神殿の聖女編4
「マルヴィナ嬢、久しぶりですね。……貴女がこちらにいらっしゃるとは思いませんでした」
急遽、用意された席に座り、ジェレマイアは令嬢たちに挨拶をする。彼が不遜ではない話し方もできるのだと、そしてなにより誰かに笑顔を向けることもあるのだと、クラリッサははじめて知る。
平民の、それも孤児の薄汚い小娘と、貴族の令嬢とでは扱われ方も違うのだ。
「ジェレマイア様、お会いできて嬉しゅうございます。わたくし、神殿の暮らしにまだ慣れない聖女様を少しでもお慰めしたくて参ったのですわ」
「そうですか、それは心強いことですね」
これでマルヴィナが聖女の友人として、最奥の宮を訪れるお墨付きを得たことになる。
「ジェレマイア様、あの……まだブローチをいただいたお礼を言っておりませんでしたわ。あんなに素晴らしいものをいただけるなんて、光栄です」
頬を染めて、嬉しそうにほほえむマルヴィナ。ジェレマイアはそんな話をここでされると思っていなかったのか、驚き、少しだけ口元が引きつっている。
「き、気に入ってもらえたなら。……ところで聖女。怪我の具合はどうだ? それを確認したくて、今日は……」
「とくに変わりありません」
「そうか」
ジェレマイアは気まずい雰囲気を紛らわせるためなのか、紅茶を飲むために砂糖の容器に手をかけようとする。容器には塩が入っているというのに。
もし、ジェレマイアが塩入りの紅茶を飲んだ場合、誰かが責任を追わされ、女官が一人、辞めさせられるはずだ。そしておそらくその辞めさせられる女官というのは、クラリッサに対し比較的悪意を持っていない女官の誰かになるはずだ。
調査をするほうが黒幕なのだから、犯人などいくらでも仕立て上げられる。
「王太子殿下。今日の茶葉にははちみつが合うと、先ほどみなさんからうかがいました」
「……そうか、では私もそうしよう」
クラリッサの言葉で、ジェレマイアが砂糖の容器から手を離す。
令嬢たちの注目は王太子に注がれ、もうクラリッサの塩入り紅茶に注目する者はいなくなった。結果的に紅茶を飲まずに済んだことを、彼に感謝しなければならないのだろうか。一瞬、クラリッサはそんなことを考えた。
だが、その後も続くマルヴィナとジェレマイアの思い出話のせいで、彼女の頭からそんな考えはすぐに吹き飛んだ。
クラリッサの苦痛に感じる時間が、ジェレマイアの登場でより耐えがたい時間になっていった。
***
令嬢たちが帰ったあと、ジェレマイアはクラリッサを庭へと誘った。
女官を遠ざけて、最奥の宮の小さな中庭にあるベンチにクラリッサを座らせる。
「寒くはないか?」
「はい」
「その、一つ言っておく。マルヴィナ嬢が妃候補であったことは確かだが……あの話は選定の前の話だ」
「はい、存じ上げております」
「まるで私のことなど、気にしていないような言い方だな」
「そのようなことはございません。選定以前のこと、そうおっしゃられたのは王太子殿下です」
「そういうことではない! ……その、少し、本音で話がしたい。あなたは私の聖女で伴侶となるべき人なのだから、あなたの本音を聞くのは私の責務だ」
伴侶という言葉でクラリッサの忍耐力が限界に達した。一ヶ月間ずっと我慢していた心のたががはずれる。
マルヴィナとは名前で呼び合い、終始、彼女を尊重するような丁寧な言葉で接していた。一方、令嬢たちが同席しているというのに、クラリッサに対してはいつもどおりの口調で一切名前を呼ばなかった。
令嬢たちは皆、ジェレマイアの態度を見て、彼の心がまだマルヴィナにあると感じたはずだ。実際に、クラリッサもそう思った。
クラリッサとしてはそれでも別にかまわない。彼女の心にだって別の人が住んでいるのだから。
クラリッサが我慢ならないのは、先ほどまでクラリッサを蔑ろにしておきながら、伴侶だ責務だともっともらしいことを口にするその矛盾だ。
「……私の本音ですか? では、私の養父になにもしないと、誓っていただけますか?」
「養父? なぜイルマシェ殿が関係あるのだ?」
「……人質にしてるくせに、しらばっくれやがって!」
「は? 今なんと……」
急にクラリッサの口調が変わる。汚い言葉に慣れていないジェレマイアは、なにを言われているのか理解できない様子だ。
「しらばっくれやがって、って言ったんだ! このいんけん野郎」
「いんけん……?」
「伴侶? 本音を聞くのが責務? 笑っちゃう! 早く教養を身につけろって言いながら、あんなクソ教師つけるわ、その将来の伴侶とやらの前で愛人といちゃいちゃ名前で呼び合うわ、気持ち悪い! べつにあんたにこれっぽっちも興味なんてないけど、わざわざこんなところに連れ込んで贈り物自慢とか、趣味悪すぎ。……あんた、なにがしたいわけ?」
王太子がなにも知らされていない可能性もある。少なくとも、マルヴィナがあの場にいたことは彼にも予想外だったのだろう。ブローチの話を出されたジェレマイアは動揺していたのだから。
それでも、彼は間違いなく管理する側で、知らないで済ませられる話ではないとクラリッサは思う。だから彼女はためらうことなく、感情を爆発させた。
クラリッサにはまだ切り札がある。それを使えば少なくとも老神官に危害が加えられることはないはずだ。
「脅されてなかったら、もし足が前みたいに動いたら、この塀を飛び越えてとっくに逃げてるよ!」
「聖女!?……あなたは……」
「口が悪くて驚いた? 私だってできれば死にたくなかったから、あんたと仲良くできたらって思って我慢した! 頑張ろうとした! だけど、今日のことではっきりわかったの」
「なにがわかったと言うのだ?」
「私が妃になるしかないのなら、わざと勉強を教えないのはなんでかなって、そこだけよくわかんなかったけど……。あの女を妃にするために、評判のいい聖女様はいらないんだね!」
それに対して、ジェレマイアの反論はない。クラリッサはジェレマイアがなにも知らないでいてくれたら、なにかいいわけをしてくれたらいいのにと思っていた。でも彼の表情は、話の内容に心当たりがあるようだった。
「……あーあ、なんだ。やっぱり女官たちのこと知ってたんだ! だとしたら、あんたが一番嫌い! 言ってることと、やってることが違いすぎて信じられないし、気持ち悪いもの」
クラリッサは一つしか持っていない切り札を使うことにした。
「じいちゃんになんかしたら、死んでやる」
「なっ! 自殺!? なにを馬鹿な……そんなこと許されるわけがないだろう」
ネオロノークの教義で許されていないこと。聖女がみずから禁忌をおかせばどうなるのだろう。三年の勤めの途中で聖女が死亡した例など聞いたことがない。だからクラリッサはこれがかなり有効な切り札になると思った。
「あぁ、やっぱり? 死なれるのは困るんだ? いいこと聞けたなぁ……」
ジェレマイアのかつてないほどの動揺に、クラリッサは満足する。聖女になった今よりも、野良犬だった時のほうがよほど清らかでネオロノークの教義を守っていた。皮肉で理不尽な現実がひどくおかしい。
「……適度に弱らせて、聖女の勤めが終わったら殺す気なんだって、こっちはわかってる。でも、甘く見ないで? ……道具がなくたってどうにでもなるんだから。こんなクソみたいな場所であと三年生きるより、さっさと死ぬほうがよっぽどいい」
マルヴィナや教育係の態度は、彼女こそが妃にふさわしく、ジェレマイアに愛されていることを知らしめるようだった。聖女にはなれないが、妃になることをあきらめているようには見えない。
みんな自信があるのだ。クラリッサが妃にはならないという。もしくは妃になったあと、すぐに死ぬという。
「や、やめろ」
「わたし、そんなに性格よくないから。そっちがその気なら、あんたを、途中で聖女を失った伝説の王様にしてあげるよ!」
クラリッサは一方的に話を終わらせ、杖を使ってゆっくりと立ち上がり中庭から去る。相手に追いかける気があるのなら、足の悪いクラリッサはすぐに追いつかれてしまうだろう。
だがジェレマイアはその場で立ち尽くし、彼女を追ってはこなかった。




