第49話 待ち伏せ
軽い騒動から一夜が明けて――――
空腹のアランは出されたパンに齧りついたのだが、ずぼらなエルザが籠に放り込んだまま、何日経っているのか不明なコチコチのパンは食えたものではなかった。やむ無く、マルリーナとステラが朝食と山登りに備えての買い出しを兼ねて出掛けていった。
その間にアランは朝風呂に入りに温泉へ、エルザとセシリアは山へ入る準備に余念が無かった。料理が得意なマルリーナが朝食を振る舞い、その味にエルザがホロリと泣き出す一幕もあったが、アラン達は気合い十分に出発した。町の北西部からエルザを先頭に山へと分け入る。
「ああ、今日は身体が軽い」
整備された山道をすいすいと登りながらしみじみと漏らすアランの背に、昨日の大荷物は無かった。さすがに山登りするには身軽な方が良いだろうと、セシリアが自らの変成瓶から発生する異空間に、大半の荷物を詰めたからである。
「私の優しさに感謝することね」
首から下げている、仲間内では別格の機能を有する変成瓶を誇示するように、アランに見せ付けるセシリア。
「はいはい、有り難くて涙が出ますよ。セシリアは鎧を異空間へ仕舞わないのか? 山登りには不向きだろ」
「この鎧は見た目より軽量なのよ。機動性もあるし問題ないわ」
「それならいいけど。ステラもそのままじゃ不便じゃないか? 草木に引っ掛かりやすいだろうし、法衣は脱いだ方が……白いから汚れも目立つし」
「そんなこと言って、ステラの胸の大きさを確かめるつもりですよ。イヤらしい」
アランは純粋に心配したのだが、邪推したマルリーナは両手で胸を隠すような仕草をした。ステラもじっと疑いの目を向ける。
「ア、アランも男の子ですから……。でも私は神に仕える身ですよ? それにアランにはセシリアという人が……」
「だから違うっての。私がアランと恋人同士になるわけないでしょうに。まあステラの胸の事で頭がいっぱいになって発作を起こしたら、またぶちのめすけど」
セシリアはそう言いつつ、歩きながら『縛鎖』の呪文を唱えた。昨夜アランを拘束したのとは違い、細い魔法の縄が数本、ステラのゆったりとした手足の裾を縛った。
「あら、これは……。動きやすくなりました。ありがとうセシリア」
「フフン。これで前を行く私達が切り払って道を作れば、森や藪の中も難なく行けるわ。ステラを薄着にする計画は失敗ね、アラン」
「そんなつもりは無かったのに……」
アランは寂しそうに呟くと、足の動きが鈍った。先頭を行くエルザとの距離が徐々に開く。
「こんな用途があるなんて、師匠の呪文の応用力には感嘆するばかりです。思惑が外れましたね、アラン。ほら、エルザがどんどん行ってしまいますよ。邪念は振り払って歩行に集中して」
「リーナは昨夜からやけに突っ掛かってくるなぁ。さては、ステラの胸の大きさに嫉妬……ぶっ!」
背後から腰に一撃を受け、転倒しそうになるアラン。
「お祖父様の遺した秘術で私が獣人族になってから、格闘能力に目覚めたのは忘れてませんよね?」
アランが振り返ると、マルリーナは格闘家さながらに腰を落として半身に構えていた。魔術師でありながら、最近は小さな魔法の杖を荷物袋に入れたままで、拳に火炎を纏わせて殴り付けたり、対象に素早く接近して呪文を放つのを常としていた。
「で? 私がステラに何ですって?」
感情を押し殺したマルリーナの右の拳に、ボッ、と炎が宿った。セシリアは「やっちゃえ」とけしかける。
(本気だ! 僕は触れてはいけない領域に……?)
背筋がゾクリとしたアランは、もはや謝るしかなかった。
「おーい、そこで何やってるんだ?」
後続との距離が開いた事に気付き、エルザが大声で問い掛ける。アランはマルリーナに許しを乞うと、そそくさと坂道を上っていった。
◇ ◇ ◇
「ん~、僅かに人の通った形跡があるな……。まだ新しいね。よし、ここから行こう」
30分ほど歩いた地点で、エルザが山道から逸れて左を指差した。大きな山刀を腰から抜き放ち、適当に邪魔な草を払いのけながらなだらかな斜面を登っていく。アラン達にはそのような痕跡など微塵も分からず、黙って従った。
藪を突っ切ると、森が広がっていた。エルザの速さにまるで付いていけず、山に慣れていないアラン達は早くも息が乱れてきた――――セシリアを除いて。
「あんたたち遅いわ。何をノロノロしてるのよ。しっかりしなさい!」
最後尾から、前を歩くステラの背中をグイグイと押す。いよいよ自分の記憶を取り戻す手掛かりが、タズマという老人から得られるかもしれない。セシリアは気持ちが昂っていた。
「いくら軽めといっても、鎧を着たままで……。どんだけ体力あるんだよ、セシリアは」
荒い呼吸をしながら、アランが呆れた様子でボヤく。セシリアは息ひとつ乱さず、軽快な足取りで仲間を叱咤した。少し先で待つエルザは、近くの木に山刀を突き立て、地図で現在位置を確認していた。
やがて周囲の山々を見渡せる、岩がゴロゴロした荒れ地に出ると、エルザが前方に見える山を差した。
「あの辺はまだ未発掘だから、タズマの爺さんがいるならあそこだと思う。2時間あれば着くんじゃないか?」
「2、2時間……まだそんなに歩くのですか?」
「はぁ……キツいです」
ステラとマルリーナが弱音を吐くと、エルザはケラケラと笑った。
「こんなの楽な方だぞ? まだこの辺りはモンスターも滅多に出ないし……。あれ? そういや、やたらと静かだな。鳥の鳴き声がしない」
真顔になったエルザが警戒感を強めると、場の緊張の度合いが一気に高まった。アラン達も四方に気を配る。
「何が出ようと私が倒すけど。リーナ、どう?」
マルリーナはセシリアに無言で頷くと索敵を開始し、猫耳を片方ずつピクリ、ピクリと動かして神経を研ぎ澄ました。
「……前方の森に何体か移動する気配が……人間ではありません。…………! まっすぐこちらに来ます!」
「何だって?」
アランが思わず背伸びをして、目的地の山の麓に広がる森を注視した。
「アラン伏せて。皆も!」
エルザが袖を引っ張り、アランをしゃがませた。大した遮蔽物も無いが、全員が身を屈めて小さな岩の後ろへと移動した。
「向こうは私達の位置を把握してるのかしら? モンスター如き、隠れずに迎え撃てばいいのよ」
まだ相手の正体が判明しないうちから、セシリアは余裕をかましていた。正面から堂々と戦いを挑み、叩き伏せる強烈な自負があるからに他ならない。
「来ます!」
マルリーナが警告すると、茂みがガサガサと揺れて大柄な獣が数体現れた。アラン達から数十メートルの地点で動きを止め、じっと佇んでいる。
「熊……? 違うな。2本足で走ってたし」
アランが呟くと、エルザが顔色を変えた。
「あれは……! まさかローグ族?」
「知ってるの?」
「ええ。町にいる猟師に聞いたことがあるんだ。熊に変身する能力を持つ、獣人族の変わり種。熊人族とも呼ばれてる。でも奴らの縄張りはもっと奥地の深い山のはずなのに、なんでこんな所まで……」
厳しい表情を浮かべ、エルザは疑問を口にした。黒灰色のローグ族――2メートルを超える体躯の、2足歩行の熊が5体。それが揃ってアラン達の方を向いた。
「匂う。匂うぞぉ! あいつの言った通りだ。これは人間の……女の匂いだ! ……そこかぁ!!」
のっしのっしと動き出す熊の獣人族。何も身に付けてはいないが、威嚇するように両手を高く掲げ、その先には長く鋭い爪が生えていた。見るからに強そうである。
「ひええっ、こっちに来ますよ」
早くも怯えるステラ。アランも愛用してきたショートソードでは分が悪いと感じていた。
「人間の姿ならともかく、化身状態のあいつらが相手じゃ……何とかして逃げなきゃ」
「どの程度の強さか知らないけど、私に任せなさい」
セシリアがすっくと立ち上がり、岩の上に跳んだ。堂々と姿を曝した鎧姿の少女。ローグ族はただならぬ物を感じて、一旦足を止めた。エルザはセシリアの行為に狼狽した。
「ど、どうする気なのさ? まさか戦うつもり?」
「ステラ、皆に支援魔法だ! 急いで」
「は、はいっ」
「セシリアなら大丈夫だろうけど、いざとなったら僕の『影分身』と『神亀の盾』を駆使して、ここは撤退を……」
ステラに各種の支援魔法を施されたアランが飛び出そうとした矢先、マルリーナがバッ、と後方を顧みた。
「後ろからも何か来ます!」
「何っ、挟み撃ち!?」
「はあっ? 後ろ?」
マルリーナの声に、岩の上のセシリアも後方へと首を回した。ローグ族の面々も何かに気付いて目を遣った。
「うおおおおおお!!」
アラン達がやって来た森の方角から、何者かの咆哮が急速に接近して来ていた。




