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幻想街のダンピール  作者: アメフラシ
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懐中時計と土人形15






 ――本日、奏弦市の商業区で数日前から、監禁及び殺人事件が起きていた事が今日の午後になって判明しました。現場となっていたのは裏通りにある居酒屋の店舗で、人通りの少なかった事が、事件の発覚が遅れてしまった原因になったとのことです。現場に監禁されていた数十名の被害者は救急車で搬送、近くの病院で保護されているとの……――。


「……流石にもう知れ渡ってるか」


 手元から聞こえてくる男性アナウンサーの声、液晶画面に映し出されているのは今日一日の出来事を纏めた深夜のワイドショー。

 夜空の下。部屋で休む前に屋敷の二階にあるバルコニーの手摺に寄っ掛かりながら、携帯電話に流す報道番組を熾乃は視聴していた。


 ――尚、犯人と目される大柄の男は現場から逃走、依然としてその行方を警察は掴めていません。事件解決の為、警察は犯人逮捕に尽力を……――。


「こんな大々的に報じられちゃあ、おやっさんも大変だな」


 携帯をズボンのポケットにしまうと、振り返り、顔を上げて漆黒の森へと視線をやる。

 事務所は屋上、自宅では二階。考え事をする時は決まって、バルコニーの手摺に肘をつけながら外の景色を眺めながら頭に血を巡らせていた。


「土人形師のヤローはおやっさんに任せるとして……問題は母親か」


 無論、今の熾乃の頭にあるのは時枝 時恵の母親捜しについて。依頼人の意に沿える結果を出す為、明日からどう動くか……そればかりを考え、頭を悩ませていた。

 実際、熾乃達の手元には母親に関する手掛かりなんて何一つとして無い。唯一知っていると思わしきは叔父の時枝 郷三朗ただ一人。しかし、時枝の口振りからして彼女の叔父本人から母親の事を聞き出すのは難しそうであった。


「……となると、本人の周りから攻めていくしかねえか……」


 時枝 郷三朗に親い人物、自宅の執事や会社の役員。望み薄かもしれないが、こちらは手持ち無沙汰。得られるものが少しだとしても、今はこれに賭けるしかない。


「問題はどうやって……あのじいさんに悟られずに聞き出すか、か」


 時枝 郷三朗がこの事を知れば、周囲の人間に口止めをする可能性が高い。自分の息のかかった人達だ、箝口令を敷く事だって容易いだろう。


「……どうすっかなぁ……」


 悩みが尽きない。頭をクシャクシャと掻いて熾乃は項垂れた。


 ――すると、


「――だぁ~れだ」

「うぉ!?」


 突然真っ暗になる視界。それが女性の、元い、屋敷の主の手によって塞がれたものだと分かるのに、それほど時間はかからなかった。

 塞がれた両目の辺りに感じる生暖かい手の感触。背中には弾力のある二つの球体が惜し気もなくムニュリと押し付けられ、熟した桃のような甘い果実に似る嗅ぎ慣れた香りが鼻孔をくすぐっている。


 ……相変わらずと言うか何と言うか。この人の茶目っ気は良くも悪くも普段通りだ。


「……誰だも何も、今ウチに居んのはアンタだけだろ」


 両目を塞いでいた細い手をゆっくりと退かしてから振り返る。そこには腰まで届く真っ赤な髪が夜風に撫でられている、優しい笑みを浮かべた美しい女性が佇んでいた。

 高校生の熾乃よりも少し大人びた顔立ち。色白の肌とは対称的に、血で染めたような色の艶やかな長髪と悩ましげな瞳。


「フフ、お帰りなさい……熾乃ちゃん」


 奥ゆかしい雰囲気を漂わせる女性こそが熾乃の義理の母。そして、この屋敷の主にして吸血鬼一族を統べる……幻想種の十人の王の一人。


「ああ……ただいま、義母かあさん」


 ――『夜の王』シリル=ブラックウェル……その人である。


「もう、帰ってきてるんだったら一声かけてくれたって良いのに。あんまり遅いから心配してたんだから。なのに帰って来ても黙ってて、熾乃ちゃんったら冷たいんだから……お母さん泣いちゃう」

「何言ってんだよ、泣くようなタマでもねえくせにさ」


 憎まれ口を叩きながらも熾乃は内心では喜んでいた。人間でも吸血鬼でも無い、こんな半端者を家族として受け入れてくれた人。本来なら人間と幻想種、両方から疎まれてもおかしくない自分を『それでも良い』と言って存在を肯定してくれた……大切な人だった。

 そんな人に心配してもらったとあれば、気持ちとは真逆の事を言いながらも、左右の頬だけは素直につり上がってしまうというものである。


「もぉう、熾乃ちゃんのイジワル」

「……つーかさぁ、出迎えに来てくれたのはありがてぇけど……せめて、それをどうにかしてから来てくれよなぁ」

「あら? それって?」

「……その格好だよ」


 熾乃が呆れながら指差して指摘したシリルの服装は、背丈に合わないブカブカのワイシャツを羽織っているだけの姿だった。

 一族の長や王の一人といった厳格を文字にした肩書きの響きを「知ったことか」と、文字通り脱ぎ捨ててしまったような格好をしていたのだ。


「別に良いじゃない。何もこの格好で外に出るわけじゃないんだもの。これは家着よ、い・え・ぎ。家に居る間なら誰も困らないんだから大丈夫よぉ」


 ほんわかとしながらも、あっけらかんと断言するシリルに熾乃は、オレが困るんだよと小さく不満を漏らす。

 ちょっと視線を顔から下にずらせば、第三ボタンまでだらしなく開いたシャツの隙間から顔を出す豊満な谷間に、さらに視線を下ろせば見える白いシャツのベールの奥からチラチラと覗く逆三角形の艶美な黒い絹地が、熾乃の初な心を挑発するように煽っていた。


 ……目のやり場に困る。年頃の男子高校生にこれは、良い意味で致死量にも匹敵する目の毒であった。


「たとえ家でもちゃんとした格好をしろって言ってんだよ、オレは。ってかアンタまさか、今日も一日中部屋に閉じ籠ってたんじゃねえだろうな……少しでもいいからちゃんとした格好して外に出て陽を浴びろって、何時も言ってるじゃねえか。身体おかしくなんぞ?」


 ニンニク、十字架、そして太陽の光。吸血鬼の天敵三大要素と言われているこれらだが……実際のところそんなものはただの迷信である。吸血鬼だってニンニクを効かせたパスタを食べるし、十字架を使ったネックレスだって身に付ける。

 そして太陽の光も、普通の人と同じように浴びて光合成する事だって出来るのだ。

 だから今のは、青空から万人へと分け隔てなく降り注ぐ、せっかくの天からの恵みなのだから身体に取り入れた方が健康に良いという、熾乃なりの子心であった。


 ……のだが、


「だってぇ……今日は大事なイベントとギルド戦が重なってたんだものぉ。お母さん一応ギルマスだからすっごく忙しくってぇ、部屋から出る暇なんてなかったんだもん」

「なかったんだもん、じゃねえよ! またネトゲかよ! いい加減仮想空間に潜り続けんのやめてちゃんと現実の表に出ろ! 王さまが朝から晩までオンラインゲーム三昧だって世界中の眷属連中が知ったら皆泣くぞ!」


 当一族の王さまはこのように、俗世にまみれるどころか胡座をかいてどっぷりと肩まで浸かっている始末。『親の心子知らず』とはよく聞くが、ここでは全くもって真逆だ。どんなに熾乃が注意してもその言葉は、シリルの右耳に入ってはすぐさま左耳から外に出てしまうのだからなんとも甲斐のない。

 こんな自堕落な終わっている王ですみませんと、悪びれもしないシリルに代わって眷属の方々に土下座して廻りたい気分だった。


「それなら大丈夫よぉ。お母さんのギルドね、メンバーが千人近く居るんだけどぉ、全員お母さんと同じ吸血鬼族だしぃ、皆はギルマスがお母さんだって知ってて付いてきてくれてるものぉ」


 ……前言撤回、この一族諸共終わってる。というか、構成員の人数が千人ってどれだけ大手だよ。よくサーバーがダウンしないな。

 熾乃の同族の未来を憂いた、うんざりとした眉毛の釣り下がり具合にむかっ腹を立てたのだろう、シリルが反撃の狼煙を上げる。


「むぅ、そんな顔してぇ……元はと言えば休日なのに家に居ない熾乃ちゃんがいけないのよ。お母さんの事をほったらかしにするんだもの。他の二人はいま居ないし、こんな広いお屋敷に一人ぼっちなのよ。お母さん、寂しくて死んじゃうかも……」


 ……ウサギじゃあるまいし、そんな事で死ぬ訳が無いだろう。しかも何気にネット浸りになった原因を熾乃に押し付けて自分を正当化しようとしているし……。


「おまけに……やっと帰ってきたと思った最愛の息子は、お母さんに内緒で女の子と一緒だったみたいだし……」


 ――――ギクッ


「な、何を根拠にそんな……」

「さっき後ろから抱きついた時に熾乃ちゃんから匂いがしたの。熾乃ちゃんが働いてる探偵事務所の人達とは違う……女の子の匂い」


 いきなりバレている。両の頬っぺたをハリセンボンのようにむすぅとほんのり赤く膨らませているシリルにはお見通しだったようだ。

 流石に今、妹の部屋に泊めている事までは気づいていないようだが……これがバレたという事は、後が面倒くさい。


「はッ!? もしかして熾乃ちゃん……彼女が出来たの!? それもお母さんに内緒で!? なんで内緒にするの……まさか! お母さんの事が嫌いになっちゃったの!? お母さんがいると彼女さんとイチャイチャ出来ないからって……ねぇそうなの!」


 ……始まった。何故かは分からないが、この人は少々、いや大分、被害妄想をしすぎるきらいがある。

 こと熾乃の女性関係への嗅覚は敏感で、何がそんなに悲しいのか何時も今みたいに、涙目で熾乃の腕にすがり付きながらありもしない事を口走っている始末である。

 時枝 時恵を早々に部屋へと押し込めたのは、こういう理由があったからであった。


「いやいや、なんでそうなるんだよ! 確かに女の人とは一緒だったけどそれは仕事でだって。別に義母さんの事は嫌いになってねえし、それにアンタが言うような……その……彼女って奴はオレには……いないし」


 モテ期なんてものはただの都市伝説だと日頃から豪語する、年齢イコール恋人無し男の身を切るような心の傷晒しに、シリルは喜びをこれでもかというくらいに言葉で現した。


「ホントに!? 良かったぁ~! お母さん、熾乃ちゃんに嫌われちゃったと思って本気で心配しちゃったぁ!」

「は、ははっ、大袈裟だな……」

「本当に良かったぁ……でもそうよねぇ、そんな事ある訳ないものねぇ。よく考えればすぐに分かる事だものぉ」


 ――だって、


「熾乃ちゃん、女の子にモテないものねぇ」


 ――――グサッ!


 晒した心の傷の中心に刺さった今日何度目かのぶっとい釘が、盛大に振りかぶった無邪気という名の大槌によって深々と打ち込まれる。

 間違ってはいない。間違ってはいないからこそ、胸に刺さった杭がとても重く感じてしまう。現実とは時にとても非情だ……その残酷さが恨めしくて、しまいには目頭がじわじわと熱くなってくる……泣きそうだ、とても。


「でもぉ、そんな熾乃ちゃんに朗報がありまぁ~す。近々、彼女のいない熾乃ちゃんの為にお母さん、秘密裏にサプライズイベントを企画してるのぉ。絶対に気に入ると思うから、楽しみに待っててぇ」


 ……なんだか嫌な予感しかしない。はたして、年がら年中部屋に閉じ籠っているネトゲ狂いに、サプライズイベント等という気の利いた催し物が本当に出来るのだろうか?

 しかも秘密裏にと言っているにも関わらず本人の前で平気で話してしまっている。一度もリハーサルをしなかった出来の悪い演劇を鑑賞したかのような、企画の粗さを無理矢理見せられたがっかり感が肩を重くした。


「あぁ、そうかい……まぁ期待せずに待ってるわ。そんじゃオレ、明日も事務所に行かなくちゃいけねえから、もう寝るわ。アンタも早く寝ろよな。あんま夜更かししねえでさ」


 適当に話をはぐらかして熾乃は部屋に戻ろうと、気だるげにシリルの隣を横切った。サプライズイベント、まさかこの歳で見合いをしろなんて言わないだろうか。


「……熾乃ちゃん」

「今度はなん――」


 廊下まであと一歩のところでの突然の呼び掛けに振り向くと、静まり返った夜の森を背景にして先程とは打って変わった神妙な面持ちをしたシリルが佇んでいた。

 さっきまでとまるで様子が違う。明るかった雰囲気は照明が落ちたが如く暗く沈みきっている。あまりの変わりように思わず言葉を詰まらせてしまう。


「ねぇ、熾乃ちゃん……もしかしてだけどね、熾乃ちゃんは今、危ない事とかしたりして……ないよね?」


 ドクンッと心臓が異常な音を立てた気がした。シリルは、自分達が今やっている依頼の事について何か勘づいているようだった。だがそういった素振りは一切見せなかった筈……いったいどうして気付いたのか。


「……なんで、そう思うんだ」

「あのね……熾乃ちゃんから女の子の匂いを嗅ぎとった時にね、それとは別の匂いも感じたの。お母さんでも……ううん。吸血鬼(お母さん)だからすぐに嗅ぎとる事の出来た匂い……血の匂いが」


 迂闊だった。恐らくは酒場に充満していた犠牲者の、時間が経って酸化した血液の腐臭が服に染み付いていたのだろう。こと血の匂いに敏感な生粋の吸血鬼であるシリルなら、たとえ何時間経っていてもその匂いが血によるものだということに、すぐに気付けてもおかしくはなかった。


「熾乃ちゃん……してないよね、危ないこと……」


 伏し目がちにそう尋ねるシリルに、熾乃は自分の浅はかさを悔やみながらも、彼女の望む答えを出す事を決める。


「してる訳ねえだろ、んなの。今日、事務所の階段の踊り場でコケちまってさ、その拍子に鼻をぶつけて鼻血を出しちまったからその匂いだろうよ……なんともダセェ話さ。アンタが心配してるような事はなにもねえよ」


 勿論これは嘘だ。だがこの嘘は決して自分の保身のためについた嘘なんかじゃない。


「……本当に?」

「マジだって。んな嘘ついてどうすんだよ……ってかそもそもなんだよ、危ない事って? 閑古鳥が鳴きっぱなしのちっせぇ事務所にそんなヤバげな仕事が舞い込んでくる訳ねえじゃんか……もしそうなったとしても、つまんねえ事で怪我したくねえから速攻でフケちまうって、オレは」

「でも……」


 シリルだけには……母だけには心配をかけたくなかったのだ。誰にだって悲しい顔をしてほしくない大切な人がいるだろう。熾乃にとってそれは、シリルだった。


「心配すんなよ……アンタから貰った“新しい命”だ、むざむざドブに捨てるような事はしねえさ。そんじゃあな、お休み、義母さん」


 最後、背を向けて振り向く際、嘘をついてしまった事への後ろめたさで、熾乃はすぐにシリルの不安げな瞳から顔を逸らした。心苦しさは確かにある。けれど自分は約束したのだ、時枝の母親を必ず見つけると。

 彼女との約束を果たすまでは止まれないと、罪悪感という枷で重くなった足を床にめり込ませながら、熾乃は部屋へと戻っていった。


 全ては明日だ。今回承けた依頼は明日中に決着をつける。ついてしまった嘘を本当にする為に。


 そして時枝 時恵と交わした約束を守る為にも……。


「……熾乃ちゃん」








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