野良犬の巣編11
トントンと釘を打ちつける音が響く。野良犬の巣のクーの家では二人の少年が大きな板を抱えて作業をしていた。
「ちょっと高さが合わねぇな」
ブリュノとロイは扉があった場所を補修し、どこからか拾ってきた新しい扉をその場所に合わせている。残念ながら適当に造られた小屋に、拾ってきた扉がぴったり合うという奇跡は起きなかった。
「完全に地面につくと、たぶんすぐに腐ると思うんですよね。のこぎりで切りましょう」
「この寒いのに、すきま風なんていいのかよ?」
王都で雪が降るのは一冬で数回あるかないか、という程度だが、夜はかなり冷え込む。扉からすきま風が吹き込むと、小屋の内部は凍えるほどの寒さになるはずだ。
「そんなの今さらだよ。それに扉は寒さ対策ってわけじゃないんでしょ?」
ブリュノとロイがどこからか扉を調達してくれた理由は、寒さ対策ではない。十四歳、春には十五になるクーは少し髪がのびて、体つきも変わりはじめている。少女から大人に変わっていく途中の段階だ。
ブリュノの妹分として滅多なことはないはずだが、扉のない小屋に一人で住むことを少年たちが心配したのだ。
のこぎりで下の部分を少しだけ切って、大きさを調整した扉を蝶番で固定する。それから錠前を取り付ければ、少しは安全になるだろう。
「二人ともありがとう。ほら、これ食べようよ!」
二人が作業をしている間に、クーは五番街まで行って焼き栗を買ってきていた。かなり冷めてしまっているが、ほんのり甘みのある栗は野良犬たちにとってはごちそうだ。クーの家に限らず、野良犬の巣にはかまどはなく、基本的には火を使わない。
冬の時期だけは広い場所でたき火をして、芋や栗を適当に焼いて食べることはある。普段の食事は屋台で買うか、買ってきたパンやそのまま食べられる果物をかじる。そんな生活だ。
「うまいな」
「まだ少しだけ温かいですね」
たくさん買ってきた焼き栗の皮を器用にむきながら、三人でそれをおいしそうに頬張る。
「この前マティアスと一緒に食べたんだけど、皮の剥き方を知らないし、甘くないって驚いてたよ。あと、のどが渇くって」
栗には果物のような甘さはない。ほくほくとして芋の仲間のようなものだとクーは思っている。もちろん芋は土の中、栗は木になるものだということくらいは知っているのだが。
一方のマティアスは、栗を菓子の材料だと思っているようだった。貴族が食べる栗は甘いのだと知り、クーは純粋に驚いた。マティアスはこの一年の間でかなり常識のある行動ができるようになったが、ときどき別の世界の住人なのだと気づかされる瞬間がある。クーにはそれが少し切なかった。
「ああ、きっと砂糖とかお酒とかで煮込んだものを食べているんでしょうね。グラッセっていうんですよ」
「グラッセ! そうそう、そんなこと言ってた。ロイは食べたことあるの?」
「ええ、ありますよ」
ロイの生まれは下級貴族だという話だから、家が没落する前にはそういった物も食べたのだろう。
「いいなぁ」
クーは言ってしまったあとに、おいしいものを知っていて食べられないのと、そもそも味を知らないのと、どちらが幸せなのかわからなくなり、それ以上なにも言えなくなる。
しばらく三人で黙々と栗を食べていると、それまで黙っていたブリュノが急に真剣な様子で口をひらく。
「……なぁ、クー。お前、どうするつもりだ?」
「どうって?」
「あいつの、マティアスのことだ。……お前、あいつの愛人にでもなるつもりか?」
マティアスの名前が出た瞬間、クーはかっとなりブリュノをにらむ。
「なに言ってんの!?」
「そろそろ潮時だって言ってるだけだ。あいつはダメだ、だからやめておけ」
あくまで静かな声で、ブリュノはそう忠告する。クーはマティアスにすら言っていない本心を見透かされている気がして、ひどく腹が立った。
「らしくないですよ。他人のやることに口を挟むなんて」
「ほうっておけないから、言ってんだ」
ロイがたしなめても、ブリュノは退かない。
野良犬の巣の住人たちは、できる範囲で助け合って暮らしている。けれど基本的には互いの生活には不干渉だ。ここの住人は非合法の仕事に手を染めている者も多い。男なら違法賭博や薬の売人、女なら春を売る仕事。他の住人の迷惑にならない範囲であれば、個人的なことに口を出さないのがここの唯一の掟だ。
それなのに実質的なリーダーである彼が、掟を破っている。
「ブリュノには関係ない。別にいいじゃん! そんなの私の勝手でしょ!!」
ブリュノとロイ、そしてクーはただの野良犬仲間というより、兄妹に近い。普段なら二人からの忠告であればきちんと受け入れる彼女だが、マティアスとのことだけは許せなかった。そこは兄妹でも立ち入ってはいけない部分なのだ。
「わかってる! わかってるよ。……マティアスとは、ブリュノが心配しているようなことにはならないよ。私が望んだってきっとならない!」
クーはマティアスの恋人になりたいと思っているわけではない。なりたいと思っているが、なれないことを理解している、というのが正しいかもしれない。もしクーが望めば、マティアスは拒んで二人の関係はその日に終わる。そういう予感があったから中途半端な関係を続けていたのだ。
だからブリュノの想像しているようなことにはならない。
「そんなこと心配してねぇよ。離れることが決まっているのに、おかしいだろ? お前がつらくなるだけだ!」
「違うよ! 逆だよ、逆だもん……」
ブリュノの言いたいことはクーにも理解できる。未来がないのに、だらだらと関係を続けることは不毛で、親しくなればなるほど別れがつらくなる。わかっていても、離れたくない。感情が爆発してクーの瞳からは涙が溢れる。
いつも表情をころころと変える彼女だが、こんなふうに泣くことは今まで一度もなかった。
二人の少年はクーの様子にあわてて、なにも言えなくなる。ここにいる者たちは、涙の流し方などとっくに忘れてしまっている。だから、なぐさめ方も知らないのだ。
声を押し殺すように泣いている少女、どうすることもできずに沈黙するしかない少年たち。その膠着状態を破ったのは、取りつけたばかりの扉が静かに開かれる音だった。
扉を開けたのは、いつものように帽子を深くかぶった少年。
「マティアス、どうし、て?」
泣き出しそうな彼の表情から、今の話を聞かれてしまったのだとクーは理解した。
「ごめんね、クー……」
今まで何度、少年は謝罪の言葉を口にしただろうか。その謝罪は、おそらく立ち聞きしてしまったことに対するものではないのだろう。
(終わっちゃう、終わっちゃうんだ……)
マティアスの謝罪は、クーにとっては終わりの合図だった。