神託の行方編3
聖女選定の日、王都の五番街は新たな聖女の誕生を祝う祭りで賑わっていた。
空を覆う雲は厚く、そのうち冷たい雨でも降ってきそうな天気だ。
クーはいつものようにナイフ投げの芸を披露した。皆が新しい聖女、そしてそのあとに期待される国の繁栄を夢にみて、財布のひもがゆるくなっている。
嫌がるロイを絶対に儲かるからと説き伏せて、以前と同じ三人で披露した芸は大成功で終わった。
雨が降り出すと足を止める客は減るし、ナイフを持つ手が滑ってしまうことがある。だからその前に終われたことに、三人はほっとした。
いつもの倍以上集まった硬貨を三人で分けてから後片付けをする。
「クーはあいつと約束してんだろ?」
「うん、でも今日で最後なんだ。今日でおしまいにするってマティアスと決めたの。……もう、ブリュノに心配かけないよ」
なんでもないことのような態度でクーは答える。
「ああ、なんつーか……いいのか? それで」
以前はブリュノのほうが、マティアスとの関係を早く終わらせるべきだと言っていたのに、実際にそうなると難しい顔をする。それが少しおかしくて、クーはつい笑ってしまう。
「一番いい、かどうかわからないけど、まともな選択だと思わない?」
「けどよ!」
クーは何度か首を横にふり、それ以上話す気はないとブリュノの言葉を止める。
「……たぶん、もう二度と会えないから、二人もお別れくらいしなよ」
「そうですね。彼が会いに来ないかぎり、もう僕たちに関わることなんてありえませんからね」
後片付けが終わったのを見計らったかのように、一人の青年が近づいてくる。その人物は、クーが予想していた人物ではない。栗色の髪の不機嫌そうな青年、マティアスの従者アランだった。
「君と話をするのは、一年ぶりだな。……私はあの方にお仕えする者で、アランという。すまないが、家名を名乗るのはひかえさせてもらう」
一度だけ、はじめてマティアスと出会った日に随分とクーを見下した態度だった青年だが、今日の彼は少し違った。
「マティアス、様は……?」
今までマティアスに同行しても、決して直接姿を見せることのなかったアランがここに来て、わざわざ名前を名乗った。その時点で彼女にもほとんど予想がついていた。それでも聞かないと終われないのだ。
「我が主はここへはもう来ない」
淡々と告げる彼の表情からは感情が読み取れない。
「……そうですか」
「手紙を預かっている」
胸ポケットから出されたのは真っ白な飾り気のない封筒。収められた一枚の紙をクーはゆっくりと開く。
そこにはただ「ごめん、今までありがとう。さようなら」とだけ書かれていた。
「……わざわざありがとうございました」
別れを告げるには短すぎる手紙。どうして来られないのか、理由すら書かれていない。クーはそんな手紙を書いたマティアスのことをバカだな、と思う。マティアスは不器用で正直者で、とてもバカなのだ。
「ずいぶんと、聞きわけがいいのだな」
クーの態度はアランにとっては予想外だったようだ。
「そう見えますか?」
「ああ」
「どうせ、今日終わりにするつもりだったので、むしろ楽しい思い出なんてないほうがいいのかもしれません。ただ、それだけです」
知っていてもう手にできないのと、知らないままでいるのと、どちらが幸せなのか。あのときは二人とも知るほうを選んだ。でも、もう一つの選択が間違っていると思っていたわけではない。誰もが迷いながら選ぶのだ。
マティアスが知らないほうを、楽しい思い出を作らないほうを選んだのなら、クーはそれを受け入れる。それだけのこと、そう思わなければいけないと考えた。
「……なにか、伝えることはあるか?」
「ありません。聞きわけがよくて、たいして気にしてない様子で! 薄情そうな娘だって、ありのままを報告してくださってかまいません! ……ぜひ、そうしてください」
今日でなくてもいい。半年後でも一年後でもいいから会いに来てほしい。ちゃんとお別れをしたい。クーはそう言いたかった。
マティアスがなぜ短い別れの言葉だけを記したのか、その意味がすべて読みとれるわけではないが、きっとどうでもよくなって書いたものではない。
クーが手紙から読み取ったのは、もう会いに来ないという彼の覚悟。だから、これ以上なにかを伝えるのは不要だった。
マティアスへの想いはクーの中にだけあればいいもの。もう会えない彼と想いを共有しても仕方がないのだ。
「君と主は正反対の性格だと思っていた。……私の思い違いだったかもしれないな」
「…………」
「君、いいや君たちには感謝している。我が主は随分と変わられた」
深々と頭を下げたあと、アランは野良犬たちに背を向けてゆっくりと歩き出す。祭りの人混みですぐにその姿は見えなくなる。
クーは上着のポケットにマティアスからの手紙をしまう。
「こういう時、ぱーっと遊び歩いたほうがいいんじゃねぇか!? 串焼きおごってやろうか!?」
ブリュノが顔を引きつらせて無理に笑いながらそう言う。
「や、やめてくださいよ。僕たちにはどうせ乙女心とかわからないんだから! 時にはかまわないでいてあげるのも友人の役目です」
少年たちはクーをどう扱っていいのかわからず、困っている。
「ありがとう。気にしてないし、大丈夫だよ! でも、ちょっと一人になりたいかな……」
今日はいつ死ぬかわからない野良犬にとって、最初で最後かもしれない大きな祭りの日だ。せめてブリュノとロイには楽しんで欲しい。それに、彼らと一緒にいたら、きっとクーは無理に笑ってしまうのだ。一日中そうしているのはさすがに苦痛だと彼女は考えた。
「おう、あんまり気を落とすなよ。飯食って早く寝ちまえ」
「……だから、ブリュノ! お節介はやめたほうがっ!」
「大丈夫だよ、二人ともありがとう、本当に……。ブリュノたちは早く遊びに行ってきなよ」
クーは、ためらいながら人混みの中に消えていく少年たちになんども大きく手を振る。
そうして、一人になれる場所を探して、歩き出す。
「あそこに行こうかな……」
クーは自分の家ではなく、マティアスとの思い出の場所を選んだ。
アランに話したこと、ブリュノに言ったこと、冷静なクー自身が考えていること。それらとひどく矛盾した方向へ彼女の本心は行きたがり、もう彼女の行動を止める者はいなかった。