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幻想街のダンピール  作者: アメフラシ
19/32

懐中時計と土人形17




「……本当に居たよ」


 事務所の扉を開けた瞬間に広がってきた光景と匂い、それと騒音に熾乃は唖然とした。

 自分のデスクの上にズラリと置かれた身に覚えの無い空の一升瓶の数々、それによって室内に充満した噎せっ返る程の酒気。


 そしてそれらの元凶であろう、終電を逃したサラリーマンがホームのベンチでふて寝しているように、三つ並べたデスクチェアに身体を伸ばして眠る、十蔵の盛大ないびきが部屋中に轟いていた。


「アンタ、耳が良いんだな」

「え、えぇ……まぁ……」


 時枝はあまり嬉しくはなさそうだった。

 それもそうだろう。酒に酔い潰れたオッサンの品の無いいびきを聞き当てたって、誰も嬉しくは無い筈だ。所謂『誰得』と言うやつである。


「うぅ……なんだか頭がクラクラしてきました」


 楠野葉が額に手を当てて表情を辛そうに歪ませる。

 きっと大量の空き瓶から漂ってくるアルコールの匂いにやられたのだろう。隙間程度にしか開いていない窓の状態では、ろくに換気も出来ていない筈だから無理もない。

 酒臭くて空気が悪い。その上そのせいで実害も出てきている。となればこれはもう元凶に空き瓶の後片付けやら空気の入れ換えやらをさっさとしてもらわなければいけないな。


 ――というわけで、


「起きろコラ、クソオヤジ」

「ブデュッ!?」


 頭を乗せたデスクチェアを蹴っ飛ばし、床板に十蔵の顔面を叩き付けて荒っぽく起こしてやった。


「な、なんだなんだぁ!? 地震か!?」


 目尻に涙をうっすらと浮かべた顔を上げて十蔵は周囲を見回した。

 微睡みに浸っていた十蔵には当然の如く、今の状況を理解できていなかった。


「事務所の床にお目覚めのキスをしてもらった気分はどうだ? この酔っ払い」

「あ? ……熾乃じゃねえか。お前さん、依頼人のお嬢ちゃん連れて帰った筈だろ? 何しに戻ってきたんだあ……忘れ物か?」

「馬鹿。もうとっくに日は昇ってんだよ。今は朝の七時だ、七時。分かったらその酒浸りの脳ミソをとっとと更新させろ」


 あぁ、もう朝かなどと寝癖がついた頭を掻いて呟きながら、十蔵は重そうに腰を上げた。


「昨日はお前さん達がさっさと帰っちまったからオジサン寂しくなっちゃってよぉ。紛らわすのにここで一人酒してたんだったわ」

「帰って家でやれ。ってか事務所ですんな。だいたいなんでオレの席で酒盛りしてんだ。自分とこでやれよ」

「だってオジサンの机は物で一杯だからよぉ、置く場所がねえんだよぉ。お前さんとこは置く物も無くて片付いてっからさぁ……つい」

「つい、じゃねえよ! オレんところは置く物が無いんじゃなくて、片付けてんだよ、お前と違って! ってか早く片せよこの空き瓶! 久遠が見たら勘違いされるじゃねえか!」


 のらりくらりと一向に悪びれもしない十蔵に熾乃は腹をたてる。

 事情を知らない者から見ればこのデスクの有り様は、この席を使用している人物が昨晩一人パーティーナイトしていたと勘繰られてもおかしくない散らかり様だ。

 これを久遠が見たらイの一番にその矛先は熾乃に向けられてくるであろう。とんだ濡れ衣である。


「――ちょっと、朝からうるさいわよアナタ達。踊り場まで響いてるわよ。恥ずかしいからやめてちょうだい」


 今、一番聞きたくなかった声に熾乃の背筋がビクッと伸びた。

 いつの間にかこの事務所の主はやって来ていたのだ。時枝と楠野葉の後ろに、開きっぱなしだった事務所の扉の前で、腰に手を当てていかにも呆れていますといった表情を浮かべている久遠が立っていた。


「って言うか臭っ! 酒臭っ!? なによこの臭い……あ! ちょっと熾乃クン! なんなのよ、そのお酒の空き瓶は! アナタ未成年者でしょ、事務所で隠れてお酒なんか飲むんじゃありません!」

「ホラ見ろ! オレのせいにされたじゃねえか! お前のせいだかんな、クソオヤジ!」


 相も変わらず悪びれず、それどころか口笛をヒューヒューと鳴らして自分は関係ありませんアピールをする十蔵の態度に熾乃はプッツリとキレる。

 我関せずとした諸悪の根元の鳩尾に、ドンッ! と一発お見舞いしてやろうかとも思ったが、次に聞こえてきた声でその気分は一気に失せた。


「いつ来てもここは賑やかですね。元気一杯で羨ましいですよ」


 人から好感が持たれそうな穏やかな口調の少年の声。

 振り返ると事務所の前で佇む久遠の隣にアゼルの姿があった。

 いつもの人懐っこそうな笑みを、人畜無害そうな笑みを浮かべて。


「おはようございます、皆さん……それと、熾乃も」


 まるで、昨夜屋上で交わした熾乃との口論など気にも留めていないかのような笑みを、浮かべていた。


「……ああ」


 熾乃はアゼルからの挨拶を素っ気なく返すと同時に顔を逸らした。

 なにせ相手は昨日、得物を引き抜く寸前まで――『殺し合う』一歩手前まで、お互いに片足を踏み込んだ相手だ。

 それを平然と何食わぬ顔で応対するなんて事は出来ない。熾乃にはそんなに器用な精神を持ち合わせてはいなかった。


「今回の一件、勝手ですけど、僕も最後まで付き合わせていただいきます。僕の力なら皆さんのお役に立てるかも知れませんし……なにより、何かを途中で投げ出すのは嫌な性分なので」


 そんな熾乃の気まずさを知ってか知らでか、アゼルは何事も無かったかのように淡々と喋っていた。


「勝手だなんてとんでもないわ、アゼルクンなら大歓迎よ。魔術協会所属の現役魔術師が一緒だなんて、こっちとしては心強いわ」


 アゼルからの申し入れを久遠は嬉しそうにすんなりと受け入れた。

 確かに、時枝を追っている大男が魔術師であるなら、その分野に精通しているアゼルが居れば、久遠の言うように心強い事この上ない。現に大男が土人形師だと判明できたのはアゼルが居たからなのだから。

 久遠の判断は間違っていない。けれどそれと同時に、熾乃の中でやりきれない感情が生まれてしまったという事は否めなかった。


「ありがとうございます。熾乃も、良いよね」

「……お前が自分で決めたことだろ。オレに許可を取る必要は無えよ……勝手にやりな」

「そう。なら、好きにやらせてもらうから……勝手に、ね」


 別に協力してくれる事に関しての文句は無い。

 ただ、あまり此方には干渉してほしくないと言うのが熾乃の本音であった。


「……なんだぁ、コイツら?」


 そこはかとなく匂わせる熾乃とアゼルの険悪な雰囲気に十蔵は顔をしかめた。


「…………」


 そしてその空気を感じ取った楠野葉もまた、不安げな面持ちを二人に向けていた。


「さあさあ! 話が決まったなら早速動きましょ。先ずは事務所の掃除よ。今日は時恵さんのお母様探しをするんだから。こんなお酒の臭いにまみれた場所じゃ、今日一日をどう動くかなんていい考えは出ないわ」


 パンッ! と手を叩いて号令を出す久遠に熾乃はハッとした。

 そうだ。今はアゼルとの事で気を揉んでいる場合じゃない。時枝の母親を見つける。その事に意識を集中させなければ。


「なぁ久遠。それについてちょっと提案があんだけど」

「……提案?」


 その為に昨夜、自分の部屋で考えていた案もあるのだから。



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