育係の上級女官の声、そして令嬢たちの甲高い声はよく聞こえた。
クラリッサがわかるはずもないドレスや宝石の話を延々とし、女官が令嬢たちの教養をほめ、彼女を貶めた。
アーシェラが特に日時を指定しなかったのは、いつ来てもだいたい同じ状況だから。淑やかな令嬢だと思っていたマルヴィナがしていること。クラリッサが下級女官を庇っておかしな味の紅茶を飲もうとしていること。扉越しでも想像するに十分だった。
(一月以上もこんな状態だったというのかっ!)
マルヴィナが聖女に紅茶を飲むように催促する声が聞こえたとき、ジェレマイアは耐えきれず扉をノックした。
おかしな味の原因をさぐるため、ジェレマイアが砂糖の容器に手をのばすと、クラリッサがそれを阻むようにはちみつをすすめてくる。
ジェレマイアは原因がわかっても、その場で追求しようと思っていたわけではないのに、クラリッサには彼の意図が伝わらなかったのだ。
それから――――。
「だとしたら、あんたが一番嫌い! 言ってることと、やってることが違いすぎて信じられないし、気持ち悪いもの」
それがクラリッサの本音だった。琥珀のような瞳の少女と久しぶりに目が合ったというのに、向けられた感情は嫌悪と拒絶。彼女は今まで抑圧されてきたものをすべてはき出すように感情を爆発させた。
ジェレマイアの頭の中には、いいわけばかりが浮かんだ。
マルヴィナは愛人ではない。彼は王太子として、日頃から臣に侮られない言葉遣いを心がけている。高位貴族の令嬢に対して柔らかな言葉遣いで接するのも、贈り物をするのも、紳士としての礼儀の一つだ。
彼はそう反論しようとしたが、できなかった。なぜクラリッサに対し、礼儀をもって接しなかったのか説明ができないからだ。
心のどこかでは孤児だったクラリッサを下に見て、定められた伴侶なのだから、自分に尽くして当たり前のように考えていたのかもしれない。
聖女の教育については、アーシェラから聞いて知ったばかりだった。
今まで知らなかった――――そう言えばいいのに、ジェレマイアは素直にその言葉を口にしなかった。それまで会うたびに、偉そうにクラリッサによく学べと言っていたことがひどく恥ずかしく、管理不足を認められなかったのだ。
(まずは、あの者たちを解任しよう。そのうえで聖女に謝罪を……)
もう、言葉だけの謝罪では信じてもらえないところまで、ジェレマイアの信用は失墜していた。いや、最初の一言目から間違っていて、そもそも一度だって信用などされていないし、少しの好意も抱かれていない。
「……適当に飼い殺しにして、聖女の勤めが終わったら殺す気なんだって、こっちはわかってる。でも、甘く見ないで? ……道具がなくたってどうにでもなるんだから。こんなクソみたいな場所であと三年生きるより、さっさと死ぬほうがよっぽどいい」
三年の勤めのあとに殺される。もちろんジェレマイアはそんなことを考えたことはないし、彼女の養父を人質にしたつもりもなかった。
彼女の被害妄想――――この一ヶ月の聖女の扱われ方を知らなかったら、そう笑い飛ばしていただろう。
王太子の妃は神託で選ばれた聖女。だから、彼女がよき妃になれるように皆が協力してくれる。
なんの根拠があってそう思っていたのだろう。そうではなかった。なにも知らずに一人で踊っていたのはジェレマイアだけだった。




