神託の行方編2
聖女選定の日を間近に控え、王宮で働く者は慌ただしく準備に追われていた。
そんな中、マティアスだけは特に役目も準備もなく、いつもと変わらない日常を過ごす。夕方になって父であるメイナード十三世から呼び出しを受ける。
「なんだろ? 陛下が僕に用だなんて……アランは聞いている?」
「使いの方はなにもおっしゃっていませんでしたので、私にはわかりかねます」
「そう」
王族の中で、唯一マティアスの敵ではないのが父である国王だ。だが、優しく気の弱い国王は積極的に息子と関わることは避けている。敵ではないが味方とも言えない。
関わりを避けているのは、単に王妃の機嫌を損ねたくないだけなのか、マティアスの立場を守るために、あえてそうしているのかはわからない。気持ちがわかるほど、マティアスは自分の父について知らないのだ。
急いで身支度を整え、アランを伴って国王の待つ場所へ行く。滅多に足を運ぶことのない王宮の公の部分に入ると、廊下を歩く文官たちが一瞬不思議そうな表情をしたあと、あわてて隅により頭を下げ、道を譲る。向かったのは国王の執務室だ。
近衛騎士によって守られた大きな扉が開かれ、マティアスだけが中に通される。
執務用の椅子に腰をかけている国王は、マティアスと同じ瞳の色をしている。
「久しいな、マティアス。同じ王宮内にいるというのにおかしな話であるが、息災であったか?」
「はい、陛下」
マティアスは国王のことを父とは呼ばない。国王からも、それについてとくに言及することはない。
「そうか」
マティアスは基本的に問われたことに淡々と答えるだけだ。しばらくの沈黙のあと、国王はもう一度口を開く。
「もうすぐ聖女選定があるのを知っておるか?」
「はい」
「大神殿で行われる儀式には、お前も参加するがよい」
今までマティアスが公式行事に参加したことはなかった。だから、国王の言葉に彼は驚く。そしてすぐにクーとの約束が頭をよぎるが、まさか町へ行くから儀式に参加したくない、などとは言えるはずもない。
「……恐れながら、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ? 申してみよ」
「大変、光栄なことと存じ上げますが、それは王妃様もご存じなのでしょうか?」
「知っている。王妃も賛成しておる」
それが本当だとすると、王妃はどういう意図でマティアスを参加させるつもりなのだろうか。ジェレマイアに聖女が遣わされたことを、マティアスに見せつけるため。二人の間にある歴然とした立場の違いをわからせるため。マティアスはたぶんそうなのだろうと予想した。
「陛下、大変心苦しいことではございますが、私は神殿からは認められておりません。儀式を穢すつもりはございませんので、遠慮させていただきたく存じ上げます」
神殿が認めていない穢れた存在。この言葉は彼の言葉ではない。神官や王妃がいつも彼を表に出さないようにするために使っている言葉だ。この言葉はマティアスだけを貶めるものではない。マティアスの生まれを侮辱することは、それを生み出した元凶も同時に貶める。
「ならん、もう決まったことだ。お前も王子なのだから、出席するのが当然だ。そうであろう? やっと認められたのだから……」
国王はマティアスも参加できることが嬉しいといった様子だ。彼はマティアスの言葉を単なる遠慮だと思っているのかもしれない。
残酷な現実をただ見せつけられる苦痛を、国王はきっと理解できないのだ。
「最近、よく町へ出かけているそうだな?」
「はい」
「お前も将来のことを考えねばならない年齢だ。……悪い噂が広まるのは好ましくない。少なくとも滞りなく聖女選定を終えるまで、外出は禁止する」
マティアスからすれば将来のことを考えた結果、外に出たいと強く思うようになったのだ。
(やはり、僕にとっては父ですら、赤の他人よりもずっと遠い存在なんだ……)
マティアスは父の考えを推し量れるほど国王のことを知らない。逆に国王も息子の気持ちなどまったく理解できはしない。
謁見を終えたマティアスは自室へ戻ると、うなだれるようにソファに座り、目をつむる。
「殿下、どうされますか?」
様子を心配したアランが口を開く。
「どうされるって? ……陛下のご命令には逆らえないし、きっともう外には出られないよ!」
アランに当たってもどうしようもない。もちろん彼にもそんなことはわかっている。けれど自身でも驚くほど、感情が制御できなくなっていた。
「お約束は……いかがされますか?」
「行けるわけない。もう、どうにもならない! わかっているのに聞かないでくれる!?」
クーは聖女選定の日には、いつもどおり大道芸を披露するのだろう。そしていつものように、演技の終わったところでマティアスが現れるのを待つはずだ。なにも告げずに約束の場所に行かなかったら、彼女はずっと彼のことを待ち続けるのだろうか。どんな顔で待っているのだろうか。想像するだけでマティアスの心は痛む。
「……ごめん、ちょっと一人にしてもらえる? 時間が欲しいんだ」
「かしこまりました、殿下」
それからマティアスは部屋に閉じこもり、クーへの手紙を書くことにした。最初は行けなくなったいい訳を、それでもクーへの想いは変わらないと綴る。
「まるで、あの子にいつまでも忘れないで欲しいって望んでいるみたいだ」
彼が今、忘れられそうにないのと同じように、彼女にも覚えていてほしい。寂しがってほしい。それがマティアスの本心だ。
書きかけの手紙をぐしゃぐしゃに丸めて、今度は思っていることと逆を書こうとする。彼女に嫌われたほうが、互いに早く立ち直れる。そんな勝手なことを考えながら、ペン先をはしらせようとした。
喜ばしいことに父や継母から認められ、聖女選定に関する儀式に参加できることになった。約束を破って申し訳ないが、これからは身分に見合った行動をする。だからもう君とは会わない。
マティアスの頭の中で考えた内容は、かたちにならず、ただ紙の上にインクのしみを作るだけだった。