第3話 始まりの港町・マリノア
アストリア大陸の南東部を治める国、レーブル。その最南東に位置し、現在アランが生活の拠点にしているのが、港町マリノアである。人口およそ6000人、南方への貿易航路の中継地として栄えており、水と食料を補給するために大型帆船が度々寄港してくる。
漁業が盛んで、市場には新鮮な魚介類が毎日大量に水揚げされるが、他にも名物があった。
潮風の匂いに鼻腔を刺激されながら、セシリアが前を歩くアランに不思議そうに訊ねた。
「海の方へ人の流れが……若い男女ばかりだけど、何かあるわけ? アラン」
「この町の観光名所、愛と美の女神像があるんだ。夕日を背にした像に恋人と一緒に祈りを捧げると、幸せになれるとか。他にも様々な御加護があるって古くから言われてて、国中から訪ねてくる人達が絶えないんだ」
「へー、そうなの。なかなか素敵じゃない。ま、アランは恋人なんているわけないから無縁の場所ね。もしかして、私と一緒に行くのを想像した? 無理よ、無理。儚い願望ね」
(こいつ! お前は第一印象からずっと最悪だよ! い、いくら外見は良くてもこっちから願い下げだっ!)
出会って早々の強烈な言動。記憶喪失後は幾分収まったが、一方的な魔術絡みの契約と、小馬鹿にした高圧的な態度の数々。アランがセシリアに好意を抱くはずも無い。
「んー、まあそうですよねー。あははは」
アランは笑って聞き流し、どうにか怒りを抑えた。町の中心部が近付くにつれ人通りが増え、道行く男達の視線がセシリアに注がれる。その可愛らしい顔に見惚れた青年が、横にいる恋人らしき女性に引っ叩かれる姿もあった。
(この反応……。やっぱり顔だけは文句の付けようがないな。剣と鎧は高そうな代物だし、貴族か騎士階級の出身なのかも。となると、何で独りであんな所に?)
アランは何歩か後ろ歩きになって、闊歩する少女の全身を眺め回す。
「全く、男って分かりやすいわね。門番もチョロかったわ。少しお金を握らせたけど」
「えっ? それってまさか……」
「いいから。それより、あそこの店に入るわよ」
中央広場に近い立地に、剣と鎧の看板を掲げる建物。武器と防具の店である。セシリアはアランを強引に引っ張って、扉を開けた。カランカラン、と来客を告げる乾いた鐘の音が鳴る。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、腕っぷしの強そうな髭面の中年男が出てきた。
「店主、これでこの小汚い少年に合う装備を見繕って頂戴!」
セシリアがカウンターに金貨を1枚叩き付けると、アランが目を白黒させた。
「い、10000ベル? ちょ、待ってくれ。装備は自分で買い揃えるから。薬草を売ればそれなりの……」
「うるさいわね! 私の厚意を無駄にする気? 最低限の装備が無いと、冒険者ギルドに登録も出来ないんでしょう? 私がさっさとあんたの夢を叶えてあげるわ!」
「は、は、はい」
アランは迫力に押されて首を縦に振ったが、店主まで若干怯えていた。セシリアに再度要望されると、店主は慌てて商品の選別を始めた。
◇ ◇ ◇
「……まあ及第点ってところかしら。これなら並んで歩いてもいいわよ」
セシリアの言葉に胸を撫で下ろす店主。ごわごわして質の悪い麻の服から、ずっと肌触りの良い亜麻製の上下とマント。腰には革のベルトに真新しいショートソード。そして丈夫な猪革のブーツ。アランはすっかり様変わりし、冒険者らしい出で立ちになった。
「おおっ、すげえ! ありがとうセシリア! やっと念願の冒険者に……! これで登録所であしらわれずに済むぞ」
最初は遠慮していたアランも、素直に喜び礼を述べた。セシリアはやや尊大に頷いている。
「それにしても、金貨を持ってるとは思わなかったよ」
店を出ると、アランは羨ましそうに溢した。
「ふふん。それなりに持ち合わせはあるのよ」
優越感たっぷりに、セシリアが顎をしゃくった。ちなみに、レーブル国の通貨はベル。金貨1枚=10000ベルは、一般的な4人家族ならなんとか1ヶ月は暮らせる額である。銀貨1枚は1000ベル、銅貨1枚は10ベルとなる。さらにその下に、不純物が多くて小さな1ベル硬貨が流通しており、庶民は専ら銀貨と銅貨を使用していた。
装いも新たに、アランとセシリアは市場の人混みを通り抜け、薬草の採取を依頼された、広場から少し外れた老薬師の店へと向かう。
その途中、市場の端っこの地べたに藁で編んだ筵を広げ、小さな土産物やアクセサリーを売る少女がいた。アランが気さくに声を掛ける。
「よう、ハンナ。儲かってるか?」
「いまいちねー……って、ア、アラン?」
「どうだ、見違えただろ」
マントを翻してみせたアランに、ハンナと呼ばれた少女は目を丸くして驚いた。赤茶けた髪を肩まで垂らし、毛先は内側に丸まっている。そして世にも珍しい紫の瞳。年齢はアランより若干下に見えるが、世間の荒波に揉まれたせいか、両眼は強い輝きで溢れていた。
シャツもスカートも薄汚れ、継ぎはぎが目立つ。アランに負けず劣らず、生活は厳しそうであった。そんな少女が、アランを指差してプルプル震えている。
「ア、アランついにやったわね?」
「は? 何を?」
「とぼけないで! その格好、どこかで強盗でもしたんでしょ!」
「お、おい! 人を犯罪者にするな! こうして薬草を集めて売りに行くところだし! 僕は至って真面目に生きてるぞ」
薬草の詰まった袋を置いて、中身を見せるアラン。ハンナがチラッと覗く。
「止めなさい、みっともないわね。この装備は私が買ってあげたの」
セシリアが2人の間に割って入ると、ハンナはサッと顔色を変えた。
「どうかしたか? ……まさか、セシリアを知ってるのか?」
ハンナの様子がいつもと違うのを訝しむアランであったが、ハンナはすぐに明るい表情に戻ると、答えをはぐらかした。
「えぇっ!? アランが女連れ? しかも装備を買って貰うとか、何なの? もう冒険者の登録を済ませて、あんたみたいな駆け出しにすぐ、酔狂な冒険者仲間が出来たわけ?」
「あっ、いや、この人はね……」
気を取り直したアランが簡単に紹介しようとする前に、セシリアが口を開いた。
「へえ、アランにも親しい女の子がいたの。意外ね。私はセシリア。アランとはもはや離れがたい関係なの」
「!?」
ハンナが微かに頬を染めて、2人の顔をジッと視ている。
「おい待て、その言い回しは誤解を与えるだろ」
慌てふためいたアランがセシリアに向き直り抗議していると、ハンナの手がササッと動いた。セシリアはその怪しい動きを認めたが、素知らぬ顔でアランを宥めた。
「落ち着きなさいアラン。あ、ハンナだったかしら? さっきのは冗談よ。気にしないで。さあ行きましょう」
セシリアが促すので、アランは薬草を入れた袋を掴み上げると、またな、と言ってその場を後にした。2人が十分に離れると、ハンナは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いや~、悪いねアラン。今月は苦しくてさ。この薬草、いい値で売れそう!」
白い花弁の付いた薬草に頬擦りし、嬉しそうに微笑むと、ハンナは店仕舞いを始めた。
薬師の店で袋を開けた際に、中身が半分ほど藁や果物の皮にすり替わっていたので、全てを悟ったアランは憤然とハンナの元へ疾走したが、すでにもぬけの殻であった。
舞い戻ったアランと老薬師の取引が成立し、店を出てからというもの、アランはブツブツと愚痴っていた。もう夕暮れ時である。
「ハンナめ~。人が苦労して集めた薬草を……」
「盗られるあんたが間抜けなのよ。もういいでしょ、半分でも銀貨2枚で買い取ってもらえたんだから」
「はいはい、僕はどうせ間抜けだよ」
ふて腐れたアランが、道端の小石を爪先で蹴飛ばした。
「何いじけてんのよ。私もうお腹が空いたんですけど。どこか美味しい店はない?」
「それなら僕が住んでる家がちょうどいい」
「は? どういうこと? さっきも家に帰るとか言ってたけど、アランって家があるの? てっきりどこかの馬小屋か納屋で寝泊まりしてるのかと思った」
「う、うるさいな。もうすぐそこだから。……ほら、着いたよ。ここの屋根裏部屋に住まわせてもらってるんだ」
漁港の近くに立ち並ぶ赤い屋根の民家。絶えず波止場に波が当たる音がする。その一軒の前でアランが手を掲げた。3階建てで、1階部分は酒場になっている。カウンターとテーブル席を合わせると、30席はありそうだった。
「親父さんは腕の良い漁師で、女将さんと一緒に店を切り盛りしてるんだ。僕は雑用や店の手伝いをする条件で……」
「おう、アラン帰ったか。おっ? ははは、まるで別人だなその格好は! 似合ってるぞ! ん? その可愛らしい騎士さんは?」
酒樽を積んだ荷車を引いた、30代後半の大柄な男性がやって来て、愉快そうにアランの背中を何度も叩いた。名をバリーといって、この家の主人である。
「彼女はセシリア。訳あって仲間になったと言うか……。とりあえず何か食べさせてくれますか? もう2人とも腹ぺこで」
「おう、それならカウンターにでも座れ。おーい母ちゃん、賄い2人分頼むわ」
奥から女将のモリーが出てきてニッコリ笑った。年齢は夫バリーと同じくらい。恰幅が良く、世話好きな感じが見て取れる。
「まあまあ、アランも帰ったのかい。へえ、様になってるじゃないか。念願の冒険者になって、もう仲間が出来たのかい?」
「いや、ギルドへの登録はまだなんだけどさ」
出会った当初の凶悪な部分は伏せて、アランはセシリアに助けられ、戦いの最中、彼女が記憶を失った事を説明した。その間にモリーが賄い飯を運んできた。海鮮スープとパン、野菜炒め。湯気が立ち上ぼり、旨そうな匂いが若い2人の食欲を刺激した。
「はい、お食べ。アランは食べたら料理の仕込みを手伝っておくれ」
「分かってますって。頂きます!」
「私も遠慮なく頂きます。……美味しい!」
アランがガツガツと食べ始めると、セシリアもパンを齧り、木のスプーンでスープを口に運んだ。たちまち口元が綻ぶ。セシリアが初めて見せる、屈託のない笑顔であった。
◇ ◇ ◇
「ご馳走さま、とても美味しかったです。アランが自慢していたのが分かりますわ」
「そうかい? 嬉しいねぇ」
「お代はいかほどでしょうか?」
セシリアが金を取り出そうとすると、バリーが止めた。
「気にしなくていいよ。アランが初めて連れてきたお仲間だし……。上品で可愛いし」
「まあ、お上手ですね。ふふっ、毎日こんな料理が食べられるなんて、アランは幸せ者です」
バリーとモリーはセシリアがすっかり気に入った様子で、笑い声が絶えない。アランも釣られて笑ってはいたが、心の中では悪態をついていた。
(誰だこいつは!? 顔付きからして別人みたいじゃないか! この~っ、猫被りやがって!)
アランの胸中など知らず、バリーがバシッと膝を叩いて、思いもよらぬ提案をした。
「母ちゃん、3階の物置を片付けて、この娘を暫く滞在させてやったらどうかな? 行く当ても無いんだろ?」
「それは良い考えだね! あんた、早速部屋を片してきてよ」
「おう、任せろ」
「えっ?」
「は?」
アランとセシリアは顔を見合わせて、同時に声を上げた。
「そ、そんなご迷惑は……」
「いいから、いいから。記憶が戻るまでいてもらって構わないよ」
セシリアは辞退しようとしたが、押し切られてしまった。バリーは部屋の準備をしに、階段をバタバタと駆け上っていった。夫婦はそういう性分らしい。
(こんな事になるとは思わなかったな。でも記憶を取り戻すなら、この町を活動拠点にするべきだ。宿代が浮いたと考えればいいだろ)
(それはそうだけど……)
(猫を被ったお陰で気に入られたな。どうせなら猫なで声でも聞かせてくれよ)
(な、なんですって? こいつ!)
「何を2人してブツブツ言ってるんだい?」
女将が食器を下げようとして尋ねると、アランに掴み掛かる寸前で、セシリアはパッと離れ笑顔で取り繕った。こうして、2人は同じ屋根の下で暮らすことになったのである。
明日も17時過ぎに更新します。
よろしくお願いします。