懐中時計と土人形14
「あ、あの、探偵さん……本当にこんな森の中に探偵さんの御自宅があるんですか? 失礼ですけど、その……とてもそうには思えなくて……」
夜の闇と一体化した深い森の中。
まるでこちらを飲み込むように覆い被さる形で聳え立つ……差し詰め、高木の食道の中を歩く熾乃の隣で時枝は、ビクつきながら周囲をキョロキョロと、落ち着かない様子で見回していた。
「まぁ……普通はこんな場所にあるとは思わねえわな。住宅街から遠く離れた郊外だし、おまけにコウモリが沢山飛んでるから得体が知れねえわ不気味すぎだわで誰も近寄らねえ森だしな」
視線をちょっと上に向けただけで、高い樹の枝に逆さでぶら下がっているコウモリと眼が合ってしまう。暗闇の奥から妖しく灯る金色の双眸がこちらを睨み付けているのだから時枝が怖がるのも無理もないだろう。
おどろおどろしい場所だ。しかし、市街地の灯りの届かない遠く離れたこの鬱蒼とした森の奥に熾乃の家が……元い、熾乃がお世話になっている人の屋敷があるのだ。こんな不気味な場所では足取りも重くなってしまうだろうが、ここを通らなければ目的地までたどり着けないのだから少し我慢していただかなくては。
「けどあと少しで着くから、もうちょいだけ辛抱してくれよ……それと、悪い事は言わねえからオレの側から離れねえ方が良いぞ」
「……? どうしてです?」
「この森は屋敷の主が認めた奴しか抜けられない仕組みになっててな。詳しく聞いたことはねえんだけど、それ以外の奴が屋敷を目指そうとするとこの森に掛けてある呪いに捕まって出られなくなるんだと……下手すりゃ一週間はこんなかをさ迷い続ける事になるからそのつもりで」
「――え」
人に連れられて入った遊園地のお化け屋敷が、実は本物のお化け屋敷だった。そんな後付けで伝えられた最重要注意事項に『嘘でしょ?』といった小さな声が隣から漏れた。
防犯用に掛けられた呪い、何百年にも渡って主を守り続けてきた強力な防衛機能である。この森の中では一切の魔術も働かない、それは『神獣』の触媒を用いる久遠の追跡魔術さえも例外ではなかった。
「す、凄い所に住んでいるんですね、探偵さんは……でも、その御屋敷の主さん? は、どうしてそんな事をこの森に?」
「まぁ立場上、って言やぁ良いのかね。けっこう重要な位地に居る人だから、命を狙ってくる奴もざらに居るんだわ……だからこれはそういう連中用に張ってあるわけ」
「命、って……い、いったい何をしている人なんですか、その方は?」
「強いて言えば……取り締まり? 幻想種の連中が悪さしてねえかとかの管理って所かな。なんせこの先に居んのは――」
奏弦市に住む幻想種を統制する役目を担った十人の王の一人……吸血鬼一族の長なのだから……。
「――着いたぞ、ここだ」
樹と暗闇のトンネルを抜けた先、そこに広がるのは頭上を覆っていた樹の天蓋が外れた空間。空一面に行き渡る星の海の下、その場所の中心に熾乃が住んでいる屋敷があった。
黒ずんだ木材で建築されたレトロな英国風屋敷。周囲を取り囲むように屹立する木々はまるで堅牢な砦のようである。
呪いが施された天然の要塞に佇む洋館。此処こそが吸血鬼一族を束ねる長……『夜の王』シリル=ブラックウェルの屋敷だ。
「凄い……森の奥深くにこんな立派な御屋敷があるだなんて……」
「デカさで言やぁ、アンタが居た屋敷のほうが数倍デカいけどな。ほら、いつまでも突っ立ってねえでさっさと入んな」
時枝を後ろに連れて屋敷に入ると、外装とは真逆の白を基調色とした見慣れた内装が二人を出迎えた。
今日は色々な事があって疲れているであろう時枝を早く休ませる為に熾乃は、扉を通ってすぐに眼に入る階段を上がっていく。
「そういえば探偵さんは御家族の方と一緒に暮らしているんですよね。何人家族なんですか?」
「母親に兄貴と妹、オレを入れて四人だな。けど兄妹は今、海外に行っててこの家に居んのはオレと母親の二人だけだ」
「海外……御旅行ですか?」
「うんにゃ、海外にいる“他の身内”が人様に迷惑かけてねえかを確認すんのに出向いてるだけだ……要は視察だな」
熾乃の言う他の身内とは、自分と同じ眷属……国外に居る吸血鬼の事を指している。
兄と妹は熾乃とは違って純粋な吸血鬼であり『夜の王』の正当な血筋だった。配下である同族の近況を知るため、家を度々開けては視察の名目で国外へ足を伸ばしていた……所謂お役目仕事というやつである。それ故に熾乃には都合が良かった。
「そんじゃまあ今日はこの部屋を使ってくれ」
この屋敷は見た目のわりに二階の部屋数が少なく、空き部屋は一つもない。女性である時枝を自分の部屋に……男の部屋に泊めるのも如何なものかと考えた熾乃は、
『泊めるんならおんなじ女が使ってる部屋が良いよな……ちょうどアイツ居ないし』
という結論に至り、階段を上がったすぐ側にある妹の部屋へと時枝を通した次第である。
「あの……このお部屋、誰かが使ってるみたいですけど……」
流石にここが空き部屋ではないと時枝は気づいたようだ。なにせ部屋の中にはベッドの上や至るところに、メルヘン風の大きな熊やうさぎ等のヌイグルミが置かれている。これで空き部屋なんて誰も思わないだろう。
「ああ、ここ、さっき言った妹の部屋なんだよ。他に部屋が無くてよぉ、悪いけどここで我慢してくれ。好きに使ってくれて構わねえから」
「あ、はい……それじゃあ……お言葉に甘えて」
やはり本来の住人から許可を取っていない事に気が引けているのか、若干申し訳なさそうな面持ちで時枝は部屋の中へと足を踏み入れていった。
取り合えずこれで彼女の寝床問題は解決だ。あとはこの屋敷に滞在する間、必ず守ってもらいたい注意事項を伝えるだけだ。
「ああ、それと、休む前にちょっと聞いてほしいんだけどよ。二階の廊下の突き当たりに黒い扉の部屋があんだが……その部屋には絶対に近づかねえでほしいんだ。他だったら別に何も言わねえからよ……悪いな」
「泊めさせてもらっている身です。感謝してもしきれないのに悪いだなんて。大丈夫です、絶対に近づきませんよ」
だから安心してくださいと、彼女は言った。
「……けどその部屋がなにか? あ、もしかして見られたくない物とかあったりして?」
「え、え~……とぉ~……」
悪戯っぽく笑う時枝に熾乃は「どうだったかな~」とそっぽを向きなら言葉を濁す。今のは大分的を射ていた、ほぼほぼ当たりだ……唯一の間違いは見られたくない物、ではなく“人”というところか……。
「……探偵さん。本当にありがとうございます」
「はぁ? なんだよ急に?」
時枝からの突然な礼に、何の事かと熾乃は眉をひそめる。思い当たるのは家に泊めた事ぐらいだがそれも今更な気もする。
「探偵さんが私の母を捜そうと言ってくれたおかげで、皆さんのお力を借りる事が出来ました……味方なんて居ないと思っていた私に手を差し伸べてくれた事が本当に嬉しかったんです……だからせめてお礼をと」
時枝の言葉の意味を理解した熾乃は、なんだそんな事かと肩を竦めた。
時枝が言っていたのは事務所での事だったようだ。あの場での熾乃の発言がなければ、母親を捜す事が出来なくなっていたという、それの感謝の言葉だったようだ。
「んな事かよ。事務所でも言ったが別に礼はいらねえって。それに最終的に依頼を引き受けるのを決めたのはウチのボスだ。礼だったら明日、久遠にでも言ってやってくれ」
だったらそれこそ今更な話だ。別に感謝されたくて言った訳ではないのだから、そもそも時枝が気にする必要はないのだ。
「それでも、あの時、探偵さんが言ってくれたから私は前に進める事が出来るんです。だから……本当にありがとうございます」
……律儀と言うか何と言うか。仰々しく頭を深々と下げて、意を述べる時枝の真摯な姿に逆にこちらが頭の下がる思いになる。
自分の周囲には居ないタイプの人だ。こんなにも真っ直ぐに感謝を伝えてくれるのは極めて珍しい。きっと性格が良いのだろう……久遠に彼女の爪の垢を飲ませてやりたいぐらいだ。
「……あー、もう。分かったからいい加減顔を上げてくれよ。これじゃあオレがアンタに頭を下げんのを強要してるみてぇで気分がワリィじゃねえか」
「あら? 違うんですか?」
「……アンタなあ」
「フフ、冗談ですよ」
楽しそうに、そしてちょっと意地の悪そうに微笑む時枝に熾乃は、やれやれと肩を竦める反面、年相応の表情を垣間見せる彼女に少しホッとした気分を覚えた。
これが本来の時枝 時恵なのだろう。自分の気持ちを素直に伝える真っ直ぐな心の持ち主、かと思いきや冗談を言うような茶目っ気も持ち合わせている、ごく普通の女子大生。
「ったく……けどまぁ、冗談を叩けるだけの余裕があんなら、もう大丈夫そうだな。ちっとは安心したよ……なんせ最初に会ったときはすんげぇヒステリック起こしてたからな」
「そ、その話は持ち出さないでくださいよ!? 私だってちゃんと反省してるんですから!」
「ワリィワリィ。ただ、アンタが先にチョッカイ出して来たんだからな。オレのはそのお返し」
「もう! ……ふふふ」
だから屋敷で会ったときのような……人を寄せ付けない、氷柱みたいな冷たくて刺々しい敵意を纏う姿なんて似合わない。今のように冗談を言い合いながら笑っているほうがよっぽど健康的だ。
彼女にはこれからも笑っていてもらいたい……それも、彼女が逢いたいと強く乞い焦がっている家族の隣で。
「さて、明日はアンタのお袋さん捜しだ。大男の事もあるから明日はオレ達と一緒に行動してもらうぞ。何時でも守れるように、んでもってお袋さん捜しにも協力してもらうからそのつもりで……一緒に見つけるぞ、お袋さん」
「……はい!」
ならばそうなるように自分達が動くまでだ。彼女が母親と再会できるように。
「それじゃあもう休んどきな。明日は忙しくなるだろうから今のうちに疲れをとっとけ……じゃあな」
時枝に背を向けて廊下の奥へ歩きだした熾乃の後ろから、
「……お休みなさい、探偵さん」
その言葉を背中に受けた熾乃は、振り向かずに手だけをヒラヒラと振ってその場を後にした。